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Elkeさん のコメント

>>3
そのコメントがとても「理想世界であるべき」と書いてあるように読めますね。
「これ自分のこと?と悩むのでわかりやすく書いて下さい」というのは理想世界のありかたを説いているのではないでしょうか。

「あるべき論」を振りかざす人は自助努力を怠り自分にとって都合が良くなるように他者に努力を求めていることが多いと感じますね。
自分で努力できるのは自分だけです。
No.4
132ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
 ここ最近の記事を書いていて、「理想と現実」について考えさせられました。ぼくは一貫して「現実」の話をしているつもりなんだけれど、理想世界を前提とした話をしている人もけっこういるんだな、と思うんですね。  この場合の理想世界とは、いわば「べき」の世界です。すべての「そうあるべき」という理想が実現した世界。あらゆる弱者が救済され、あらゆる不正が根絶され、あらゆる人々が幸福に生きられる、そんな世界。  そういう世界を思い描いた上で、「現実もまたそうあるべきなのだ」と語る人は少なくないように見える。  これはある意味で「正しい」。たしかに理想としては「すべての弱者が無制限に救済されるべき」だとぼくも思う。もしそうすることができたら、それが最も正当な方策であることは間違いないでしょう。  しかし、現実にはぼくたちは有限の世界に住んでいるわけで、「全弱者の無限救済」は限りなく不可能に近いと思うわけです。理屈の上では不可能ではないかもしれないけれど、ほぼ不可能。現実的ではない。  それは論理的にいって、人間社会が続く限り、どんなに科学が発達しても変わることはない真理でしょう。有限の資産で無限の救済を行うことはできないのです。  将来的にどんなに社会システムが改善されたところで、すべての人が救われる時代は訪れないに違いありません。それが現実。  これはまたさまざまなことについていえる真理です。「不完全で有限の世界で完全で無限な救済はありえない」。それがこの世界のグランド・ルール、変えることができない鉄の法則なのです。  だから、ぼくは「その現実を受け入れろ」といいます。理想世界のことは忘れ去ってしまいなさい、と。その上で、現実世界をより良くしていくための話をしましょう、と。  理想世界の倫理においては、見捨てられる人があってはいけません。「死ぬしかない」という人に対し、「じゃ、死ねば?」ということは、どんな場合でもあってはならない。  それは理想世界的には「正しい」理屈です。しかし、現実世界においては、「死ぬしかない」人を全員救済することはできません。だから、「申し訳ないけれど、あなたに割り振るリソースはもうありません。そこで死んでいってください」といわなければならないケースが出て来る。  いや、この例は正しくないかな? すべての人が経済的、医療的に救済される時代はありえるでしょう。しかし、そういう「近理想世界」においても、生きる能力がない人は生まれるだろうし、そういう人を完全に救うことは不可能だ、という話だと思ってください。  もちろん、だからといって 
弱いなら弱いままで。
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