【ビジョン:理想・夢望・念志】で<神愛事実の子・神愛自由人>に導く<真理>【神愛方程式=神愛摂理】【神の愛=主イエス】!
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【ビジョン:理想・夢望・念志】で<神愛事実の子・神愛自由人>に導く<真理>【神愛方程式=神愛摂理】【神の愛=主イエス】!

2019-06-30 11:52

    ◇◇事実の子たれよ、理論の奴隷になるなかれ(内村鑑三)◇◇
    【2004年12月21日に作成した<第356回>より】

    ●人は止まらんとし、神は動かんとし給う
     人は固執せんとし、神は溶解せんとし給う
     人は制定せんとし、神は産出せんとし給う(内村鑑三)

    【神の愛=主イエス】に大事にされ大切なる皆様こんにちは!ご愛読感謝します!
    世界各国で愛読されている皆様、お元気ですか?ご活躍を心より応援しています!

    精神苦・病苦・経済苦・社会苦など大小様々な<患難辛苦>に直面し立ち向かう
    <対戦・応戦・抗戦>意欲に導びく<最高!最善!最美!>の<無限の源泉>が
    【神の愛=主イエス&聖霊】が与えてくれる【神愛力=隣人愛&奇蹟】です!

    日本で年末恒例の「ベートーベン第九合唱つき」は発祥の地である欧米では
    「特別な祭典」の時にだけ演奏されるような「モニュメント」的存在と聞きました。

    今年チェコ・フィルが日本に来日して「第九」を演奏するよう依頼された時、
    名誉ある演奏ができることに楽団一同とても喜んだそうです。彼らが世界で
    演奏するときの大半は、同じチェコ出身のドボルザークの「新世界」が
    通例のリクエストであったからです。

    私たちは知らず知らずに通例や先例や世間的常識など決められた「理論」に
    とらわれがちだと思います。「第九は貴重な楽曲」とあまりにも大切に思うことが、
    欧米人を「理論」の奴隷にしてしまった事例です。

    ベートーベンが心から望んでいたことは、いつでもどこでも世界中で演奏され
    歌われることだと信じます。特別な祭典向けに創られたのでもなく、
    神棚に飾って崇拝するようにと願っての音楽ではないからです。

    以前にも紹介したように、ベートーベンは23歳の時に「喜びの歌」の原典である
    シラーの詩に出会います。

    彼は「喜びの歌」に沿った音楽を創る事を決意しますが、
    30年後になってようやく「第九」は完成したのです。

    30年の間、彼は【自由・平等・寛容・博愛精神】を【人間の理想】と目指して、
    ナポレオンに期待しますが、自ら皇帝となったことに激怒して失望し、
    次にはナポレオンの失脚後のウイーン会議で約束された決議に期待しますが、
    またも裏切られ絶望します。そして、彼は国家権力からも監視される
    不自由な立場にまで追い込まれます。

    さらに【試練:神愛の導き】は続き肉体的にも難聴が進んで「音楽的生命」の
    危機にまで追いこまれます。
    しかし、だからこそ、ベートーベンは自力にのみ頼ることなく、
    【人間の理想】に盲信することなく、ついには【神の愛:汝の不思議な力】を
    受け入れることができた!ことこそが【事実】だと、私は理解しています。

    ●汝の不思議な力は 時流が 厳しく引き離したものを再び結び合わせる
     すべての人々は兄弟となる 汝のやわらかな翼がとどまるところにて

     ひとりの友を真の友とするという 大きな難事を成し遂げたもの
     また優しき妻を得ることができた者 そのような人々は歓声をあげよ!
     
     そうだ この地上で 一つの魂でも自分のものと呼び得る者も!
     しかしこれをできなかった者は 涙を流しながらこの集いから立ち去れ
    (「歓喜の歌」<フリードリッヒ・シラー/平野 昭 訳  構成 小川伊作>より)
    ●理想の実現は(不可能と見えるのは)人間の力や制度によるのではない!
     「万軍の主の熱心これ成し給うべし(イザヤ書9-7)」(内村鑑三)
    ●神には何もできないことはありません(ルカ伝1-37)

    日本だけが「理論」の奴隷にならずに、「事実の子:自由人」として
    【ベートーベンの魂:第九】を解放させた!
    年末の多忙な時期に「行く年・来る年」を祝い、
    知らず知らずのうちに、【神の愛=主イエス】を讃美している!
    素晴らしき挑戦ではありませんか!
    ベートーベンも喜んでいると確信します!ハレルヤ!主に栄光を帰します!

