僕は基本的にSNSはしないのですが、ファンの方からファンメールが来て、大した数ではないのですが、中には「SNSで、こんな心無い、よく知りもしないで悪口を言ってる人がいます。許せません」といった、ヒートした密告者(チクリ屋さん)がいます。
その都度僕は「<心ない、よく知りもしないで悪口を言う人>とおっしゃいますが、そう言う人を刻一刻と無限に産み続け、目の前まで連れてくるのがSNSの機能の大なる側面なんですから(笑)、それはそれで健全な稼動なのではないでしょうか?お気持ちは察しますが、いかなる密告は良くありませんので(笑)、今後はお腹立ちの書き込みに対しては、密告ではなく、音楽でも聞いて忘れてください(僕の音楽じゃなくてもいいですよ)」とか言うようなことを返しています。
が、今回、僕も日頃からちょいと言いたいことがあるなあ、と思っていた事に、飛んで火にいる真冬の虫というか、僕自身は、以下のつぶやきを読んでも陰性なものは特にないんですけど、典型的な「(女性による)フェミニズムやLGBT問題の面汚し」のケースだと思うし、対照が、当欄での言いたい放題とかではなく、お金をいただいている、つまり文責のあるネット連載(リアルサウンド映画部)ですし、話のネタにさせていただきます。
最初にお断りしますが、僕は二重母性によってもたらされたミソジニー(女性を嫌悪、恐怖、崇拝する倒錯の一型式)傾向が若干あることはフェアに告白します。この傾向は、10年に及ぶ精神分析治療の中で大分緩和しましたが、正直、完全に抜けきっているとは思えません。
ですのでせめて、それは表現活動で昇華しようとは思っているのですが、なかなか完璧にうまくやった。とは言えないですね。
とまれ、以下の方と、今回はあと1名引っ張り出しますが、お2方とも、僕をフェミニストの敵、だと規定してつぶやいているように思います。
フェミニストの敵、とミソジニストをごっちゃにするのは、知的レベルが低ければ致し方ないとも言えますが、ちゃんと物のわかる方ならクソミソ一緒だと判断されても仕方がありません。物を知らない人がソウルマニアを「hiphop好きのやつ」(あるいは逆)と、口を滑らせてしまうようなものです。「漫画は書物だから読む」思想家の呉智英氏を、漫画評論をするという理由で「アニメが好きな」と言ってしまうようなものですね。
端的に、無知&バカなわけですが、僕も概ねそんなモンですから(笑)、石もて打つ事はできませんが、今回は、女性の(かなり程度の低い)発言を批判する事で、僕がそこそこのフェミニストであることを一旦証明したいな、と思っています。
僕は、フェミニストであると自覚しています。同時に、ミソジニストであることも。でないと、こんなに長きにわたって、様々な女性と同盟的な関係を結んで表現活動ができるわけありません。僕の楽団員の中の女性プレイヤー、僕とコラボレーションしたあらゆる女性アーティスト、僕にプロデュースされた女性アーティストに、第一に僕はレイプを含むセクハラをし、何らかの形で口を塞いでいるわけではありません(そんなもん告発されだしたら僕は一巻の終わりです)し、第二に彼女たちは「菊地さんに男根主義的に抑圧されている」とか「この人は女性軽蔑者だ」とは思っていないと思います。おそらく、ですが「この人は女性を病的に崇拝しているか、頑張ってフランクに接している」と感づいていると思います。youtubeにあるUAのインタビューを聞いてみてください。
と、前置きはさておき、第一のつぶやきを見てみましょう。
その前に、前提として、僕が批判の対象となった文章をざっとお読みいただきたいです。レディーガガが主演している「アリー/スター誕生」の映画評で、リアルサウンドに掲載中です。
菊地成孔の「アリー/スター誕生」評。「完璧さのインフレーション」