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田畑 佑樹さん のコメント


 たしか丹生谷貴志だったと思いますが、「森田一義=タモリと松本智津夫=麻原彰晃の経歴には “九州出身で、片目の視覚にハンディキャップがあった” という共通点があり、前者は上京して人気者になっていたが後者の自己実現には不全があった。この80年代における “自分と同じく片目の見えない男があんな脚光を浴びているのに” という現実を前にした想像的(ラカン的?)搾取の経験が、90年代のオウムにつながる一連の動機を支えていたかもしれない」という大意の記事を読んだことがあり、私自身は「ああ、なるほど」程度には思ったのですが、西暦2025年の現在ではむしろ、日本国のあらゆる世代の人々がこの説を聞いてどう反応するかのほうに興味があります。「ははは興味深いね」とか「いやあ無理筋でしょそれは。いかにも90年代的な現代思想の残骸」とか「面白くなくはないけどちょい不謹慎じゃないそれは?」とか色々な例が考えられるのですが、おそらく現在20〜70代の全年齢層に最も多く見られるのは、結局「なんとなく無反応」ではないかと私には思われます。
 地下鉄サリンに行き着いた麻原クラン(←教団、と呼ぶことにすら抵抗があるのでなんとなくヒップホップ的呼称で代用しますが)が今日にまで残したインパクトは、実際の被害や報道を経由した事件性の伝播よりも、その陰画として「もっとエグいものが見たい」という大衆的意識(←ユング的な意味ではなく、「真面目な顔をしてなきゃいけない教室の中では必ずふざける学童が出てきて、なおかつその子の侵犯性は同様の欲望を薄く共有していた学童たちによりヒーローまたはカリスマ視される」というほどの意味ですが)を結果的にリリースさせたことではないかと思います。実際の被害に遭われた方々の身体に残った化学的ショックとはまったく別のかたちで、オウム的精神性が大衆に(確実に不謹慎を謗られることを承知で書けば、ポップに)与えたのは、「死や傷や自己の内面凝視に関してもっとあからさまな表現があっていい」という欲望を正当化する口実を与えたことで、そのポップ性を担保する「父親像」として麻原が直接音声を吹き込んでいた類の映像作品は2010年代半ばに至るまで影響力を誇っていたと思います。というか、ここニコニコ動画にはまさにそういう「オウムのヤバい映像をポップかつファニーに料理しました」系のトーン&マナーに基づくMAD作品が大量にアップされているはずですが、それは表面上スカムを装っているだけの「(このシリアスな教室の中でなにか面白いことをしなきゃ、という)学童なりの真面目さ」でしかなく、菊地さんがご指摘の内容からすれば「趣味の良さ」の21世紀序盤的な形象だったように思われます。なおかつここで喩えられる学童たちはヤバくてポップであることを許してくれる「父親像」を茶化すようでありながら実は頼りにしているわけで、この学童たちによる対象備給の強さが、一方では正攻法の論難でオウムなるものの影響を葬り去ろうとしたオイディプスたちの首刈り行為に決定的な不全をもたらしたのではないでしょうか。
 上述したような、元ネタのエグさを飼い慣らしたり去勢したりするでもなく、エグいはエグいで受容可能な文化的タイプとする「趣味の良さ」が95年から2019年あたりまでヌルく生き残っており、これの類型に属する表現は専ら映像と音声のコンビネーションを前提としていた。という意味で、オウム的精神性が最も相性良くグルーヴしてしまったのは冷戦終結前後期(ちょうどバブルからグランジまでのあたり?)のソ連映画だったと思います。『炎628』なんかは反戦というよりはむしろ戦時ネタ(しかもソ連にとっては勝てた戦争ということで、ある程度都合が良い)を担保にしたエグ見せ映画だと思いますが、2000年以降に制作されたアレクセイ・ゲルマンの遺作にも明らかな後遺症が見られ、ああここまで重いのだなと思わされました。ソ連映画的な「延々と続くエグ見せ」の重さ&暗さは、ニコニコ動画にアップされているオウムネタの軽さ&滑稽さと真逆ですが、エグい事件に由来する映像と音声の流通を可能にする欲望が全面的にリリースされた結果の所産として、ネガとポジの違いしかなく、ここに麻原のロシアでのオーケストラ興業などとは比較にもならないほど強度ある文化が鳴ってしまっていた、し、それを今更指摘したところで大衆的には「なんとなく無反応」にならざるを得ないほどに一般化したものでもあるのでしょう。