    ●これらの人はみな、信仰を抱いて死んだ。まだ約束のものを受けていなかったが、
     はるかにそれを望み見て喜び、そして、地上では旅人であり寄留者であることを
     自ら言い表した(ヘブル書11‐13)

    世界を代表するゴッホにしても、興味深い【事実】が、ゴッホ愛好家である独りの
    日本人によって解明されたことも素晴らしき挑戦でした。(メルマガ123回に詳細記載)

    ご存知のようにゴッホは日本の風景に特別な愛着があったようで、
    生前日本を訪問したい!と願っていたそうです。
    彼の生涯は悲惨で、晩年は耳を切断したり、病的になっていたというのが
    「理論:一般的常識」となっていました。

    ゴッホは晩年に自殺未遂を起こします。それが原因で病死しますが、
    その直前まで描いていた「遺作」は従来の見解では、弟テオの妻であったヨハンナの
    主張する陰鬱な夕闇せまる風景画である「カラスの群れ飛ぶ麦畑」とされてきました。

    この見解が世界的に認められてきたのは、ゴッホの晩年は精神的に病んでおり。
    しかも経済的にも芸術的にも絶望し孤独と不安があって死の予感があったのだと
    思われたからでしょう。だから自殺三日前の心境を絵画に表現したのだと…。

    しかし、この「理論:常識的見解」の呪縛を見事にくつがえしてみせたのが
    日本のゴッホ研究家の一人者の小林さんです。
    小林さんは全く異なる絵画を選び、それが最後まで手がけた作品であり、
    ゴッホ自身の遺作であり、愛するテオ家族への「遺言」であったに違いないと
    結論づけます。

    小林さんが「遺作」と考えるその作品は日本の広島の「ひろしま美術館」に所蔵される
    「ドービニーの庭」という作品であり、森と花と芝草に満ちた楽園の薗のように
    美しい風景なのです。従来考えられていた「病的風景」などではありません。

    この庭はドービニーがかつて住んでいた場所で、ドービニーとはゴッホが伝道士を
    目指していた頃からずっと敬愛していた風景画家だったのです。
    ゴッホが晩年過ごしたオヴェール時代に出会えたことは【神愛の導き】であったとも
    言えるでしょう。

    さて小林さんは、さらにこの絵画には、ゴッホ自身の「遺言」が
    示されているのだという【事実:ゴッホの愛】を発見します。
    同じ場所を同じアングルで描いたもう一枚の絵画がテキサスに所蔵されていて、
    その作品と合わせて観て考えてみると、ゴッホの自殺前の心境が良く理解できます。

    彼はこの美しい庭の風景を何枚も描いていますが、テキサスにある作品には
    「黒猫」が手前に小さく描かれています。
    それは、そっとその場を申し訳なさそうに立ち去る姿に見えます。
    そして庭の中に、絵の中心近くにテーブルと椅子が三脚だけが描かれています。
    そこに腰掛けるのは、ゴッホが愛した弟とその妻と息子の三人なのでしょう。
    自分(ゴッホ)は金銭的に迷惑ばかりかけていて済まないといわんばかりの
    表現なのです。

    しかしゴッホはその後、ドービニーの庭の風景画に確実な構成を見出したと
    テオへの手紙にも書き残していますが、そこに新たなタッチと色彩が
    付け加えられるのです。

    それが、広島に現存する作品であると小林さんは発見します。
    テキサスの作品と比べると、全ての色彩が鮮やかであり描かれる線は
    強くはっきりとしています。さらに、あの自分を表したかのような
    「黒猫」の姿は消されています。

    そうです!その庭には愛する弟家族に穏やかに過ごしてもらいたい!という願いが
    込められているようにも見えます。
    まさにそれは「ゴッホの遺言」そのものです。

    「最愛なる弟テオよ、もうお金の心配はしなくていいからね。
     これからは君の家族で楽しく過ごしておくれ。」

    ゴッホは牧師の家に生まれ、はじめは牧師を目指しますが途中で挫折したと聞きます。
    その後に画家を目指しますが、芸術家仲間にもあまり理解されず、
    またゴーギャンとの共同生活では「耳切断事件」などを起こして、
    その後、精神病院に療養のため入院します。

