ゲームの想い出 第五回 映画ゲームセンターCX 3丁目の有野公開記念 嗚呼悲しき借りパクのゲーム達
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ゲームの想い出 第五回 映画ゲームセンターCX 3丁目の有野公開記念 嗚呼悲しき借りパクのゲーム達

2013-12-02 07:12






    ゲームセンターCXが2014年2月、遂に、というか、
    一体どこにどう求められてそうなったのか分からない
    初の映画化という事で、舞台は日々の課長の挑戦を地味にドキュメントタッチに描く情熱大陸風になるのかなと思いきや、借りパクという、地味ながら鮮烈なテーマを舞台にしてるそうなので、自分もファミコン世代の端くれとして、当時の借りパクの想い出を少し語ってみたいと思います。


    80年代前半産れの、いわゆるファミコンラストチルドレン世代の自分の周囲では、
    ネットや携帯がまだ普及してないのは当然のこと、
    直接的な貸し借りが主なゲーム情報源だった、と、以前のエントリーでも少し触れましたが、
    そういったアナログソーシャルな貸し借りには、
    俗に言う「借りパク」(借りたままパクる)のリスクが常に付きまとう訳でして・・・

    特に借りパクの頻度が高い奴や、特定のグループとつるんでパクり行為を助長する奴等は、蔑視を込めていくつかの通り名で呼ばれていたんですが、
    その一例として

    ・ジャンカー
     パクッたゲームをそのまま中古ショップ等に流す奴の事。
     名前入りのゲームをベンジンで消したり、RPG系のゲームは証拠隠滅の為、
     中のデータを消して売却したり等かなり周到。貸したゲームについて問い詰めると「無くした」と言い訳する。

    ・チャリ 貸したゲームを、そいつの友人グループ(共犯者)複数人間の間で又貸しし続けて、貸した奴に返さない借りパク行為。自転車のタイヤみたいにクルクル回り続けてることからきたらしい。

    ・借りボケ ある程度期間が経ったソフトの返却要求に「借りた覚えがない」
     「そんなゲーム知らない」と居直る、問い詰めると何故か逆ギレを始めたりする一番タチの悪い借りパク。

    ・ゲームギャング 素行の悪い不良連中複数人が、普段あまり面識の無い奴の家に複数人で行き、中がゴチャゴチャしてる隙に物色したゲームをパクる卑劣な窃盗行為。


    等と呼ばれ、頻度の高い奴はブラックリストに入れられたり、
    悪質な輩は貸し借り行為自体に応じられなくなり、
    行き過ぎると総スカン、シカト等、軽いイジめにまで発展する事もありました。

    まあ、何故、上記の借りパク行為について一部詳細を知ってるかというのはある程度察してもらう事として・・・


    自分も当時のゲームユーザーとして様々な貸し借りを経験した訳ですが、
    そんな中、大・小、様々な借りパクを体験した訳で、
    10年経って思い出した様に気付くものもあれば、
    今でも夢に出る程腹立たしく忘れられない借りパクもあります。
    今回は後者の借りパクについて少し話を。

    この辺の頃の話については、一つ前のエントリーでも少し言及しましたが、
    中学2年の頃、幼少時からの異常体質による体重肥大で110キロまで進化した巨体を揺さぶり、
    日々、PCエンジンのギャルゲー、メガドラのクソゲー、3DOのマイナーゲー収集や、日々のアニメイト通い、アニメージュ購読に余念の無い、間違い無くお先真っ暗な筈なのに、日々ノーテンキな高度オタク成長期を過ごしていた私の周りのクラスメイトに、
    今の自分がオタクとなるキッカケを与えてくれたE君
    (彼は本当に良い人なのでイニシャルにしておきます)と、
    他、周囲にいくつの派閥に分かれ、オタク幹部候補生が存在していたのですが、
    その中の一人に「岡田」という、グループリーダーの様な扱いの陰険なオタクが居まして。

