飯を何杯食ったとか、酒を何升飲んだとか、セックスを何時間したとか、道を何キロ歩いたとか、金を何十万使ったとか、僕はカウントしたことがない。カウントしなくてもわかるからだ。こう、物質的なことは。

 

 中でも、演奏している時間に関して、時間は物質ではない、のだが、「まるで物質のように」というのが最適切だと思う。僕は演奏中によく時計を見ているけれども、あれは時計を見ているのではない。カッコつけているのだ。青春期に「時計を見ている菊地くんカッコいい」と言われて、ものすげえびっくりした。「え?時計?」と、僕は汚いものでも見るような表情で聞き返してしまった。

 

 つまり、思春期の甘酸っぱい思い出なんかどうでもいい、要するに、僕は時計を見る素振りをしていれば間違いないと思い込んでいるだけで、実際は時計は必要ない全く本当に。イージーライダーは時計をカッコ良く捨てたが、あれはヒッピーが無理しているだけで、だから最後、南部の人々に殺されてしまうのである。時計なんかわざわざ捨てなくたって良い。時計を捨てたからって時間から解放されるわけがない。これだからな。ヒッピーはな。

 

 なんだって「どっちでも良い」という状態が一番スムースで自由だ。要するに、時計はあったってなくたって良い、手帳もあったってなくたって良い、飯も食ったって食わなくたって良い、日本人は戦争を禁止されていて、よしんば、したくてしたくて仕方なくても、出来ない。これは不自由だが、今は不自由が良くないから戦争をできるようにまずは9条を改正しよう、とか言いたいわけがないじゃないか。戦争も、したってしなくたって良い。