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菊地成孔さん のコメント

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菊地成孔
>>12

<「いいか!絶対に押すなよ」という言葉も、フロイド的ですね。
そして、誰にも望まれていない自死を、誰も押していない(はずな)のに、その決断をしたことが、傍観者ながら無念です>

 まさにその通りです。僕は、さすがに竜ちゃんの死にはフロイドを振り回したくなかったので触れませんでしたが、誰の目にもそう映っていることが無念ですね。

 もう一点フロイド的なことを加えると、コレは僕の「失策」ですが、日記文中

<(ここのラウンジで、太田プロの芸人の方々が打ち合わせやインタビューをしている所に遭遇したことはない。>

 とあって、ちょっと不自然ですよね。実際は

<(ここのラウンジで、太田プロの芸人の方々が打ち合わせやインタビューをしている所に遭遇しなかったことはない。>

 が正しく、つまり僕は、何度もそこで竜ちゃんを見ているわけです。綺麗にフロイドが決まってしまいました。
No.13
30ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
 心の喪(の作業)は終わっていない、一生終わらないかもしれない。なので、儀式としての喪の作業をすべく、近所のホテル(ここのラウンジで、太田プロの芸人の方々が打ち合わせやインタビューをしている所に遭遇したことはない。もちろん、上島竜兵氏も含む)でカフェオレを飲み、南昌飯店でラーメンと餃子と酢豚と炒飯を食い、レモンサワー(中身は佐藤<黒>)を4杯飲んでそのまま寝た。    ファンの方ならご存知の通り、僕は焼酎は飲まない。ので、初めてのドラッグのように物凄く効いて、内心で我ながら「泥酔」という状態に近いなコレは)と思いながら1分以内で帰宅した。    壮年になると(過去「熟年」という言葉があり、僕は特に好きでも嫌いでもなかったが、東京医大の偉い医者かなんかが作ったあれを大いに気に入り、推奨したのが森繁久彌である)、飲酒の勢いで寝ると、妻子がいるか、独居かに関わらず、死亡リスクが高まる。    「妻子や友人(やペット)がいれば(孤独ではない?から?)自死は免れやすい」という戯言を信じている日本人も、もう少ないはずだが、泥酔からそのまま寝ることのリスクも全く同様であろう。「孤独死」を、極端に恐れるのは一種の症状である。友人知人に囲まれても、死ぬときは1人だ。    僕はおそらく、生まれて初めて泥酔した勢いでそのまま寝た。今までは、どれだけ飲んでも、部屋に帰ったら水を大量に飲んで、完全に酔いが覚めたからでないと寝なかった。吐瀉逆流による、求めない窒息死が怖いから、とかではない。1 cc でも吐き戻したら、どうわー!とか言って笑いながら飛び起きる自信があるし、そもそも泥酔によって吐いたこともないし、吐き気を催したことすらない(理由はーーまたしてもーーフロイド的に明確であろう)。    それより、泥酔者独特の蛮行で、間違って物を壊してしまったり(部屋が楽譜と CD と楽器の山なので、何を破損するかわかったもんじゃない)、転んでどこかを打ったり捻ったりするのを避けるため(それでもとうとう、人間ドックで何も出なく、喜びに片手を天に突き上げた瞬間に靭帯損傷するのだから、もう、いつ転んでもおかしくないが)もあるし、何よりも酒が抜けてゆくのは、酒が回ってゆくのと同じ快楽があるからである。夜が明けるのに似ているし、実際、その最中には、多く、夜が明けた。    今、目覚めたら5時間経っていた。導入剤よりも遥かによく効く。というか、シンプルに恐るべき爽やかさがあり、頭の回転が早くなっていて驚いた。部屋は(買った覚えも飲んだ覚えもないミネラルウォーターのペットボトルの空き瓶が3本転がっていたこと以外)全く荒れておらず、寝巻きに着替えて布団も普通にかけていた。昨日はオーニソロジーのレコーディングで、50枚を超える楽譜が使用されたが、それもきちんと整えて机の上にあった。夜は明けていた。雨が降って空は暗い。端的に言って、美しい。  
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