ここんとこ普通にライブやったりトークイベントやったりしているけれども、終わると翌日使いモンにならずに、何日か寝込む。ということが続いている。
もちろん病気とかではなくて、全身の筋力が落ちてしまっているのだ。歯も改めて3本やったんで、噛み合わせもまだ不安定で、特に僕のように、噛み合わせと重心に意識的だったりする奴には、都合4ほんは大変だ。
また、既に腰の骨折後遺症、左足の肉離れ後遺症、両足首の靭帯損傷の後遺症、と、下半身に後遺症がクラスターしていて、そこに歯の問題が来て、つまり人間、まずはちゃんと立てないと運動一つできない。
と、去年の6月から運動を一才やらずにいたら(これは生涯記録である)、入院患者ぐらい筋力がなくなっていて、でもライブや授業があるんでやってしまう。と、局部疲労(演奏に使う筋肉ばかり使い、結果、全身が疲れる)が蓄積し、解消しないまま、また授業やライブ。と
コメント
コメントを書く“心が荒んでいれば、<完璧な室内>の完璧さに押しつぶされるだけだ” のくだり、自分もまったく同じことを考えていました。もう10年以上某家具量販店で買ったクッション(枕ですらない)とマットレスとベッド(使い古しすぎてマットレスを支えるための木材が数本折れている笑)で入眠しているのですが、不全に苦しんだことは(入眠直前に突如の高揚がやってきた時以外は)一度もありません。家族と同居していた頃の寝室もずっとタコ部屋だったので、高校生時代にキューブリック『2001年』のラストシーンを初めて観たとき、「ああ、こんなに完璧で清潔なベッドを与えられるのは死ぬ時だけなのだな。良い布団に寝かされるなら臨終が近づいてるんだ」と、変なふうに納得してしまった記憶があります(笑)
2010年以降の映像エンターテイメント作品を支配しはじめたクリシェとして、「真っ暗な部屋の中、寝床の上でスマートフォンの画面だけが登場人物の顔を照らしており、その人物は解離的な目で画面を見つめながら陰鬱に独白している」というものがあり、私はこのクリシェをやってしまった作り手全員に高級寝具と同じくらいの罰金を課したいと思ってしまいます(笑) ライバルとか元恋人とか推しとかの情報をスマートフォンの画面に集めて、結局自分の中の収拾はつかなくて、入眠すらままならない。という行為が「アホの愚行」ではなく「登場人物の切実さを適切に表現」しているものとして流布されるのは、菊地さんもお書きの通り悪質な意味で貴族的で、高級寝具がもたらす快適はスマートフォンがもたらす憂鬱でプラスマイナスゼロ(むしろ少しマイナス)になっており、これが21世紀の『快感原則の彼岸』なのかも、と思っています。
数日前、あの三宅唱監督が OMSB と QN のビーフ関係をもとにした劇映画を完成させた。という夢を見まして、その試写で観た内容があまりにも素晴らしかったので、私は夢の中で(全身の水分が眼から出るんじゃないかと思ったほど)泣き腫らしてしまいました。が、いざ目覚めてみると枕は全く濡れていませんでした。
夢に出てくる想念の内容は「自分の中で既に安全に処理されているもの」で、悪夢でも良い夢でもその内容自体が重篤なものではないと解っていますが、それでも月に何度かは夢の個人性に打ちのめされてパセティックかつ甘やかな気分になることがあります。もし貴族的な入眠不全を抱えている人々がこの(一般的かつ無害な)夢の侵襲を受ける機会を失っているのだとしたら、それは文字通り現実世界での戦争を支えるような悪性のエネルギーの元手になっていてもおかしくないほどですね。
私も子供の頃から寝つきが悪く、寝られないまま朝になっていたようなことがしょっちゅうでした(そのせいで気分の悪い経験をしたこともありました)。
アドレナリンなのかは分かりませんが、寝ようとすると思考が元気になってあれこれ考え始めるんですよね…それこそ子供の時は頭の中で当時夢中だったドラゴンポールのオリジナルストーリーが止まらなくなってそのまま朝までいってました笑。
大人になって環境が変わってからは少しましになり、年齢を重ねてからはまたひどくなりかけたのですが、自分なりにあれこれ変えてみたせいか最近になって(私にしては)すんなり眠れるようになったと思います。
寝るときに真っ暗にしない(真っ暗にすると頭の中に意識が向かって思考が活発になるので)、もっぱら飲み物は水と白湯にする(カフェインはおろかディカフェのコーヒーやノンカフェインのお茶でも眠れなくなってしまったので…いよいよスタバで飲めるものがなくなりました笑)、できるだけ一日3~5キロ歩く、といった感じです。
