• このエントリーをはてなブックマークに追加

こうちゃんさん のコメント

太鼓って、そんな色々なんですね〜、誑かすとか、銅鑼夢、サバ〜ルねえ〜、スパンクはハッピー、法被着て、来て来てカムカム、つまり噛むって上に通じる:示申、先日、山で道を間違って、ナビの画面で『魔法』という名の神社に参拝、麻鬼の法ということは、麻と云う鬼、麻と魂、確かにそろそろそんな頃なコロナ後の世界、凡ゆる現実現象に潜象、変わらない性格から現れる意志や意識はリアリティダンシング、談志ing曰く『イリュージョン』ファンタジックワンダーフルグルーブ、歯医者の受付とか、転倒とか、、、
No.5
27ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
  まあ、人間ドック以来、いろんな事があったわけだけれども(それは僕にも世界にも)、そして、たった今もいろんな事が起こり、すでに予定がフィクスされている今年の年内スケジュール(これとて、コロナでテーブルひっくり返されたら終わりだ笑)にもいろんな事があるし、それでもまだ何があるかわからないのだけれども、とにかく僕の人生は変わった。やはりサバールを手に入れたからだとしか考えられない。    自分が太鼓を手にしたら、自分のみならず世界まで変わるというのは、単なる万能感で、つまりは誤謬だけれども、昨年冬から今日にかけて、僕はサバールを叩き続けてきた(足の靭帯をやってしまった時は流石に休んだ。サバールは座って、爪先立ちになった上で、太ももで太鼓の本体をコントロールーー固定、ではなくーーしないといけない。実はサックスもそうなのだが、サバールは上半身で叩くのではなく、下半身で叩くものだ。両手は、短距離走のようにものすごく早く動かさないといけないので、虚ろにしていないと対応できない)。叩いているうちに、自分も世界も、驚くべき速度で変化した。叩けば叩くほど変化した感さえある。    今は靭帯のリハビリもやっと終わり、全員ストレッチングと筋トレが可能になった状態だが、いきなり再開すると体がびっくりするので、まずどこからやるかと言えば「立つ事」である笑。立って、目をつぶって、体重を移動させる。今は、靭帯損傷(2回)によって、右足が左足よりやや長くなってしまい、立った時の、骨盤にかかる大腿骨の「刺さり具合」が以前と違っているので、まずは何よりこれに慣れないといけない。「慣れる」というのは、この状態に違和感が無くなるまで、日常動作の反復(階段の上り下りとか、ウォーキングとか)を続け、骨盤周辺(ここには夥しい数の骨と筋肉の区分が密集している)のリセットをしないと、なので前述、サバール演奏の健康的な練習はできないのだが、まだ骨盤周辺のリセット中に、練習でも本番でもサバール(とカウベル)を叩いている(ので、終わったらすぐに骨盤を調整するために、入念にストレッチしないといけない)。  
ビュロ菊だより
「ポップ・アナリーゼ」の公開授業(動画)、エッセイ(グルメと映画)、日記「菊地成孔の一週間」など、さまざまなコンテンツがアップロードされる「ビュロ菊だより」は、不定期更新です。