【自己愛】&進化論も【神の愛=主イエス】の【神愛方程式=神愛摂理】!
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【自己愛】&進化論も【神の愛=主イエス】の【神愛方程式=神愛摂理】!

2018-06-29 14:14

    【2005年1月29日に作成した<第361号>に加筆】
    ◇◇【キリスト道】⇔究極のエゴイストで進化論主義◇◇

    ●キリストの愛神主義は利他・利己両主義の上に超越し、最も多く他を利して
     最も多く己を利する道を我に教えたり(内村鑑三)
    ●心をつくして神を愛せよ、それからあなたの欲することを為すが良い(ヒルティ)

    【神の愛=主イエス】に大事にされ大切なる皆様こんにちは!ご愛読感謝します!
    世界各国で愛読されている皆様、お元気ですか?ご活躍を心より応援しています!

    精神苦・病苦・経済苦・社会苦など大小様々な<患難辛苦>に直面し立ち向かう
    <対戦・応戦・抗戦>意欲に導びく<最高!最善!最美!>の<無限の源泉>が
    【神の愛=主イエス&聖霊】が与えてくれる【神愛力=隣人愛&奇蹟】です!

    一般的に【自己愛:エゴ・自己中心】と【隣人愛】とは正反対であり、
    「進化論」と「天地創造説」とは対極にあると理解されているのではないでしょうか。

    私自身も当初はそのように理解していました。

    しかし「私個人の【罪:的外れの生き方】の身代わりとなって【主イエス】は
    【十字架の贖罪】を受けてくださったのだ!」と確信できるということは
    <エゴイスト>の独り善がりで<自分本位>だからこそ受け入れられるのだと
    実感できます。

    私が【神の愛=主イエス】を受け入れず好き勝手にする【罪:自己本位】のために
    無関係で潔白の【神の子】が私の身代わりに犠牲になってくれたから、私は救われて
    <千年王国・メシア的王国・神愛王国><御国:永遠の命・来世・天国>に行ける!と
    信じられる事、これほど【自己愛:自己保身】にあふれる身勝手な解釈ができることは、
    「キリスト教」に反感を抱き敬遠する人から見れば私自身が「究極のエゴイスト」だと
    思われても当然でしょう。

    そうです!まさにキリスト教は<エゴイスト:罪人>である我が身を自覚するゆえに
    救われるのであって、自分が大好き!と思える【自己愛】の強い<エゴイスト>ほど
    多くを赦されて【神の愛=主イエス】と<相思相愛>の関係であるといえるでしょう。

    ●イエスは答えて言われた。「医者を必要とするのは健康な人ではなく、病人である。
     私が来たのは義人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである
     (マタイ伝9-13、マルコ伝2-17、ルカ伝5‐32)
    ●この人が多くの罪を赦されたことは、私に示した愛の大きさで分かる。
     赦されることの少ない者は、愛することも少ない(ルカ伝7-47)

    これまで日本人が、それほどに「キリスト教」を必要としない理由は、世間の大半が
    「エゴイスト」ではない証明だと思います。

    世間体を気にしたり、自分より周囲に配慮できる控えめな<他人本位>だからこそ、
    自分勝手で独善的に見える「キリスト教」など恐れ多くて理解できないはずです。

    私の心にも、自然と叩き込まれている伝統的・日本的倫理観の特徴は「孔子の教え」に
    示されていると思います。

     「己の欲せざることは、他人に為すなかれ」          

    さらに「恥」を重んじることから派生して、家族のためには

     「(恥をかかせないように)世間様に迷惑をかけるな!」

    この「~するな!~するな!」という教訓は、知らず知らずのうちに、
    私たちを否定的・消極的に追い込みます。

    だからこそ、「ガンバレ(我を張れ)!」と励ますのも納得できます。
    日本人には積極的で明るく元気な「エゴイスト」が育ちにくいのかもしれません。

    一方で、【主イエス】の【ゴールデン・ルール(黄金律)】は
    肯定的・積極的・実践的でいつどこでも明快です!