    少しややこしいのですが、僕はその公立中学に進学した際に、初めてE君と知り合ったのですが、E君と岡田は小学校が同じで、中学までの進学を共にしたオタク趣味の親友の様な間柄であって、E君と付き合う為には常に岡田も介在していた訳で、嫌々付き合うという程では無いものの、なし崩し的にグループの一人として付き合わざるをえない、という感じの微妙な間柄の奴でした。

    で、まあ、当時、自分の周囲で何故か大ブレイクしていた、
    PIONEERのOVA「天地無用! 魎皇鬼」を絡め、E君始め、その周囲のオタク仲間や岡田とも深い交流の日々があったものの、天地無用の舞台、岡山をいつか皆で巡ろうと1年間楽しみにしていた所、自分が一時期、面倒くさい病が発症して登校拒否っていた合間にE君と岡田で既に済まされていたり、恨みは数あれど、中でも未だに忘れられないのは・・

    ある日、珍しい事に岡田が一人で俺の家に遊びに来た際、モテなしの為に用意したSFCソフト「スーパー桃太郎電鉄3」を、彼はいたく気に入った様子で、貸してもらいたいというので、今後の付き合いの事もと考えた自分は二つ返事で快諾し、確かそれから3~4ヶ月後、席替えの際、席が隣になった岡田に「そういや桃鉄そろそろ返してよ」と、切り出した所「は?何言ってんの?覚えてないよ?」と、始めの内は優しく切り出していた自分も、遂には業を煮やし「家に来た時貸したでしょ、直接」と強めに言った所、それはまあ、見た事も無い様な形相で「君は最低な奴だな!借りた事も無いゲームを貸したなんて言うなんて!この話はもう終わりだ!」と、罵詈雑言の様な怒号の逆ギレをカマされてしまい、その後もオタクグループ連中とは卒業までなあなあな感じで過ごしていたものの、進学後は殆どがバラバラに離散してしまい、特に連絡を取る必要性も感じず、

    けれど、それから数年後、あの頃の熱を帯びた感じが忘れられずに、01年の秋口、親友の海パン次郎くん(彼も中学は別だったけど近所繋がりで俺のオタク連中とは交流があったので、当時の事情をよく知っている)(現ゲマニズム副管理人)と、
    他、同じく親友で幼なじみのアルケミストさん(俺の小学校時代からの幼なじみで、中学生時代もクラスメイトとして共にし、文中に上がったオタク仲間連中の一人。)(現:行方不明)、
    他、ゲーセン巡りで偶然出会った趣味仲間のレトロ軍曹さんや、
    俺のゲーム会社時代の仕事仲間何人かと「ゲマニズム」
    という当時としては珍しいグループ型のバラエティサイトを始める事となりましたとさ。



    昨今、ゲームが文化として一段、高い位置に定着した訳で、
    益々、交流のキッカケとして誰でも気軽に「ゲームが趣味です」と、言いやすい世の中になってきましたが、

    そういう文化の根付きに至るまで、僕等が過ごした借りパクの日々や、
    先陣の名作を追って、あえなく散っていったクソゲーの数々、
    「ゲームが趣味です!」と、爽やかに言っても「キモいっ!お前の話はキモいっ!」(ここ、大滝秀治風に)否定されていたマイコン時代の先駆者達の事、時々でいいから思い出して下さい。
    (BGM 素敵だね)

    最後に、映画「ゲームセンターCX 三丁目の有野」の公開を記念して、
    自分が母に中学入学祝いにと買ってもらったSFCソフト MOTHER2のBGMのあまりに素晴らしい出来映えに感動し、関内駅 セルテ前のCDショップで、産れて初めて自腹を切って購入したMOTHER2 のサントラアルバムを、ご丁寧に中のCDだけ綺麗に抜き取って返してきた二宮くんに一言捧げたいと思います。

    MOTHER ファッカーだこの野郎
    町中で見かけたらMOTHER3の空箱叩き付けてやるから覚悟しておけ!

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