 最新のラジオデイズ回で取り扱われていた「駅でのライバー刺殺事件」も、上述のエグ見せ文化に直接連なるように思われました。あの事件をもとに想像的な搾取と金銭の問題や「Z世代」の自己愛の問題などを取り沙汰す者は90年代末に正調の社会批評でオウムを処理しようとした人々の態度と同じで、それと同時に「こんなエグい映像ですらもわたしらにとっては一種のトレンドなんだよね」的な「クール」で「趣味の良」い陰画も存在しており、これは最新の刺殺事件以前から一般的に準備されてきたガスとライターの関係でしかないと思います。
 個人的には、21世紀的なエグ見せのトーン&マナーを専ら自明としている表現は日本製アニメであるように思われ、これは『鬼滅の刃』がPTAを気まずくさせる程度にはグロいとかいう程度の話ではなく、毎年製作される『ドラえもん』の長編映画にすら「子供向けと思われてるのかもしれませんけど、これくらいの設定と場面は平気でやっちゃいますよ」的に硬直した、食品に例えるなら農薬や保存料のように定着した制度としてのエグみが不可分に含有されている例のようなものです(ここで引いた『ドラえもん』映画の傾向に関しては、そういった設定や場面を入れたがるのはむしろ女性脚本家による場合が多く、これは「男性ばかりの現場ではむしろ率先して “男性的” になりたがる女性の防衛機制」というフェミニズム的問題とも関連するように思われますが)。ここ数年の英語圏オーバーグラウンドミュージシャンで日本製アニメ愛好家を自称する者は夥しく増えましたが、その人々(だいたいデンゼル・カリーみたいなやつ)の映像作品を見てみると直接のアニメ映像引用によるスプラッタめいた絵が「趣味良く」使われていることが多く、その凡庸さにうんざりさせられる反面、やはりカニエはこの点でも先を行っていたなとも思わされます(自分自身の人生をエグいショーとしてライブ配信し続ける、という徹底性においても)。

 以上の内容をまとめますと、ネガとポジの両極に分かれたエグ受容またはエグ待望は2025年現在においてほぼ完全な定着を見ていて、それは社会・政治的なレベルで自明とされていると思います。ウクライナやパレスティナで起こっていることに反・植民地主義の立場から抗議する人々のなかには、著しく損傷された子どもや高齢者の肢体が映されたデータを提示して「こんなに酷いことが起こっている」と訴える例が(とくにネット上の書き込みでは)多く見られるのですが、私としては「いや、人間の身体がどれほど残虐に扱われているかなどという問題以前に、あのような侵略と支配の行為は単なる犯罪であり、そのロジックだけで十分に裁かれうる問題だろう」と思いますし、「もしかしたらこの人々は、エグいものを見せてくれる事件だからこそここまで激烈に反応しているのでは? この人々が第一に考えているのは “エグを社会的に受容する際のしぐさ” であって、国際法や植民地主義などからなる政治的文脈は問題とされていないのではないか?」とすら思うことがあります。
 このような徹底性で個人的に内面化された問題は、「心に軽傷ではないけど決して致命傷ではない痛みを受け続けていないと生きた心地がしない」という21世紀的『快感原則の彼岸』であり、その心的軽傷を調達するための媒体が専ら映像と音声のコンビネーションによって成り立っている(チャゼル坊主や『ミッドサマー』までのアリ・アスターなどの映像表現は、出てきてからまだ10年程度も経っていないにも拘らず、すっかり時代精神の典型例として歴史のアーカイブに属しましたね)、というところが前世紀のオウムと地続きなのでしょう。菊地さんがご指摘の “信じがたい次のオウムを生み出す可能性を抑圧さえしていない” 状態は、このようにして溜まった大衆的欲望のガスに着火される前から “どうしようもなく容認” されているのかもしれません。
No.5
1ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
1990年代がやってきた時、僕は、その他大勢と大して変わらなかった。すなわちこういう感じだ。「香港の返還、ソヴェート連邦の崩壊、ソマリア内戦の激化、合衆国のブラックマンデーは恐慌こそ起こさなかったが、日本のバブル経済も長く続くわけがない、不安要因はいくらもある。でも、まあ、なんとかなるだろう世界は」。   カルチャーは、僕好みのギラギラに歌舞いた80年代が飽きられ、もの凄い速度で、随分と洒落た感じになって行き、「渋谷系」と呼ばれるようになったが、全く嫌ではなかった。一般的な「90年代を代表する映画」はほとんど見ていないが、「グッドフェローズ」や「レザボア・ドッグス」みたいな、物凄く洒落ていてパワーもあるマフィア映画が出てきた事には舞い上がるほどだった。「パルプフィクション」はタランティーノの最高傑作だと今でも思っている(次がグラインドハウス)。   僕は80年代いっぱい、天職だったヒモ暮らしをしていたが、90年代に入ると、スタジオミュージシャンとしての仕事がいきなり激増して(ブラックミュージックが歌謡界のチャートに入ってきて、ファンキーなブラスセクションとかサックスソロの需要が特需ぐらい跳ね上がったのだ。デフジャムジャパンが出来ても「当然」という感じだったのを覚えている)、ヒモではいられなくなったが、楽しかった。世界はなんとかなるだろ。90年にオウム真理教が衆院選に出馬したのは、憂慮の一つにカウントされなかったどころか、当時「笑える<ネタ>」に過ぎなかった。国民全員が油断し、楽観していた。   スタジオミュージシャンズワーキングの対局に位置する、山下洋輔、大友良英という、偉大で、かつ、売るほど可愛げのあるビッグボスに雇われた兵隊(バンドメンバーのこと)ミッションとして世界中を回り始めたのも90年代だ。   今のスマホ持ちの100倍は日常を録画していた(馬鹿でかいハイエイトを担いで)、当時の僕の動画は、実はヤマダ電機で全て DVD に焼いてもらったままで、 DVD-R 400枚ぐらいある。あれを全て具にみたら、どんな恐ろしいことが起こるかわかったもんじゃないのだけれど、少なくとも僕が初めて楽旅で欧州に行ったのは、1993年(「ウゴウゴ・ルーガ」が始まった年)の6月13日、つまり、僕の30歳の誕生日は、ベルギーのアントワープで迎えたのだった。  
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