【ビジョン:理想・夢望・念志】を【神愛特訓】【試練&召命:オーディション&リハーサル】で<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>に導く<真理>【神愛方程式=神愛摂理】【神の愛=主イエス】!
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【ビジョン:理想・夢望・念志】を【神愛特訓】【試練&召命:オーディション&リハーサル】で<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>に導く<真理>【神愛方程式=神愛摂理】【神の愛=主イエス】!

2019-11-12 12:23

    ◇◇【神の愛】の教育・訓練⇔やってみせ、自由にさせて、ほめて、光り輝くように導く!◇◇
    【2007年3月11日に作成した<第426回>に加筆】 

    ●やって見せ 言って聞かせて させてみて ほめてやらねば 人は動かぬ
     (山本五十六)

    【神の愛=主イエス】に大事にされ大切なる皆様こんにちは!ご愛読感謝します!
    世界各国で愛読されている皆様、お元気ですか?ご活躍を心より応援しています!

    精神苦・病苦・経済苦・社会苦など大小様々な<患難辛苦>に直面し立ち向かう
    <対戦・応戦・抗戦>意欲に導びく<最高!最善!最美!>の<無限の源泉>が
    【神の愛=主イエス&聖霊】が与えてくれる【神愛力=隣人愛&奇蹟】です!

    先日、自動車免許の更新手続きに行ってきました。
    皆さんも自動車免許証の更新手続きの経験があると思いますが、
    コンピュータ化されて、以前よりは処理手続きはかなり迅速になっていたので
    感動しました。やればできる!

    ところが、ご存知のように、講習会だけは従来のままです。
    私は無事故・無違反(ペーパー・ドライバーなので)だったので
    30分コースで済みましたが、それでも20分間見せるビデオの内容は
    悲惨な話ばかりです。覚えている話を紹介すると;

    ★携帯をかけながら運転していて、わずか2秒間目を離したことで
     人身事故を起こしてしまう話。
    ★飲酒運転の人身事故で実刑判決。残された家族(妻)が被害者の病院見舞いに疲れ、
     訴訟・弁護費用に1億円かかると聞いて、心労から自殺してしまう話。

    他にも様々な≪最悪な状況≫を見せられて、
    「絶対に違反するなよ!恐ろしい目に遭うぞ!気をつけろ!」
    と脅しまくられたといえるでしょう。あまりに事故が多発するので、
    私たち免許取得者の≪人格≫は、あまり信頼されていないことの証明ですね。

    この教育的指導は、私たちの免許という大切な≪特権・資格≫が失われないようにと、
    私たちのために善かれと思っての事であり、感謝すべきことかもしれませんが、
    私はほめられたい人間なので、せっかく無事故・無違反の人々には
    他の方法があると思います。

    たとえば、マナーを守ったからこそ、「こんな活躍ができた!」
    「人や動物・植物・自然を救助できた!」「愛の奇蹟が起きた!」など
    ≪善循環≫の話も紹介したら
    「よし!俺もこれからもマナーを守って、役に立とう!」
    と勇気づけられ励まされると思うのです。

    よくヒーロー映画ストーリーを観た後に、励まされて自分もやるぞ!と感じ、
    映画館を出る時に味わう≪爽快感≫や感動が欲しいものですね。
    皆さんはどう思いますか?

    現状のビデオのような、ルールへの服従を強制する≪教育的指導≫といえば、
    日米のTV伝道などで見られる「教会の説教」が思い浮かびます。
    ただし、教会ではいつもこのような脅してばかりいないことは
    充分理解していますので、どうかご容赦下さい。

    「地獄に落ちないように気をつけなさい!」
    「悪魔・サタンの誘惑に気をつけなさい!
    「~しないように!~に気をつけなさい!」

    以前メルマガで紹介したように、盲導犬クイールを調教した多和田悟さんは、
    それまでの日本の調教方法を大転換させた先駆者です。

    日本では≪Obedience(服従)≫という≪強制的訓練≫が常識でした。
    この方法は、盲導犬の世界だけでなく、日本の子供に対する
    一般的な「しつけ」にも通じるといえるでしょう。
    そして、免許更新時の教育的指導も同じ≪考え方≫のように感じました。

    日本の服従させる方法では、先ず「No/ダメ」で教え込むそうです。
    「いけないこと」「禁止事項」「怒られる事」を先ずは叩き込む考え方です。

    一方で興味深いことに、多和田さんが学んだ欧米で常識の
    ≪DogEducation:盲導犬教育≫では、日本とは全く逆の発想だったのです。
    つまり、欧米の教育方針では、先ず「Good!/良くできました!」で教え込み、
    それから後に「No/ダメ」なことを本人に理解させ悟らせます。
    それが、それまでの日本に無い≪DogEducation:盲導犬教育≫の
    考え方だったのです。