    ●自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい
     (マタイ伝22‐39、マルコ伝12‐31、ルカ伝10‐27)
    ●全て人に為(セ)られんと欲することは、汝等神が汝等に為し給う如くに
     汝等また人にもその如くせよ(黄金律:マタイ伝7‐12)

    「他人にされたくない事は、他人するな!」というような<他人(社会)本位>ではなくて、
    「自分がされたいと思う事は他人にも施しなさい」という<自己本位>といえるでしょう。

    先ず自分の【霊性:魂[勇気]・善意・良心】が納得することを考えればよいのです。
    世間体や【この世の勢力:富・権威・名声】や<他人・社会の意見>よりも
    自分自身の【霊性:魂[勇気]・善意・良心】を信じ愛することが大切となります。

    欧米の若者に「あなたは自分自身の何が一番大切ですか?」と質問アンケートすると、
    「自分の良心!」と応える人が多いということを聞いたことがありますが、
    なるほどと納得できます。

    これほどに<自己の良心>に信頼できるのは自己都合の<我欲・肉欲>だけでなくて、
    【神の愛=主イエス】の【聖欲:隣人愛】も私の【霊性:魂[勇気]・善意・良心】に
    共存していることを信じているからだと私は実感できます。

    ●【良心】とは人間の行いの善悪を判断し、善を命じ、悪を禁じ、善をほめ、
     悪を戒める神よりの心の声である。
     人間は心の中に刻まれた法を持っており、それに従うことが人間の尊厳であり、
     また、人間はそれによってさばかれる。
     【良心】は人間の最奥であり、聖所であって、そこでは人間はただひとり神と共にあり、
     神の声が人間の深奥で響く(カトリック要理:ロマ書2-15~16)
    ●神が命じ人が神に応える所に【良心】がある。【良心】は人の神覚である、
     人を離れて人が独り神と相対して立つ時に【良心】がある。(内村鑑三)
    ●道徳は人の道であり、【良心】は神の生命である。(内村鑑三)

    さらに欧米は【個人主義】だと嫌悪する人もいますが、それは「個人主義=利己主義」で
    自分勝手で我欲を通すように解釈して「他人本位」の伝統的日本価値観から見るならば
    否定的公式となっていると感じます。従って、日本人は「社会主義」が大好きです。

    最近の日本の政治家も行政も<自己本位>を否定して愛国心・公共心を育成強化させる
    教育改革を目指して、さらに<他人本位>を推進しているように思われます。
    そうすれば現在の混乱腐敗した社会が改善されると思っているのでしょうか。

    しかし<罪人の頭><自己本位・エゴイスト>で自分勝手な私から言わせてもらえば、
    最悪の<自己本位>を抑えたければ、無理やりに<他人(社会)本位>に引き戻させずに、
    崇高で美しく魅力的な【神の愛=主イエス】の【福音:真理の御言葉・聖書・聖句】に
    引き上げる方が私の【霊性:魂[勇気]・善意・良心】を喜ばせて<自己本位>を
    最善発揮できます!

    ●人を救うとは彼を彼の神なる在天の父に導くことなり。
     我に我が父を示す者、これわが師なリ、我が恩人なり(内村鑑三)
    ●国のために神を信ぜず、神のために国を愛す。
     現世のために来世を説かず、来世のために現世を警(イマシ)む。
     霊魂のために肉体を潔む(内村鑑三)

    つまり<自己本位・エゴイスト>は一度の大切な人生を華々しく輝かせたい!と切望し、
    自分をいつも美しく、かっこよく磨くことに喜びとする【理想主義】であるからです。

    だから【主イエス】は【罪人:エゴイスト】に向かって、現世・隣人を愛するよりも、
    先ずは崇高で永遠不変の【真理】である魅力的な「神を愛せ!」と教えたのです。

    ●イエスは言われた、
     『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、主なるあなたの神を愛せよ』
     これが一番大切な、第一の戒めである。第二もこれと同様である。
     『自分を愛するように、あなたの隣人を愛せよ』
     これらの二つの戒めに、律法全体と預言者とが、かかっているこの二つの戒めに
     優る掟はない(マタイ伝22‐37~40、マルコ伝12‐29‐31、ルカ伝10‐26~28)
    ●心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くし、主なる汝の神を愛せよ
     (申命記6‐5)
    ●【愛の順序(内村鑑三)】
     第一に神を愛すべし、第二に世界と人類を愛すべし、第三に国と国人を愛すべし、
     第四に自己と家族を愛すべし