    しかし、彼の心は全く正常であったと思います。たまたま周囲の人間関係と
    うまくいかなかっただけなのです。その証拠に彼のテオや友人との書簡には
    明晰で穏やかな芸術を愛する人間ゴッホが存在しているからです。

    日本の現代でもそうですが、周囲の無理解が引き金となって突発的に
    自暴自棄に走る行為が生まれただけなのでしょう。

    ゴッホの人間そのものに美しき思いやりと優しさを感じさせるエピソードは
    たくさんあります。だから、世界中でも特に日本では、
    生誕150年後の現代でも、なお人気があるのではないでしょうか。

    ゴッホが日本に抱いた【ビジョン:理想・夢望・念志】が150年後の現代に
    実現されたのです!彼の「遺作」は彼がこよなく愛した日本に所蔵され、
    しかも、勝手な「理論」の奴隷になって見失われていた「ゴッホの名誉」までもが、
    独りの日本人の<神愛意欲:愛好心・好奇心・探究心>【神の愛=隣人愛】を持った
    【事実の子:自由人】によって復活されたことは、私たちの喜びです!

    【神の愛=隣人愛】の結晶である【聖書】も、同じ【神の愛】の【天然】と共通して、
    日々新たに成長している【霊的生命】であることが【事実】であると私は実感します。

    【神の愛】そのものである【聖書】も【天然】も人間の考える単なる「理論」の中に
    閉じ込められるような小さき存在ではなく日々成長し続け我ら<万事・万物・万象>を
    愛し守り育て<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>から<新天新地>に導き
    <無制限・無尽・無償>の【ダイナミック・パワー:堅信力・耐望力・熱愛力】と
    <一日一生!日々新た>な【バイタリティ:生活力=生命力+活力】で充霊して
    【霊性:魂[勇気]・善意・良心】を<パワーUP&UPグレード>してくれることを
    体感しましょう!

    ●真理は教会より大なり(内村鑑三)
    ●十字架の言葉は滅び行く者には愚かであるが、救いに預かる私たちには神の力である
    (コリント前書1-18)
    ●神は何らかの教会制度や、さらにある一定の学問の中に限られてはいない。
     そのようなものがなくとも、神は自らを知らしめ給う(ヒルティ)
    ●教理を知らないでもクリスチャンである者が少なくない。
     キリスト教は証明せらるべき教義ではなくて、
     生活さるべき一つの生命である(ヘンリー・ドラモンド)

    【神の愛=主イエス】<真理>【神愛方程式=神愛摂理】は常に少数派にあり、
    常に【先駆者・預言者】を助け、常に積極的・挑戦的・実践的精神を守り育ててくれる
    <不屈の楽観・楽天能力>【パッション:患難善転力・感受感化力・霊性活気力】と
    【先駆開拓精神:★挑戦魂★前向き/プラス思考★オープン・マインド】を実感できます。

    ●キリスト教の神は是(しかり)<yea/yes>である、
     否(いな)<nay/no>ではない (コリント後書1‐19)
     神は建つる者であって、壊す者ではない、奨励する者であって、
     批難するものではない(内村鑑三)
    ●すべて神の約束は彼の中に是(しかり)となり、また彼の中にアーメンとなる。
     神は是なり、またアーメンなり。彼は万事において積極的なり。
     しかして、人は神を信じて希望の人、歓喜の人、満足の人、すなわち
     全然積極的人物たらざらんと欲するもあたわざるなり
     (全てにおいて積極的人物となる) (内村鑑三)

    【神愛力=隣人愛】は日々新たな【新生命・新活力・新思想】を与えてくれる
    <無制限・無尽・無償>の【ダイナミック・パワー:堅信力・耐望力・熱愛力】と
    <一日一生!日々新た>【バイタリティ:生活力=生命力+活力】の源泉です!