    この発想の大転換こそが、それまでの日本の盲導犬訓練に
    どれほど大きく貢献したかは盲導犬クイールによって証明されたのです。

    盲導犬に向く犬とは、先ず人と一緒でも苦にならず楽しめる
    【タレント:素質】が必要であり「角・段差・障害物」の三つを
    理解し伝えられる才能が不可欠だそうです。そして、それは強制的訓練ではなくて、
    自分の臨機応変の判断で教え導けなくてはならないのです。

    従来の日本の訓練方法では、例えば目の前に「障害物」があると、
    自動的に右側にリードするように教え込むそうです。しかし、もし障害物の
    右側よりも左側の方がより広く安全であっても、
    盲導犬自身が勝手に判断することはできませんでした。

    一方で、欧米では違います。常に犬自身の判断を重視するように教育できるのです。
    それが日本に無い「DogEducation:盲導犬教育」の考え方です。

    このような「ほめて、喜びを感じさせる」調教だと、
    自発性と臨機応変の即応判断能力が生まれるということは
    人間教育にも通じるはずです!
    そして私はひらめきました!この二つの異なる教育・訓練の考え方は、
    【旧約聖書】と【新約聖書】のそれぞれの【根本精神】ではありませんか!?

    【旧約聖書】の【義の神】は≪十戒・戒律重視≫に
    ≪Obedience(服従)≫させる≪強制的訓練≫と【神罰】で、
    私たちを人間を導きました。

    一方【新約聖書】の【神の愛=主イエス】は、ご存知のように、
    厳しき【戒律】と恐ろしき【神罰】で脅しながら、
    強制服従させるのではありません。
    先ず【主イエス】ご自身の生涯によって、誰もが魅了させられる
    ≪真・善・美≫の生き様・死に様を、模範的に見事に「やって見せて」くれました。

    ●キリストは、神の御姿で神の身分でありながら、
     神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、
     かえって、おのれを無にして僕の身分である仕える者の姿となり、
     人間と同じ姿になられた。おのれを低くして、へりくだり、
     死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた
     (ピリピ書2-6~8)
    ●キリスト教は完全なる道徳と同時にこれに達するの途を示し
     これを行うの力を供するものである(内村鑑三)
    ●私が来たのは、いのちを、あふれるほど豊かに与えるためです
    (ヨハネ伝10-10)
    ●Beautiful is that beautiful does.
    (美を為す者、すなわち美なり)(内村鑑三の紹介)

    そうです!禁止事項や違反事例を失敗例を見せて警告するのでなく、
    ≪人間の最高・最善理想≫を具体的に実践して見せてくれたのです!
    だからこそ、私たちは自発的に喜んで【主イエス】に近づき
    【キリスト道:聖愛・聖義・聖徳・聖善】精神に憧れ
    目指すことができるのだと実感できます。

    ●私たちはこのように多くの証人に雲のように囲まれているのであるから、
     一切の重荷とからみつく罪とをかなぐり捨てて、
     私たちの参加すべき競争を耐え忍んで走りぬこうではないか。
     信仰の導き手であり、
     また、その完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか
     (ヘブル書12‐1~2)
    ●なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、
     神がキリスト・イエスによって上へ召してお与えになる賞を得るために、
     目標を目指してひたすら走ることである((ピリピ書3-13~14)
    ●偉人の生涯は我々に教える
     我々もまた高貴に生き得ることを
     そして彼亡きあとには 時の砂上に足跡を残すことを。
     別の弱い、よるべなき兄弟は人生の荒海を渡りつつ
     おそらく、それを目に留めて新たに勇気と奮い起こすであろう足跡を(ヒルティ)
    ●人を信じさせるものは経験である。自分も経験してみたいという
     願望と気分とを 起こさせるものは、その経験をした人たちの証言である
     (ヒルティ)
    ●強いられてするのでなく、神に従って自ら進んでなし、
     恥ずべき利得のためでなく、本心からそれをしなさい(ペテロ前書5-2)
    ●各自は惜しむ心からでなく、
     また、強いられてでもなく、
     自ら心で決めたとおりにすべきである。
     神は喜んで施す人を愛してくださるのである(コリント後書9-7)
    ●人間生活は意志の自由に基づいており、それに、神は自由な人間と、
     みずから進んで働く僕とを欲していられるからである(ヒルティ)

    「私もあなたのようになりたい!」
    「あなたならできる!やってみなさい!いつも応援しているからね!」という、
    単なる主従関係・師弟関係ではなく、【真の友・霊的兄弟】として、
    身近で親密な素晴らしき<全智・全能・全愛>との絶対的信頼関係にある証明です!

