【礼拝】&【神助】で心配御無用!
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【礼拝】&【神助】で心配御無用!

2018-06-30 13:50

    ◇◇ 【神助】に頼るならば、一切の心配ご無用! ◇◇
    【2001年7月20日に作成した<第163回>に加筆】
    ★★【ゲッセマネの祈り】に学ぶ★★

    ●我が扶助(タスケ)は天地を造り給える主より来る(詩篇121-2)

    ●【ゲッセマネの祈り】
    (マタイ伝26‐36~44、マルコ伝14‐32~42、ルカ伝22‐39~46)
    ◆「私は悲しみのあまり死ぬほどである」(マタイ伝26‐38、マルコ伝14‐34)
    ◆「アバ、父よ、あなたには、できないことはありません。
      どうか、この杯を私から取りのけて過ぎ去らせて下さい。しかし、私の思いでなく、
      御心のままになさってください。」(マタイ伝26-39、マルコ伝14‐36)
    ◆イエスは苦しみもだえて、ますます切に祈られた。
     そして、その汗が血のしたたるように地に落ちた(ルカ伝22-44)

    【神の愛=主イエス】に大事にされ大切なる皆様こんにちは!ご愛読感謝します!
    世界各国で愛読されている皆様、お元気ですか?ご活躍を心より応援しています!

    精神苦・病苦・経済苦・社会苦など大小様々な<患難辛苦>に直面し立ち向かう
    <対戦・応戦・抗戦>意欲に導びく<最高!最善!最美!>の<無限の源泉>が
    【神の愛=主イエス&聖霊】が与えてくれる【神愛力=隣人愛&奇蹟】です!

    私たちの人生は心配と不安だらけです。完全主義でマイナス思考ならばなおさらです。

    ところで<人間理想>である【主イエス】ご自身は人間理想で常に革新的で実践的な
    【先駆開拓精神:★挑戦魂★前向き/プラス思考★オープン・マインド】にに満ち溢れた
    <不屈の楽天・楽観力>【パッション:患難善転力・感受感化力・霊能活気力】で
    【キリスト道:聖愛・聖義・聖徳・聖善】の<生き様・死に様>でした。

    そんな【主イエス】ご自身でも、弟子との最後の晩餐を終えて、ユダの裏切りによって、
    捕えられる直前に、とても悲しみと苦しみに陥ったことが、上述のように【聖書】には
    【ゲッセマネの祈り】として克明に記されています。

    この記録こそが、私たちに大いなる慰めと励ましと勇気と希望とを与えていることに
    私は感謝しています!ハレルヤ!

    これから【主イエス】自身の身に起こる≪生涯最大の試練≫である恥辱と悲嘆・苦痛の
    【十字架上の贖罪死】の体験を直前にして、まるで<血の汗>がしたたるように懸命に
    恐れと悲しみと苦しみもだえる≪人間の姿≫を隠すことなく弟子の前に示す事によって
    【主イエス】は【神の愛】への【礼拝:★讃美★祈り★感謝】の<手本>を実践しました。

    人生最悪の<どん底>では【神の愛=主イエス】への【礼拝:★讃美★祈り★感謝】を
    捧げ続けて、耐え忍び困難を克服する【最善方法】を私たちに身をもって教示したのです。

    実際に≪災難≫が起きる直前の【ゲッセマネの祈り】では【主イエス】自身があれほどに
    恐れ悲嘆に暮れていたのに、現実に祭司長やローマの法官の前で辱められ拷問され大衆に
    愚弄され追放されて、恐るべき苦痛と恥辱のの<十字架>にはりつけられてしまいますが、
    その時には、【主イエス】自身は、もはや何の迷いもなく堂々として、そして威厳に満ちた
    光り輝く≪栄光の勝利者の姿≫でありました。

    ●私を呼ぶがよい。苦難の日、私はお前を救おう。
     そのことによって、お前は私の栄光を輝かすであろう(詩篇50-15)
    ●彼が私を呼び求めるとき、彼に答え、苦難の襲うとき、
     彼と共にいて助け、彼に名誉を与えよう(詩篇91-15)
    ●苦難の中から主を呼び求め、わたしの神に向かって叫ぶと、その声は神殿に響き、
     叫びは御前に至り、御耳に届く(詩篇18-7、サムエル後書22-7、)

    私たちは人生の【患難辛苦】が現実に起きる前に、あれこれ想像して、
    とても不安になり心配におしつぶされそうになります。

    ある統計では現実に起きるかもしれない【患難辛苦】について起きる前から想像して
    心配・不安・恐怖することのうち、実際に現実になってしまうのは
    全体の10パーセントもないという話まであります。

    ●すべての困難は、それがのちに現実となった時よりも、
     その前に想像された時の方が、よほど困難に思われる(ヒルティ)

    だからといって、私たちは、このような現実に起きる前の<取り越し苦労>による
    心配・不安・恐怖から逃れるのは困難です。

    そこで【主イエス】が人類全体のために、身をもって率先して実践して教示した方法が
    まさに【ゲッセマネの祈り⇔神様への祈り】であり<死に様>で見事に証明しています!

