菊地成孔さん のコメント
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1990年代がやってきた時、僕は、その他大勢と大して変わらなかった。すなわちこういう感じだ。「香港の返還、ソヴェート連邦の崩壊、ソマリア内戦の激化、合衆国のブラックマンデーは恐慌こそ起こさなかったが、日本のバブル経済も長く続くわけがない、不安要因はいくらもある。でも、まあ、なんとかなるだろう世界は」。
カルチャーは、僕好みのギラギラに歌舞いた80年代が飽きられ、もの凄い速度で、随分と洒落た感じになって行き、「渋谷系」と呼ばれるようになったが、全く嫌ではなかった。一般的な「90年代を代表する映画」はほとんど見ていないが、「グッドフェローズ」や「レザボア・ドッグス」みたいな、物凄く洒落ていてパワーもあるマフィア映画が出てきた事には舞い上がるほどだった。「パルプフィクション」はタランティーノの最高傑作だと今でも思っている(次がグラインドハウス)。
僕は80年代いっぱい、天職だったヒモ暮らしをしていたが、90年代に入ると、スタジオミュージシャンとしての仕事がいきなり激増して(ブラックミュージックが歌謡界のチャートに入ってきて、ファンキーなブラスセクションとかサックスソロの需要が特需ぐらい跳ね上がったのだ。デフジャムジャパンが出来ても「当然」という感じだったのを覚えている)、ヒモではいられなくなったが、楽しかった。世界はなんとかなるだろ。90年にオウム真理教が衆院選に出馬したのは、憂慮の一つにカウントされなかったどころか、当時「笑える<ネタ>」に過ぎなかった。国民全員が油断し、楽観していた。
スタジオミュージシャンズワーキングの対局に位置する、山下洋輔、大友良英という、偉大で、かつ、売るほど可愛げのあるビッグボスに雇われた兵隊(バンドメンバーのこと)ミッションとして世界中を回り始めたのも90年代だ。
今のスマホ持ちの100倍は日常を録画していた(馬鹿でかいハイエイトを担いで)、当時の僕の動画は、実はヤマダ電機で全て DVD に焼いてもらったままで、 DVD-R 400枚ぐらいある。あれを全て具にみたら、どんな恐ろしいことが起こるかわかったもんじゃないのだけれど、少なくとも僕が初めて楽旅で欧州に行ったのは、1993年(「ウゴウゴ・ルーガ」が始まった年)の6月13日、つまり、僕の30歳の誕生日は、ベルギーのアントワープで迎えたのだった。
「原体験」と言うのはちと大袈裟ですが、僕の「歌謡曲のオリジン」特に、パセティックなメロディーに、歌詞がこう言うふうに乗るのがポップスなんだ。と強く心に刻まれた曲は、平山みきの「真夏の出来事」です。
作曲は怪物、筒美京平、作詞は鬼才の橋本淳です。橋本淳は僕や小西さんや近田さんにも衝撃的なインパクトを与えているともいます。
有名な曲ですし、今や誰でもすぐ聞けるので、歌詞を書きます。
彼の車に乗って
真夏の夜を 走り続けた
彼の車に乗って
さいはての町 私は着いた
悲しい出来事が 起こらないように
祈りの気持ちを込めて 見つめ合う2人を
朝の冷たい海は 鏡のようにうつしていた
朝の冷たい海は 恋の終わりを知っていた
これの「彼の車に乗って真夏の海を走り続けた」から「悲しい出来事が起こらないように」に続くところが凄くて、かなり影響を受けています(ユーミンの有名な「ルージュの伝言」も素晴らしいんですが、あの歌の「不安な気持ちを残したまま」の<不安>は説明されすぎているので物語過多ですね笑)。
小西さんなんかは大鉈なので、モロ「ハッピーサッド」とかいっちゃうわけですが、僕の楽曲に、ドライヴがやたらいっぱい出てくるのは、この歌のせいだと言えると思いますね笑。
ドライブの歌も、ウキウキした気分の中に、悲しい予感が忍び寄っているという情緒も、今のところ、としますが、失われています。それがいつからかと言われれば、1995年からではないかと思っています。
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