    【神の愛=主イエス】を素直に受け入れられないのは
    自分が<エゴイスト・自己本位>でない証明といえるでしょう。

    織田信長は日本の代表的な<エゴイスト>だといえるでしょう。
    だからこそ、彼は素直にキリスト教を受け入れ、宣教師を大切にしたのだと思います。

    そして楽市楽座など<個人主義>の「自由主義思想」を実現させた先駆者だったと
    私は理解しています。

    一方で徳川家康や現代にも台頭する独裁者ほど「キリスト教精神」を警戒し嫌悪します。
    彼らは自分勝手な<エゴイスト・自己本位>ではなく常に疑い深くて自分も信じられず、
    従って世間の評価や周囲を気にし過ぎる<他人本位>である証明だと私には思えます。

    幼い頃を思い返せば、私たちは誰でも自分勝手な<エゴイスト・自己本位>であった事を
    思い出せるでしょう。

    しかし社会で生きるために<他人本位>になるように教育され矯正されて、日本では
    <他人本位>である事が「子供から大人になった」とみなされるのではないでしょうか。

    面白いことに【主イエス】は【幼な子・幼な心】こそ大切にしなさいと言われました。
    それは<自己本位>だからこそ生まれる素直さ、率直さを愛されるのだと私は思います。

    世間体・他人任せ・戒律遵守でなく自分の【霊性:魂[勇気]・善意・良心】に従う
    衝動こそが【幼な心】であると私は理解します。

    ●有限の我等が無限の神に対して幼な心を懐くにいたって救われる。
     すなわち、幼な子となりて救われる(内村鑑三)
    ●知恵のある者や賢い者に隠して、幼な子のような者にあらわした
     (マタイ伝11-25、ルカ伝10-21)
    ●幼な子をそのままにしておきなさい。私のところに来るのを止めてはならない。
     天国はこのような者の国である(マタイ伝19~14)
    ●私たちは幼な子であった時には、幼な子らしく語り、
     幼な子らしく感じ、幼な子らしく考えていた。
     しかし、おとなになった今は、 幼な子らしい事を捨て去った
    (コリント前書13-11)
    ●天国とはそのような者(幼な子)の国である。
     幼な子のように神の国を受入れる人でなければ、
     決してそこに入いることはできない
    (マタイ伝19-14、マルコ伝10-13~16、ルカ伝18-15~17)
    ●意図には素直さを保ち、愛情には清らかさを保つべきである(トインビー)
    ●どんな洗練された大人の中にも、外に出たくてしょうがない小さな子供がいる
    (ディズニー)

    私たちは自己の【霊性:魂[勇気]・善意・良心】の【内なる声】を大切に守る為にも、
    自己の【ビジョン:理想・夢望・念志】を大切にし<自己本位・エゴイスト>である事を
    世間に相手にされずとも、独りでも恥じず自粛せず恐れず雄々しく前進し続けましょう!

    ●あなたは、あなたの深く強い願望そのものである
     あなたの願望が、あなたの意欲をつくり
     あなたの意欲が、あなたの行為をつくり
     あなたの行為が、あなたの運命をつくる
    (ブリハッドアーラニヤカ・ウパニシャッド:インドの聖典)
    ●自分の道を進む人は、誰でも英雄です(ヘッセ)
    ●夢を求め続ける勇気さえあれば、すべての夢は必ず実現できる(ディズニー)
    ●志が一度確立すれば、人に求めたり、世の中に願ったりすることもなく、
     断固とし、一人でも楽しみながら実行する(吉田松陰)
    ●私たちは、いつも、こうなりたいと望むものになれる(ナイチンゲール)
    ●自らの意志の主人となり自らの良心の奴隷となれ(リーブ・ラズロー)
    ●幾たびか辛酸を経て、志ははじめて固まるものだ。その志を貫くためには、
     玉となって砕けることを本懐とすべきであって、志をまげて瓦となってまで、
     生きながらえるのは恥とする(西郷隆盛)
     ★<玉>=価値あるもの[正義・名誉]⇔<瓦>=がらくた[生き甲斐の無いもの]

    世間・家族の意見に反しても<自己本位>の【霊性:魂[勇気]・善意・良心】に従った
    【ビジョン:理想・夢望・念志】には【神の愛=主イエス】を身近に体感できます!