    ●やって見せ 言って聞かせて させてみて ほめてやらねば 人は動かじ(山本五十六)
    ●【偉大な大祭司イエス(ヘブル書4-14~16、5-1~10)】
     私たちには、もろもろの天を通って行かれた偉大な大祭司、神の子イエスが
     与えらているのだから、私たちの告白する信仰を堅く守ろうではないか。
     この大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、
     あらゆる点において、私たちと同様に試練に遭われたのです。
     だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、
     大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。
     大祭司はすべて人間の中から選ばれ、罪のための供え物やいけにえを献げるよう、
     人々のために神に仕える職に任命されています。
     大祭司は、自分自身も弱さを身にまとっているので、無知な人、迷っている人を
     思いやることができるのです。

    【患難辛苦】が現実に起こる前に【礼拝:★讃美★祈り★感謝】】を通じて
    <神助:祝福・恩恵>【神愛奇蹟】を求めることで栄光も勝利を勝ち取ることが
    できるのです!ハレルヤ!主に感謝します!

    ●起こるかもしれない不幸に対する心配は是非とも忍ばねばならない現実の不幸よりも
     一層ひどく人の力を消耗させる。実際の不幸は、しばしば外的な手段や努力によって
     打ち克つこともできるが、心配は神への強い信頼によってしか徹底的に打ち克つ事が
     できない(ヒルティ)

    私たちの多くは【主イエス】の弟子たちが陥ったように、現実の<困難>が来る前に
    祈る事も神への助けを求める事もせず、心配しておろおろするか、人や世間に頼るか、
    又は何も考えずに眠ってしまうかのいずれかで、時を浪費するのではないでしょうか。

    しかし、【主イエス】ご自身は孤独の絶望的な悲しみの中にあって、ただひたすらに、
    【神の愛】に【礼拝:★讃美★祈り★感謝】して【御心】と【神助】を求めたのです。

    【神の愛=主イエス】への【礼拝:★讃美★祈り★感謝】が、生涯における大小様々な
    【患難辛苦】を克服するための≪最善・最強の手段≫であることを体感しましょう!

    ●お前を悩ますのは誘惑だ。またお前をひどく脅かすものは根もない恐怖心である
    (トマス・ア・ケンピス)
    ●お前の意図に反しても、それは全くもう駄目だというわけではない。
     目前の感じによって物事を判断するのは間違いである(トマス・ア・ケンピス)

    先ずは、たった独りでも【神の愛=主イエス】に【礼拝:★讃美★祈り★感謝】して
    <神助:祝福・恩恵>【神愛奇蹟】を求めることを実践しましょう!

    ●<神助>(内村鑑三)
    ◆神を信ぜよ、さらば神は汝の必要に応じて全ての善き物をもって汝を恵まん。
     ⇔ ★天来の思想
       ★外来の友人
       ★意(オモ)わほざる汝に臨む全ての恩恵の手段(テダテ)
    ◆汝の事業を助けん。
    ◆汝の目下の境遇をもって汝の力を量るなかれ。
    ◆汝は信仰をもって神の力を汝の力となすを得べし。
    ◆多くを望めよ、そは天にいます汝の父はその恩恵の宝庫を開いて
     汝の来りてこれを求めんことを待ちつつあり給えばなり。
    ●私を強くして下さる方によって、何事もすることができる(ピリピ書4-13)

    そうすれば自力や世間の叡智と力を結集しても到底解決不可能と想像される困難でも、
    【神助道:神助精神・神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】のお任せ人生は
    <神助:祝福・恩恵>で万事が万全であり、【神愛奇蹟】も起こります!

