つい先ほど、非常に強い波動を感じまして、目眩と共に全身から力が抜けるような感覚を覚えまして、流石にもう病気でもあるまい、更年期障害もしくは日米首脳会談後の共同声明から受けた衝撃の余波か? 等と思い、直後に嗚呼と額に手を当て、携帯電話を取り上げたところ、昨年末から病床におりました育母の訃報が届いておりました。
とうに齢90を超えておりましたし、私も立派な初老ではありまするが、男子たるもの、育母なれども否、育母ならばこそ、最愛の女性を失った瞬間の気分とはこうしたものかと、しばらくは暗闇の中で動きが取れませんでしたが、その後、光を取り戻してからも脱力したままでありまして、ただ、彼女の存在は、むしろ近づき、存命中よりも些か我が身の側におります。
コメント
コメントを書く菊地さんの育てのお母様の逝去にお悔やみ申し上げます。一言だけ、1/26の日記で菊地さんがお母様のことについて語った文章が素晴らしかったです。菊地さんが愛する対象に送る文章や言葉、そして音楽はいつだって素晴らしいですね。
皆様への気遣いも大概にして、しっかりと喪に服してくださいね。
きちんと悲しみを味わう時ですよ、今は。
菊地さんの心が、少しでも安らかでありますように。
育母様のご冥福をお祈りいたします。
お力落としと存じます、ご自愛ください。
と書きましたが、菊地さんがお書きになられたように愛はすでにありますね。
今回お書きになられたこと一字一句違わずにそう思っております。
私はずっと以前に両親を亡くしました。母親とはそれなりに交流はありました。父親との会話はほとんどなく、なぜかソフィア・ロレーンが表紙のキネマ旬報だけはよく憶えています。
両親に対して生前にもっと何かできたかも知れないと思ったのかどうか分からないけれど、時折両親はリアルタイムでどんな映画を観ていたのだろうと思うようになりました。「喜びも悲しみも幾歳月」の「おいら岬の灯台守は…」という歌はいまも歌えます。当時町には映画館が三つもありました。
そういう記憶も手伝って気が付いたら私は、両親がリアルタイムで観ていたに違いないプログラムピクチャーをネットで漁り私自身もその沼にはまってしまいました。そして、ああ死者はこういうことをするんだなあと思ったのでした。転移というには大袈裟ですがまあそんな感覚です。
育母様がこころ安らかにお眠りになりますように、お祈り申しあげます。
粋な夜電波、大恐慌のラジオデイズ、あらゆる菊地成孔さんによる愛に触れ、アートや音楽やメディアテクノロジーに至るメディウムのお陰で、何度いい気分になり、至福だったことか、お母様の訃報ですが、やはり、より身近に触れ合って行かれるとの事、マスターオブソウル菊地さん、只々、感謝