    ●常に神は内に在る、この意識がなければ、
     いかなる偉大な達成も、なされないだろう(エドガーケイシー)
    ●魂には眼がある。その眼だけが真理を認める(プラトン)
    ●誰かに向かって「それは不可能だ」などと言ってはいけない。
     神はその不可能なことをやってしまうほど無知な者を
     ずっと待ち続けているのかもしれないのだから
     (ジョン・アンドリュー・ホームズ)
    ●神よ!私がいつも、創造できる以上のことを望むことを、許したまえ!
     (ミケランジェロ)
    ●人々が「失われた」と言うところで、神は「見いだした」と言い、
     人々が「裁かれた」と言うところで、神は「救われた」と言い、
     人々が「否」というところで、神は「然り」と言う。
     人々がなげやりな気持や、高慢から、目をそらせるようなところで、
     神は他のどこにもない愛のこもった目を向けるのである(ボンヘファー)
    ●人に捨てらるるは神に拾わるるなりき、
     人に憎まるるは神に愛せらるるなりき、
     人に絶たるるは神に結ばるるなりき(内村鑑三)

    <他人(社会)本位>で世間的に「立派な大人」になるよりも【神の愛=主イエス】と
    親密な<相思相愛の関係>で【霊性:魂[勇気]・善意・良心】は【神の愛=隣人愛】に
    満ち溢れた<自己実現&【神の愛】実現>の<自己本位>を目指しましょう!

    ●誰でも皆、偉大な人になれる。人は誰でも必要な存在となれるのである。
     大学に行き、学位を取ることが、人に必要とされる存在になるのではない。
     あるいは学識があって優れていればできるのでもない。
     人が必要とされる存在になる為には、心が愛で満たされることが重要である。
     何故なら霊魂は愛によって成長するからである(キング牧師)
    ●今日も、明日も、困難が待ち受けている。しかし、それでも、わたしには、夢がある
    (キング牧師)
    ●あなたの夢は何か、あなたの目的は何か。それが明らかならば、必ずや道は開かれる
     (ガンジー)

    そして自分が大好き!な<心意気>を大切にした<自己本位・エゴイスト>を突き抜けて
    【神の愛=主イエス】が託す【ミッション:大義・使命・天職】に導かれることによって
    【神の愛=隣人愛】に輝く【ビジョン:理想・夢望・念志】を<人生の旗印>に掲げ
    【隣人・社会】に貢献して世界を舞台に<世界最大の者>となって大活躍しましょう!

    ●われわれが内に向かって、われわれのなすべきことをしたら、
     外に向かってなすべきことは、おのずとなされるでしょう(ゲーテ)
    ●人生をもっとも偉大に使う使い方というのは、
     人生が終わってもまだ続くような
     何ものかのために使うことである(ウィリアム・ジェームズ)
    ●人の一生は、どう生まれついたかではなく、どう生きるかで決まる(ベル)
    ●あらゆる奥義と知識に通じていても、山をも移す強い信仰があっても、
     もし、愛がなければ無に等しい。自分の全財産を人に施しても、
     自分の体を焼かれるために渡しても、もし、愛がなければ、一切は無益である
     (コリント前書13-1~2)
    ●<世界最大の者>(内村鑑三)
     知識をもって腕力に克つべし
     信仰をもって知識に克つべし
     愛をもって信仰に克つべし
     愛は進化の終局なり、最大の能力なり。
     愛に達して我らは世界最大の者となるなり。

    最近、米国のペンシルバニアで「進化論」はあくまでも一つの<仮説>と位置づけて
    教育指導するように州政府が命じても現場教師が反対し「進化論」を仮説とする指導に
    抵抗しているというような報道を観ました。

    何度も述べたことですが「キリスト教」が「進化論」を完全否定するのはあまりにも
    教条主義に陥っていると思えてしまいます。

    【神の愛=主イエス】を信愛する私個人は「アメーバ」が私の祖先とは愚かしくて断じて
    信じません。下等と思われるアメーバも単細胞として現在のままでも
    既に十分に万全であるからです。

    空を自由自在に飛べる鳥は素晴らしく魅力的な生き物であって私は憧れるし大好きです。
    しかし、彼らは自由の利く両腕がありません。
    もし、鳥に人間のような両手があったら、世界は鳥に支配されていたでしょう。
    つまり、たとえ「進化論」が実在しても、<進化>には<限界・制限>があるはずです。
    それが【神愛方程式=神愛摂理】だと私は信じるのです。

