田畑 佑樹さん のコメント
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寝ている間に9月になっていた感じだ、まだ還暦2年生とはいえ、還暦になって、いきなりいくつかの事故や怪我に恵まれてから笑(僕は「骨折」「靭帯損傷」「筋挫傷=肉離れ」「交通事故」を還暦になるまで一度もしたことがなかったのだが、60になった1年間で全部やった)、極端にいえば人生観が変わるぐらいのことになった。なんかどんどんパンキッシュになって行くのを感じる。少しずつ少しずつ壊れてゆく。少しずつ少しずつ壊れて行くのと並行して、少しずつ少しずつ賢者になり、と共に少しずつ少しずつパンクになっているのを感じる。62にもなって、脳内で呟く言葉で最多のものが「やっちまえ」になった。ひどい老人だと思う。トム・ウエイツは「オレの楽器と武器はボキャブラリーだ」と言った。
もちろん、世の中、下を見たらキリがないというか、様々な事故や病気によって、下半身付随の車椅子生活をなさっている方々を前に言えるか、と言えば、言えないけれども(僕は実の両親ともに、晩年が車椅子人生だったので)、下半身が孫悟空のように自由で、僕は40代ぐらいまで、部屋をダーっと走ってきて、そのまま壁を90度で駆け上がって、トンボは切れない(回転はできない)ものの、身長より高く駆け上がって、そのまま着地できたし、 DCPRG でオルガン弾きながら、あれ、ほとんど狂っているのと同じだが、昔の動画とかみると、我ながら凄い。30分ぐらい、機械かよっつうぐらい、同じ動きをして、目がバキっている。それでも頭の中はクリアで、誰が何をしているか、全部聞こえるし、見えた。演奏が終わってから、体のどこかが痛い。などということはなかった(音量で失神しそうには毎回なったが)。
もう、全力疾走もできないし、何せ困ったのは体が捻れないのだ。捻れないことがどれだけ僕にとってハンディキャップになるか理解できる人はいないと思う。僕は自分より身長が小さい女性よりも、さらに手が小さいのだが、フィンガースナップの音量は誰よりもデカい。サントリーホールに2回出たことがあるが、面白いのでどれだけ響くか鳴らしまくってみたら、残響がぐるぐる回って止まらなくなったのでやめた。
あれは、手首を捻っているのではない。肩からでさえない。どんな音も、全身を綺麗に使わないと音量と音質は稼げない。あれは、どこから捻っているかといえば、足の親指の付け根からなのである。でも今は、腰のところの回転がそのまま上半身に来ないで、一回制御がかかるので、最盛期の70%ぐらいの鳴りになっている。またこれは、我ながら書くに忍びないが、前歯をインプラントにしたら、口笛がほとんど鳴らなくなってしまった。
ご返信をいただきありがとうございます。
私も数日前に学理動画を漁っていたら、マッカートニー本人が『Blackbird』について「バッハの曲をいじってたらできたよ」と、無防備きわまりない・しかし事実であろう話をさらっとしていたので、なんだろうこの厚さと軽さは、みたいな感じで敬意を新たにしていたところです。
Red Hot Chili Peppers のフリーなんかもそうですが、天然で学理を突破できてそうな人は「楽譜読めますか(音楽理論って要りますか)?」という、「楽譜読めなくてもバンドできますよね(音楽理論も必須じゃないですよね)?」式の上目遣いとセットな質問をぶつけられているケースが本当に多いですね(とくにフリーは後年大学で勉強しなおした人だけに、言質を取りたい意識がそうさせるのでしょうね笑)
ヌーノ・ベッテンコートがマッカートニーと(アワードの楽屋か何かで、打ち合わせとかリハとかではなく、ごく自然に呼ばれて)一緒に演奏したときのことを話していて、「自分が老人になったように感じた」と、あの見ていて心配になるほど躁傾向で善人でだいぶ子供っぽいヌーノでさえもしみじみと述懐していたのを見て、マッカートニーの(他人に分け与えるタイプの)躁エネルギーは本当にヤバいんだと思ったこともありました(笑)
「バキる」についてのご解説もありがとうございます。銚子産なのですね。90年代の自分も何かの漫画のセリフで読んだような記憶があるのですが、新鮮な20世紀の響きがしますね。
チャーチルの、不機嫌は不機嫌で済ませつつ・常にニヤけてもいられる余裕の感じは、もう来ない世紀の徳性でしょうね。ボリス・ジョンソンが退く前の最後の議会演説で、周囲からツイッターみたいな野次を受けつつ、「もういっこだけ! もういっこだけネタっていうか、言うことがあるから」みたいな最低の宴会ノリで、あまつさえ半ばトランスしつつ、「ええーっと……アスタラヴィスタベイビー!」と『ターミネーター2』ネタだけ放って帰った映像を見てしまったとき、話がおもしろくない英国人の存在はここまで犯罪的なのか、と文字通り凍りついたことがありました。
加えて、英国はリシ・スナクで「移民出身首相」の枠まで家畜化して飼い慣らした感があるので、チャーチルの時期と比べると本当に隔世の感がすごいですね(笑) 一方、アイルランドは前の政府指導者がインド移民&ゲイで、醜聞ではなくいきなり自主的に退任したことがありましたが、このへんの20-21世紀連結型のダイナミズムが解離されているせいで、「ニーキャップはすごい政治的なメッセージを発信してる日本のミュージシャンもこうなろうよ」的な、ロック理想化世代と同レベルの言論が私と同世代の人間たちからも発されている現状があるのだと思います。イスラエルの虐殺を批判するのなんか政治的メッセージ以前に当たり前のことで、そんな自明のことを音楽(家)の属性に帰すって、それむしろ音楽をバカにしてないか? とすら思わされるケースが多すぎるのは、前世紀におけるジョン・レノンの面の皮の厚い勇気をピュアなピース=厭戦にのみ還元する(それはつまりジョンが本当に備えていたポテンシャルの弱体化を意味する)思考が或る世代のファン意識に定着しすぎたためで、逆に言えば、それが変われば20世紀古典の新しい効果はこれからいくらでも生まれうるのでしょう。
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