    ●あなた(神)には、全てができること、
     あなたは、どんな計画も成し遂げられることを私は知りました(ヨブ記42‐2)
    ●イエスは彼らを見つめて言われた「人にはできないが、神にはできる、
     神には何でもできないことはない」
    (マタイ伝19‐26、マルコ伝10‐27、14‐36、ルカ伝18‐27、創世記18‐14、ヨブ記42‐2)
    ●ああ、主権者なる神よ!主よ!誠にあなたは大いなる力と伸ばされた御手とによって
     天と地を造られました。あなたには何一つできないことはありません(エレミヤ書32‐17)
    ●主は御心にかなう望むところを御旨のままに喜びとなるように、
     ことごとく行なわれる。天で、地で、海で、また全ての淵で(詩篇135‐6)
    ●神は人でないゆえに偽りを語ることがなく、人の子ではないゆえに悔いる事もない。
     自ら述べてそれを行なわず、自ら語って約束されたことを成し遂げないことがあろうか
    (民数記23‐19)
    ●神には何もできないことはない(ルカ伝1‐37)

    【奇蹟】は<神頼み><祈り>でなく自助努力で自ら起こすものだという人がいます。
    しかし無能な私は自力でなく【神の愛=主イエス】にすがり頼り【神助】を求めます。
    その結果、現実に起きる前に、誰にも気づかれずに過ぎ去っていれば、世間が驚くような
    目立った<自助努力>も【奇蹟】なども一切不要です。

    野球の内野守備の≪超ファイン・プレー≫は観衆がみると、自然で簡単に処理しているようにしか
    見えないそうです。

    優秀な守備とは打球が飛んで来るずっと前に、どこに<打球>が来るか予測しているので、
    打つ前にポジションを移動して、いつも身体の真ん中で捕球できるからだそうです。

    一方で高校野球の内野守備によく見られるような打球に向かって右に左に飛びつくように
    ボールを捕えるのは、動きが派手で<ファイン・プレー>のように観衆には見えます。

    しかしプロの目から見ればファイン・プレーと言うよりも事前の判断予測のないままに
    ボールをあわてて追いかけているにすぎないのだそうです。

    人生における困難の克服も野球の≪超ファイン・プレー≫の守備に通じるものがあると思います。

    起こり得る【患難辛苦】の事前に【ゲッセマネの祈り】のように【神助】に頼り
    【神の愛=主イエス】に【礼拝:★讃美★祈り★感謝】すれば<心構え>ができ、
    <不屈の楽天・楽観力>【パッション:患難善転力・感受感化力・霊能活気力】で
    何も恐れず、騒がず、慌てる事も無く、多少は失敗や挫折があろうとも、
    自分らしい人生を堂々と満足して過ごせるはずです。
    【主イエス】を目標にして前進し続けましょう!

    ●祈りと思索とは決して対立するものではない。
     この二つともが、真理を完全に把握するのに必要なものである。
     思索は自ら真理を探求するために、そして祈りは神の啓示を預かる為に
     (ヒルティ)
    ●なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、
     神がキリスト・イエスによって上へ召してお与えになる賞を得るために、
     目標を目指してひたすら走ることである((ピリピ書3-13~14)

    <神助:祝福・恩恵>は無期限で無制限・無尽蔵の【賜物・無償ギフト・神恵】で
    <いつも一緒!>【神の愛=主イエス】はいつどこでも私たちがお願いさえすれば、
    一方的に何度でも、聞き入れて下さることは感謝感激です!

    ●神の愛は無限なり、かれの時もまた、無限なり。
     無限の愛を行うに無限の時をもってす(内村鑑三)

    たとえ恩知らずで自業自得の結果<奈落の底>で、もはや祈り求める気力も無くても、
    私たちの声にならない「うめき」までも聞きつけ即座に直接に助けに励ましに救いに
    私たちの心に駆けつけてくれるほどに愛してくださる【神の愛=御霊】の存在です!

    ●私はあなた(主)の御霊から離れてどこへ行けましょう。
     私はあなたの御霊を離れてどこへ逃れましょう
     たとい、私が天に昇っても、そこにあなたはおられ
     私が黄泉(ヨミ)に床を設けても、そこにあなたはおられます(詩篇139‐7~8)
    ●御霊もまた同じように、弱い私たちを助けてくださる。
     なぜなら、私たちはどう祈ったらよいかわからないが、
     御霊自ら言葉にあらわせない切なるうめきをもって、
     私たちのためにとりなし祈ってくださる(ロマ書8-26)