    もし最初に無力のアメーバが奮闘努力して数十億年を経て様々な生物に進化し続けて、
    現在の人間になれたとしても人類になる為に献身してくれた<過去の功績>を評価して
    <天地創造>を否定するだけの「進化論」なら、私にはまったく魅力を感じません。

    しかし「進化論」は過去ではなく私たちが未来の【ビジョン:理想・夢望・念志】実現を
    目指す時には、魅力的で有効な価値観といえるでしょう。

    本当に進化論が存在するならば、現在の私たちもアメーバのように<現実的不可能>を
    【ビジョン:理想・夢望・念志】を抱いて実現を信じて後世に継承しなくてはなりません。

    共産主義者が「ユートピア」実現を目指したのも進化論を信じたからといえるでしょう。

    望み得ないものを信じ続けた【キリスト精神】【キリスト道:聖愛・聖義・聖徳・聖善】こそ
    究極の<進化論主義者>です!

    ●望み得ないことを、なおも望み信じ続ける!(ロマ書4‐16~18)
    ●キリスト教は理想ではない、事実である。理想が事実となって顕れたるものである。
     すなわち真個の理想である。
    「なすべき」はキリスト教ではない、「なしうる」がキリスト教である(内村鑑三)
    ●アブラハムは忍耐強く待ったので、約束のものを得たのである(ヘブル書6‐15)
    ●彼(アブラハム)は神の約束を不信仰のゆえに疑うようなことはせず、かえって
     信仰によって強められ、栄光を神に帰し、神はその約束されたことを、また
     成就することができると確信した(ロマ書4‐20~21)

    常に死後の世界である【来世・天国】を確信して【主イエス】の再臨を信じ望み続けて、
    この世に<千年王国・メシア的王国・神愛王国>によって【エデンの園】復活させる!
    <現実的不可能>な【ビジョン:理想・夢望・念志】を心に抱きながら、
    見えざる【神の愛=主イエス】に信愛して、明るく元気に未来に向けて
    この世では<寄留者>として前進し続けている姿は「進化論的」とは思いませんか?

    ●これらの人はみな、信仰を抱いて死んだ。まだ約束のものを受けていなかったが
     はるかにそれを望み見て喜び、そして、地上では旅人であり寄留者であることを
     自ら言い表した(ヘブル書11‐13)
    ●偉人の生涯は我々に教える
     我々もまた高貴に生き得ることを
     そして彼亡きあとには 時の砂上に足跡を残すことを。
     別の弱い、よるべなき兄弟は人生の荒海を渡りつつ
     おそらく、それを目に留めて新たに勇気と奮い起こすであろう足跡を(ヒルティ)

    アメーバも動物も弱者で少数派こそが<新天地>を目指して挑戦し続けた「進化論」には、
    私のような世間的に弱小者には勇気と励ましであり、希望と慰めが与えられます。

    ●キリストは少数である。福音は少数の意見である(内村鑑三)
    ●人数が少ないからといって世界を変える力はないと侮るなかれ。
     世界を変えてきたのはまさしく少数の力なのである(マーガレット・ミード)
    ●大いなる事業が完成されるためには、ひとつの精神があれば足りる。
     千の手を動かすために(ゲーテ)
    ●すべて偉大なことは、小規模に少人数から始まるものだ。
     あなたはそれを覚悟しなければならない。
     そして、子供たちを教育するにも彼等が少数派に属することを平気なように
     導かねばならない(ヒルティ)

    現在の私たちに世間的な能力も実績もなくて<無一物>であっても心配ご無用です!
    <不屈の楽天・楽観力>【パッション:患難善転力・感受感化力・霊能活気力】で
    <最愛の我が子・我が分身>【ビジョン:理想・夢望・念志】を大切に守り育てれば、
    世界を変えられるからです!