菊地さんのおっしゃる「夢の質感に軽く集中」というのは面白いですね。私には「軽く集中」が難しそうな気がします。
最近自分がどんな風に入眠しているか思い出してみましたが何も考えてない気がしました。眠ることにも眠れないことにも、良い悪いもないフラットで、何も考えてない感じでしょうか。寝るときは一瞬いいイメージングをして気分がよくなったらそこに深くは入り込まずにそのまま寝ている、といった感じです。
そういえば私も寝具にちょっとこだわったこともありました笑。ベッドはその当時からのものですが、ベッドを変えたのは入眠には関係なかったですね笑
一時は睡眠導入剤も考えたのですが、結局やらずに一時期飲んでいたサプリメントも今は飲んだり飲まなかったりで、結局何が効いたのかはよく分からないです。ただ何かしらのバランスが取れている気がします。そしてまた何かのきっかけにそのバランスも簡単に崩れるのでしょうが、その時考えればいいやという感じです。
私から菊地さんにご進言申し上げられることは何もないのですが、ボディリメイキングがうまくいきますように。
あと、「あなたの安心は外側にはない。」という主旨の事を最近よく意識していたところだったので、菊地さんの言葉として遭遇したのが面白かったです。
「還暦までのボディリメイク」がリハビリ番組としてリニューアルされることを期待しています!
あと、贅沢を言うなら、菊地さんがやってる内気功についても詳しく知りたいです。
アーバンギャルドの「昭和百年少女」を作詞された松永天馬さんが長生きすることを願っています...
最近、セカンド・スパンクハッピー・レトロスペクティヴでファンになった電影と少年CQの年内でのハッピーエンドを知り落ち込んでいます。もう一度くらい菊地さんとライブで絡んでほしいです!
入眠までの儀式が沢山ある人たちが神経症をばら撒いたという記載にガッツポーズしました。ルーチンが人生を豊かにすることはあると思うのですが、ルーチンに縛られている人は本末転倒だと思ってしまいます。私のルーチンといえば時間は不定ですが仕事前に起きて稼働を始めることと、何時か決まってないけどいつかは寝る、くらいしかないので(それをルーチンとは呼ばないのでしょうが)、儀式やルーチンがある人は、息苦しくない?と思う一方で、なんか偉いなぁと思ってしまいます。
>>1
不完全な夢は「昼間の残滓」と言いますが、アドラーなどが、実際(かなり遠巻きに。ですが)戦争と結びつけています。それって「よく寝ないと戦争起こるよ」といてるようなもんで(違いますが笑)、まあ、兵士化と言いましょうか。
各国を問わず、最高位にある者の調度は最高の物が揃えられるわけで、18世紀以来は、それがだんだんと庶民が真似するようになります。僕はそれがキッチュの始まりだと思うわけですが、洋服のようにデザインに回収されるものは兎も角、機能性を重視する寝具や、室内環境を作る全てが貴族的になっているわけですが、実際、貴族の暮らしは、あえてのキツさが多分に含まれていて、現代の「室内環境の整備」は、退行の果てで、スマホと連動で冷蔵庫の中身が画面でわかり、夕食の献立を提案してくれる。と言うのは、もう、ヘンゼルとグレーテルだと思いますね。ヨガでは、最高の寝具は床で、布団を敷いたらそれは堕落した眠りといわれます。
>>4
それは脳が沸いているからで、「還暦前のボディリメイク」をご覧くださると、「思考」が能動的なものではなく、脳の高温化によってもたらされている件について説明しています。脳に篭った熱(これは体温のことではないです)を放熱すれば、脳は何も考えなくなります
>>6
今、筋肉や関節を稼働するインストラクターとしては、僕はポンコツなので、内気功に特化した動画を上げようかなと思っているんですが、ものすごくコスパが悪いので、再生数があっという間にゼロになると思います笑
>>7
ゆっきゅんくんやルアンさんとの絡みは今後もないとは断言できません。ただ、「100年」と言うのは個人のノスタルジーにしては長過ぎ、歴史にしては短過ぎ、結果、その年号に対するプロパガンダやアジテーションの道具にしかならないと思います。「昭和」が「100年目」だとして、しつこいようですが、右翼がヒロヒトの業績を称えるとか、そう言うのであれば納得しますが、あと何があるのか、全く意味がわかりません笑
>>8
ルーチンは適度にあるのが人間的ですよね。僕が指摘したのは西欧の貴族のことで、家具というか、室内の正常化?テクノロジーはアフリカの貴族には向いていないと思います笑