    私たちから<泥まみれ>でも<傷だらけ>のままでも無条件に頼り近づけば良いのです。
    私独りでは【天の父】にはあまりに恐れ多くて近づけなくても【主イエス=聖霊】が、
    私の【仲保者・弁護人】となってくれるので安心して無邪気な<幼な子>になって
    「父ちゃん!母ちゃん!」と泣きながらすがりつくことができます。

    ●キリストは天と地との接触点なり、神と人との間に立つ仲保者なり(内村鑑三)
    ●私の戒めを心に抱いている者は私を愛する者である。
     私を愛する者は私の父に愛されるであろう。
     私もその人を愛しその人に私自身をあらわすであろう。
     もし、誰でも私を愛するならば、私の言葉を守るであろう。
     そして、私の父はその人を愛し、また私たちはその人のところに行って
     その人と一緒に住むであろう(ヨハネ伝14-21,23)

    さあ、もう皆さんも一切の心配御無用ですね。明日に何かしら不安や心配があるならば、
    先ずは【神の愛=主イエス】に<アーメン!ハレルヤ!主に感謝!>の
    【礼拝:★讃美★祈り★感謝】しましょう!

    【神助】を求めてください。先ずは、感謝できること見つけて感謝しましょう。
    この【ゲッセマネの祈り】に従った習慣が身につけば、あなたは既に【神愛奇蹟】を
    自らの人生に手に入れたことと同じなのです。

    ●すべて労する者、重荷を負う者、我れに来たれ。我れ汝らを休ません
     (マタイ伝11-28)
    ●あなたの重荷を主にゆだねよ、主はあなたを支えてくださる。
     主に従う者を支え、とこしえに動揺しないように、はからって下さる
     (詩篇55-22)
    ●あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。
     主は計らい、主が成し遂げてくださる。
     あなたの正しさを光のように明らかにし、
     あなたのための裁きを真昼の光のように輝かせてくださる
     (詩篇37-5~6)
    ●あなたの為すべきことを主に委ねよ、
     そうすれば、あなたの計画はゆるがず、必ず成る(箴言16-3)
    ●わが魂よ。なぜ、おまえは絶望しているのか。
     なぜ、御前で思い乱れているのか。
     神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。
     私の救い、私の神を(詩篇43-5)
    ●神はあなた方をかえりみて下さるのであるから、
     自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい(ペテロ前書5-7)
    ●あなたの重荷を主にゆだねよ、主はあなたのことを心配してくださる
     (詩篇55-22)

    皆さんが【神の愛=主イエス】の【礼拝:★讃美★祈り★感謝】で霊的深呼吸して
    【神助道:神助精神・神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】のお任せ人生で
    支えられた素晴らしい感動と<神助:祝福・恩恵>【神愛奇蹟】と共に、
    <最愛の我が子・我が分身>【ビジョン:理想・夢望・念志】を<人生の旗印>に
    人生にチャレンジされることを心より応援しています!

    ●愛の中に恐怖(オソレ)あることなし、全き愛は恐怖(オソレ)を除く
    (ヨハネ第1書4-18)
    ●愛は重荷を感ぜず、労苦を顧みず、自分の力以上のことを行ないたがる
     (トマス・ア・ケンピス)
    ●不可能を口にしないのは万事が自分にとり可能であり、
     許されていると考えるからである(トマス・ア・ケンピス)
    ●愛は万事に対する能力をもち、愛しないものならば、
     力尽きて倒れる場合にも多くの事を成し遂げ功を奏させる
     (トマス・ア・ケンピス)
    ●あなたらしく生きる、そのための道は、後にも先にも二つだけです。
     一つは、奇跡などありえない、とする道。
     もう一つは、すべてが奇跡である、とする道(アインシュタイン)
    ●あなたができること、あるいはできると夢見ていることがあれば、
     何でも始めてみることだ。大胆さには本来、天賦の才、力、
     そして魔力が備わっている。今こそ、それを発揮させよう(ゲーテ)
    ●私たちはこのように多くの証人に雲のように囲まれているのであるから、
     一切の重荷とからみつく罪とをかなぐり捨てて、
     私たちの参加すべき競争を耐え忍んで走りぬこうではないか。
     信仰の導き手であり、また、その完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、
     走ろうではないか(ヘブル書12‐1~2)
    ●あなたの口を大きく広くあけよ、私(神)はそれを満たそう(詩篇81-10)

    ハレルヤ!栄光を主に帰します。
    主に感謝します!アーメン

    それでは今日も明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい。
    May grace and peace be with your spirit.
    Goodluck & God bless you!

    メイル歓迎します!
    cforum@tanaka.name
    田中 聡(さとし)








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