    ●この動揺する時代に自分までぐらつくのはわだ災いを増すばかり、
     おのれの志を守ってゆずらぬ者だけが世の中をつくりあげて行くのだ(ゲーテ) 
    ●大切なのは偉大な意欲をもち、それを貫くだけの技量と堅忍力とをもつことだ
     (ゲーテ)
    ●あなた方は耐え忍ぶ事によって自分の魂を勝ち取りなさい(ルカ伝21‐19) 
    ●あなた方は自分の持っている確信を放棄してはいけない。
     その確信は大きな報いが伴っているのである。
     神の御旨を行なって約束のものを受けるため、あなた方に必要なものは忍耐である
     (ヘブル書10‐35~36)
    ●<松陰が亡くなる一年前に弟子に送った漢詩>
     「志を立てるためには人と異なることを畏れてはならない
      世俗の意見に惑わされてもいけない
      死んだ後の業苦を思いわずらうな
      また目前の安楽は一時しのぎと知れ
      百年の時は一瞬にすぎない
      君たちはどうかいたずらに時を過ごすことのないように」
      (NHK「その時歴史が動いた」より)
    ●何よりもまず神を制限しないように注意すべきである。
     ただ不信仰によるばかりでなく、
     神が何を成し得るかということを想像して神を制限してはならない。
     今まで期待しなかったことを期待しなさい。
     私たちのすべて求める所、思う所にいたくまさることを期待しなさい
    (アンドリュ-・マ-レ-)
    ●私たちの財産、それは私たちの頭の中にあります(モーツァルト)

    私たちには【ビジョン:理想・夢望・念志】を守り育てる【最善・最強の味方】である
    【神の愛=主イエス・聖霊】があるから安心です!

    【希望】が【確信】となる【神の愛=主イエス】を【信仰:信愛・信頼・信従】する
    【神助道:神助精神・神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】のお任せ人生で
    【ビジョン:理想・夢望・念志】に向かって<自己実現&【神の愛】実現>となる
    <自己本位>に前進し続けましょう!

    ●恐れるな、私があなたと共にいるからだ(イザヤ書43-5)
    ●恐れるな、私はあなたと共にいる。たじろぐな、私があなたの神だから。
     私はあなたを強め、あなたを助け私の義の右の手であなたを守る
     (イザヤ書33‐15、41‐10)
    ●しっかりするのだ、私である。恐れることはない(マタイ伝14‐27)
    ●我等に臨む患難は多し、されど主は我等をみなその中より助けだし給う
     (詩篇34‐19)
    ●愛の中に恐怖(オソレ)あることなし、全き愛は恐怖を除く(ヨハネ第1書4‐18)
    ●もうあなたは泣くことはない。あなたの叫び声に応じて、主は必ずあなたに恵み、
     それを聞かれるとすぐ、あなたに応えてくださる(イザヤ書30‐19)

    皆さんが世間的に見れば究極の<エゴイスト・自己本位><進化論主義者>として
    【神助道:神助精神・神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】のお任せ人生で
    【ビジョン:理想・夢望・念志】実現に挑戦して大活躍されることを
    心より応援しています!

    ●生活は必ず不断の進歩であって、その日その日が一つの創造であるべきである
     (ヒルティ)
    ●希望は時々刻々この世に臨みつつあり、腐敗の累積はあえて恐るるに足らざるなり
     (内村鑑三)
    ●The Best is yet to come!<最善の時はこれからだ!>
    (ブラウニング)
    ●あなたができること、あるいはできると夢見ていることがあれば、
     何でも始めてみることだ。
     大胆さには本来、天賦の才、力、そして魔力が備わっている。
     今こそ、それを発揮させよう(ゲーテ)
    ●私たちは四方から患難を受けても、窮しない
     途方にくれても、行き詰まらない
     迫害にあっても、見捨てられない
     倒されても、滅びない(コリント後書4-8~9)
    ●私たちは、キリストによってこのような確信を神の前で抱いている。
     もちろん、独りで事を定める力や何かできるなどと思う資格が、
     自分にあるということではない。
     私たちの資格は神から与えられたものである。
     神は私たちに力を与えて、新しい契約に仕える者とされた。
     そして、文字【十戒】ではなく霊【聖霊】に仕える資格を与えてくださった。
     文字【十戒】は殺すが、霊【聖霊】は生かす(コリント後書3-4~6)

    ハレルヤ!栄光を主に帰します。
    主に感謝します!アーメン

    それでは今日も明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい。
    May grace and peace be with your spirit.
    Good luck & God bless you!
     
    メイル歓迎します!
    cforum@tanaka.name
    田中 聡(さとし)








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