上海上空から地上を見る。あれ夕焼けか?もうそんな時間だっけ?と思ったら黄砂だった。太陽光線がオレンジ色なのである。メンバーだと珠也と木村さんも花粉症である。僕を含め全員が憂鬱そうな顔をしている。上海は20年ぶりだ。
以後、花粉と関係が(ありそうで)ないので、気をつけて頂きたいのだが、20年前、僕は岩澤さんの次のヴォーカリストを探すべく、上海に行ったのだった。宿泊したのは何とフォーシーズンズのデラックススイートである。1人で行ったのに。単に贅沢というだけの話に還元するならば、あれ以上のことはもう僕の人生に起こらないだろう。僕はとてつもない着心地のバスローブを着て、日本に手紙を書いて送った。すげえ暇だったので(郵便用一式が切手まで全部揃っていて、部屋から投函できるのである)。
ドミニク・ツァイは大変な御令嬢で、どのくらいご令嬢かと言えば、フォーシーズンズのデラックススイートを用意したのは彼女の父親であり、僕は行く前に「フェアモントとフォーシーズンズのどっちにする?」という連絡を貰っていた。父親が両方の株主だったのである(出資者だったかも知れない忘れた)。
彼の仕事は京劇のオーナーだった。歌舞伎や宝塚のオーナーだと思えば良い。「京劇」はJING JU(ジンジュー)と発音されるのだが、英語ではその昔pekinese operaと言われたりしていて、ペキニーズは愛玩用犬種の一つ(チャウチャウみたいな中国圏ではなく、単に名前がペキニーズなので蔑称と言うのが正しいだろう)なので今はclassic chinese operaだけれども、要するに北京が本場で、観光客は北京京劇を観に行くのだけれども、上海にも京劇はある。そのオーナーが、70年代に<上海京劇史上最高の女優>と言われた伝説の女優と結婚した。ものすごく良くある話だ。
その夫妻の娘がドミニクだった。K-POPのケの字もない時代に、父親の判断には凄い先駆性があった。娘を日本で歌手デビューさせようというのだ。説明は無用だと思うけれども、このアイデアはアグネス・チャンやジュディ・ウォングとは違う。当時の香港と中華人民共和国についてちょっと調べてみると良い。
コメント
コメントを書く素晴らしい想起の旅の連続ですね。菊地さんがお書きになった『tO→Kio (トーキオ)』冒頭の歌詞は、ツァイ家関係の経験が原型としてあるのかなと思わされました。
それにしても、中国が分割されるかもという楊さんの予想は、(当たらなかったのも含め)とても優雅な話ですね(笑) 中国大陸の覇権王朝は定番ネタのように北方異民族から侵略を受けては国土を割られてきたので、自国の地理的な「連続性」が脅かされるかも、という空想をマゾヒスティックに愉しむ余裕が体質化しているのかもしれませんね。万里の長城は異民族の侵略を防衛するためではなく「我々はここから北へは出てゆかない」という意思表明のためにあるのだ、と平岡正明さんの本で読んだことをふいに思い出しました。
菊地さんの美食のお話、すごく好きです。
美食のお話で一気に上海に行きたくなりましたw
最先端の中華が食べられるようなお店は都内にあるのでしょうか。
私の祖父は中国からの移民でして、つまり私は1/4中国人とも言えるわけです。
しかし祖父は生前、故郷、つまりそれなりに可愛いであろう孫のルーツについて何も語ってくれませんでした。
相当に過酷であったであろう戦中に日本で祖母を守り抜き、ガキだった私の目にはあらゆる意味で完璧な日本人に見えた彼の心中を今となっては推し量る術はありませんが、いつか彼の故郷である(らしい、父から聞いた話)青島を訪れてみたいと思いました
>>1
『tO→Kio (トーキオ)』の歌詞の舞台となった銀座のラデュレがなくなって久しいですが、上海にあったのでうおーと思いました笑。楊さんの未来予想図はご指摘の通り、非常にエレガントで、悠久の時を経てと言う感じでもないし、たった10年の間に、と言う話でもなく、尺感がやはり大陸的としか言えません。本当に上海の空気は綺麗で、自動車もバイクも全部電動でした。全部が電動だと、あそこまで街が静かになるのかと驚きました笑。
>>2
いわゆるミシュラン星付きの宴席中華はいっぱいありますよ(おすすめはペニンシュラの中にある「ヘイフンテラス」とマンダリンオリエンタルの最上階「センス」ですが、高いですよとても)。でも、基本装備が違いますねやっぱり中国と日本では。日本の「街中華」というのは、あれはすごい発明です。とても「中華街」をひっくり返しただけとは思えません笑。
>>3
僕の父親は満州鉄道の警備隊員で、1943年に、脱走捕虜である中国人兵士を後ろから射殺しており、いわゆるPTSDで「死ぬまで中国には行けない」と言っていました。あらゆる意味で、多角的に、としますが、中国と日本の関係はもっともっとおおらかになるべきだと思います。
青島は大友ONJQで2週間滞在した事があります。古くはベルリン統治(青島ビールの始原)、やや古くは日本統治下にあった街で、西洋化と日本化が驚くべきバランスで共存する美しい街でした。今や観光地の一つですから、奥地や極地と違って、行きやすい街だと思いますので、赴かれることを強くお勧めします。