    ●神の力強い活動によって働く力が、私たち信じる者にとって、
     いかに絶大なるものであるかを、あなた方が知るに至るようにと祈っている
     (エペソ書1-19)
    ●【神の力】(内村鑑三)
     神はただ愛と生命と精力とあるのみ。
     「これゆえに、我ら臆せず、我らが外なる人は壊(こぼ)たるとも、内なる人は
      日々に新たなり(コリント後書4‐16)」
     神にありて我が失敗は失敗にあらず、我が弱きは弱きならず!
     「(弱った者には力を与え、勢いのない者には強きを増し加えられる。
      年若い者も弱り、かつ疲れ、壮年の者も疲れ果てて倒れる。しかし、)
      我が神にありて新たなる力を獲、ワシの如く翼を張りて昇り、走れども疲れず、
      歩めども倦まざるなり(内村鑑三:イザヤ40‐31)」
    ◎【神の生命=神の愛の力⇔新生命力・新活力・新思想】(内村鑑三より)
     ◆霊魂を復活させ、愚かなる者を智からしむる能力ある事実(詩篇19)
     ◆すべて信じる者を救わんとする神の大なる能力(ロマ書1-16)
     ◆神の国は言葉にあらず、能力に在り(コリント前書4-20)
     ◆大能をもって我が内に働くもの(コロサイ書1-29)
     ◆【神の生命】は心の内に【光】となって
     【新生命力】と【新活力】を加える【生活力(バイタリティ)】を提供する!
     ◆信仰により救われるのは、信仰により【この能力=生活力】を我らの能力と
     することができるからであり、死は【生活力】が欠乏してやって来る。
     ◆【キリスト教(キリスト精神)】は【神の大なる能力=神の生命=生活力】を
     豊かに供給して人を永遠にまで救わんとする、キリストなる【神の生命】を
     もって【不朽の生命】を与えんとするものである!
    ●新思想とは;
      ★新鮮なる思想
      ★人に新希望を供する思想
      ★人に新生命を供する思想
      ★人に新計画を供する思想
      ★羽翼を張りて中天に翔(アガ}らんとする意欲を興す思想(内村鑑三)

    【神助道:神助精神・神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】のお任せ人生で
    日々直面する患難辛苦を【神愛特訓:オーディション!リハーサル!】と受け止め
    【主イエス】再臨で地上誕生される<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>の
    本番舞台で【ビジョン:理想・夢望・念志】でエデンの楽園復活事業に参加する為に
    皆さんが【神の愛=主イエス】<真理>【神愛方程式=神愛摂理】に支えられて
    「理論:世間的常識」にとらわれない【神愛事実の子:神愛自由人】である
    <ビジョニスト:光の子・世の光・地の塩><福音の戦士>【福音の勢力】として
    【救国:民族精神復興&国体再建】【世界平和:自由&正義<隣人愛>の結実】に
    大活躍されることを心より応援しています!

    ●はっきり言っておく。私を信じる者は、また私がしている業を行なうであろう。
     そればかりか、もっと大きな業を行なうようになる。
     私が父のもとに行くからである。
     私の名によって願うことは何でもかなえてあげよう。
     父が子によって栄光をお受けになるためである。
     何事でも私の名によって願うならば、私がそれをかなえてあげよう
     (ヨハネ伝14-12~14)
    ●自由人にふさわしく行動しなさい。ただし、
     自由をば悪を行う口実として用いず神の僕にふさわしく行動しなさい
     (ペテロ第1書2‐16)
    ●愛する兄弟たちよ、確(カタ)くして動かされず、
     常に励みて全力を注いで主の事(ワザ)に務めよ。
     主にあってあなた方の労苦が無駄になる事はない(コリント前書15―58)
    ●我々は神の命じ給う道を歩いていれば
     日々その務めと力とが自ずから与えられる。
     特にそれを得ようと思い煩うことはいらない。
     ただ、それを受け入れて実行すれば善い(ヒルティ)
    ●なおも神の御手と御心にさからわず
     勇気と希望を少しも捨てぬ。
     私は静かに耐え真っ直ぐに前進する(ミルトン)
    ●神の側に立とうと決心するが良い。次にはあなたの力と個性に合わせて
     あなたに個人的に下される神の命令に従え(ヒルティ)
    ●<世界最大の者>(内村鑑三)
     ★知識をもって腕力に克つべし
     ★信仰をもって知識に克つべし
     ★愛をもって信仰に克つべし
     ★愛は進化の終局なり、最大の能力なり
     ★愛に達して我らは世界最大の者となるなり。

    ハレルヤ!栄光を主に帰します。
    主に感謝します!アーメン

    それでは今日も明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい。
    May grace and peace be with your spirit.
    Good luck & God bless you!

    メール歓迎します!
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    ウェブ:https://cforumtanaka.jimdo.com
    田中 聡(さとし)






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