菊地成孔さん のコメント
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さっきまで長崎の方々が<我々で最後にして欲しい>という、誤解を恐れずに言えば、人類史上で最強のパンチラインを繰り出しておられ、長崎で投下 / 使用の歴史を終え、北朝鮮で拡散が終わったとする(絶対に終わらないが。現在地球上の核弾頭数は、冷戦が今よりキワくて、核弾頭テクノロジーが今より牧歌的だった頃の7万とかいう、馬鹿げた数字から比べると、2万とかに落ちている。あくまで「核弾頭数」は。しかし、軍産学一致体制の確立により、核開発や核利用=平和利用も軍事利用も併せ、参入企業の数は桁違いに上がっているのである。最終的には<地球に核弾頭1つ>の世界が来た後、<地球上から核弾頭は無くなりました>という時代は来る可能性がゼロではない。弾頭を飛来物に搭載し、目的地で爆発させなくても良くなる可能性があるので。カッコ内が長くてごめん今さならながら)ならば、文字通り、核兵器の歴史は地球をぐるっと一回りして、至近距離にスタートとゴールがあったことになる訳だ。
が、いずれにせよあと4~5日すれば、終戦記念日がやってきて、年に一度の祭りのように、南方戦線、独ソ戦のスターリングラード市街戦、等々、「どれだけ戦争が悲惨であるか」を発信し、我が国ではその「強い酒」である戦争の記憶(そのほとんどが特攻隊と南方)のチェイサーとして甲子園球児、の爽やかさが添えられている。旧日本軍のあらゆる意匠が施されているのが甲子園球児であることは間違いない。
坊主頭とか行進とか、ラッパの応援とか、制服とか、誰でもわかるやつではない。例えば今をときめきメモリアルの大谷翔平が「二刀流」という時、野球音痴(単なる音痴も兼ねる場合がある)は、「え?野球って、ピッチャーでも打順って回ってくる、、、よね?」的な軽い「?」状態になる。
「え?違うの?」ぐらいに思った人、いたでしょ今笑。<大リーグが>じゃなくて、プロの野球というのは、ピッチャーには打順は回ってこないんですよサブカルばっかりの皆さーん。もう無くなりますよサブカルチャー!!今のうちマッチングアプリで次を探しておいてください!!
映画監督に限らず、「反戦」はエモすぎちゃって、かつモダニストは高度成長期にそれを隠していたので、もう熟成がかかっちゃって笑、反戦なんだか嗜戦なんだかわかんない、というか自己撞着を起こしており、それがマルキ・ド・サドの理論だとまでは言いませんが、性倒錯ギリギリまで言ってますよね。中でも遺作は物凄いバイブスになってて、ご指摘の川島芳子役の方も、映画監督の過半数が持つであろう、女優への加虐性を受け止め過ぎちゃって笑、すごくプレモダンに見えるんですよね笑。
これは、黒澤天皇の「貧困=プロレタリアート問題」とほぼ同一形で、東宝のプロデューサーと、脚本家たちがスクラムを組んで取り押さえないとダダ漏れるんで、「7人の侍」ぐらいだと時代劇なんでアレですが「どてすかでん」とか、もう「貧富の格差があってはいけないし、精神障害者差別があってはいけない!大人になれない親の、子供への虐待は最悪だ!」と、黒澤の意識が思い過ぎてて笑、普通に逆でしょそれ。とげんなりさせられます。僕は黒澤が、戦時中でセットも組めず、撮影所倉庫の廊下を使わないといけない、という黒澤史上最強の押さえつけられ方をした「虎の尾を踏む男たち」が最高傑作だと思っていて、やっぱ「監督主義」とか「監督の時代」とかいう20世紀のアレは、画家のソレの写しであって、映画に関しては、かなり危険な発想だったと思います。
核武装の件は、いずれにせよ実現は無理で(非核三原則に反しますし、何せメンタリティの肥厚と体積がハンパないんで)、単にディベート的なロジックですが、「核の脅威」が「戦争の悲惨さ」に包摂され、「反戦」に連結され、「祈り」に還元されている、という連合を断ち切った、シンプルかつインターナショナルな「反核行動」の独立と達成に至るのは、核兵器を一度「テクノロジーである」という視点に戻してあげて、日本の技術力を総動員した世界最高のそれを、日本の沿岸部全てに設置するだけで(これは、ぐるっと回って、張子の虎、もしくはトロイの木馬で、実際はダンボールかプラスティックで出来ているデコイでもいいのです)国軍も持たないし、AI制御みたいなこともしないし、ただ設置して、射程はアメリカのニューメキシコ(ワシントンDCとかではなく)にしか向けていない。として、あとはひたすら黙っているのが、ニューオーダーとしては良いと思うんですよね。これだって祈りの変形で、軍事とは言えないので(北朝鮮から使い古しを一個もらう。というのは反米という政治的な立場がフィクスされるでしょうから)。現行の反核の「祈り」は、政治や軍事と結びつきがなく、このままだと「弱い宗教」に進んでゆく可能性が高いです。ですのでせめて「強い宗教」になった方が良いと思いますね。
これはNHK批判ではないですが、NHKさいたまの技術力で、被曝直後の小学校の惨状をVRで経験させる、ということを都内の中〜高校生にさせて、彼らを震え上がらせ、広島まで話を聞きに行こう!という結論をリーディングして、なんつうか、「よしとしていた」としか言いようがないんですが、VR使わなくたって、毎年毎年、中〜高校生が広島まで話を聞きに行くことは繰り返しているので(僕が生まれた時から繰り返されています)、あんな過剰な恐怖を与えて、彼らが後年、単なる火傷を負ったときに、ケロイドに見えてしまったり、もっとシンプルに、ニキビがひどくなった時に、ガラス片が顔面に埋まっている写真とイメージ連結が止められなかったりしたら、シンプルに被害だよなそれは。としか思えませんでした。
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