    ●【幸福の途】(内村鑑三)
     人として生まれし最大名誉、最大幸福は、イエスを知り、彼に知られて、
     彼の友人となることである。
    ●【友人としての神】
     神は善き友人である。第一等の友人である。
     彼に祈祷を聞くの耳がある。恩恵を施すの手がある。
     神は名ではなく実である。道理ではなく性格である。
     帝王ではない友人である(内村鑑三)
    ●世には友の振りをする、みせかけの友もある。
     しかし、兄弟よりも愛し、頼もしく親密なる友もある(箴言18-24)
    ●真の友はどんな時も愛し続けるものであり、
     苦難の時のために生まれた兄弟である(箴言17-17)
    ●私の命じることを行うならば、あなた方は私の友である(ヨハネ伝15-14)
    ●もはや、私はあなた方を僕とは呼ばない。
     僕は主人が何をしているか知らないからである。
     私はあなた方を友と呼ぶ。父から聞いたことをすべて、
     あなた方に知らせたからである(ヨハネ伝15-15)

    このメルマガの冒頭に掲載している山本五十六の簡潔な≪愛のメッセージ≫は、
    【神の愛=主イエス】の≪神愛教育訓練・神愛の導き≫そのものですね。

    ●やって見せ 言って聞かせて させてみて ほめてやらねば 人は動かぬ
    (山本五十六)

    さらに【神の愛=主イエス】は、私たち誰もが≪圧倒的勝利≫の光り輝ける
    ≪最善の道≫を歩めるまで、忍耐強く何度でも
    <神助:祝福・恩恵>【神愛奇蹟】を与え続けてくれます!
    【神の愛=主イエス&聖霊】は私たちと≪いつも一緒≫の一心同体になって、
    内から外から、助け導き支えてくれるのです。

    ●力を与え強めて下さるキリストに助けられて、
     私は、何事も成し遂げることができる((ピリピ書4-13)
    ●誰が、キリストの愛から私たちを引き離すことができようか。
     患難か、苦悩か、迫害か、飢えか、裸か、危難か、剣か。
     「神様のためには、いつでも死ねる心がまえでいなければならない。
      私たちは殺されるのを待つ羊のようだ(詩篇44-22)」
     と書いてある通りである。
     しかし、私たちは、私たちを(命を投げ出してまで)
     愛して下さったキリストによって、これらすべてのことの中にあっても、
     輝かしい圧倒的な勝利者となるのです(ロマ書8-35~37)
    ●私は確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、
     力ある者も、高い者も深い者も、その他どんな被造物も、
     私たちの主キリスト・イエスにおける神の愛から
     私たちを引き離すことはできないのである (ロマ書8‐38~39)

    皆さんもきっと感じられているように、世間で光り輝く人々は、
    彼らの人生において【神の愛=主イエス】に教育指導された経験があると思います。
    たとえ本人が直接受けていなくても、彼と関わった家族・教師・恩人など、
    親密で影響を与えた人間関係や、または愛読書・音楽・絵画などの出会いの中に、
    必ず【キリスト道:聖愛・聖義・聖徳・聖善】精神や【神の愛=主イエス】との
    親密な人物が存在していることを私は確信しています!

    【聖書】の有名なエピソードである「長血をわずらう女
    (マタイ伝9-20~22、マルコ伝5-25~28、ルカ伝8-43~44)」思い出して下さい。

    ●さてここに、十二年間も長血をわずらっている女がいた。
     多くの医者にかかって、さんざん苦しめられ、
     その持ち物をみな費してしまったが、なんのかいもないばかりか、
     かえってますます悪くなる一方であった。
     この女がイエスのことを聞いて、群衆の中にまぎれ込み、
     うしろから、み衣にさわった。
     それは、せめて、み衣にでもさわれば、なおしていただけるだろうと、
     思っていたからである(マルコ伝5-25~28)
    ●ここに、十二年間も長血をわずらっていて、
     医者のために自分の身代をみな使い果してしまったが、
     だれにもなおしてもらえなかった女がいた。
     この女がうしろから近寄ってみ衣のふさにさわったところ、
     その長血がたちまち止まってしまった(ルカ伝8-43~44)
    ●するとそのとき、十二年間も長血をわずらっている女が近寄ってきて、
     イエスのうしろからみ衣のふさにさわった。
     すると、そこへ十二年間も患って出血が続いている女が近寄って来て、
     後ろからイエスの服の房に触れた。
      「この方の服に触れさえすれば治してもらえる」と思ったからである。
     イエスは振り向いて、彼女を見ながら言われた。
     「娘よ、元気になりなさい。あなたの信仰があなたを救った。」
     そのとき、彼女は治った(マタイ伝9-20~22)

    そうです!どんな有名な医者に頼んでも、誰に相談しても、大金を費やしても、
    苦しみ悩みから解放されず、じっと耐え忍んできた女性が、
    背後から声もかけずに、自分勝手に、【神の愛=主イエス】の≪御衣のふさ≫に
    触れただけでも、<神助:祝福・恩恵>【神愛奇蹟】は見事に起きたのです!

    それは彼女の熱き思い燃える心で祈り願っていた【ビジョン:理想・夢望・念志】を
    【神の愛=主イエス】は認めていたからだと私は確信します!
    「病気を治したい!」 → 「元気になりたい!」 
     → 「人生を変えたい!」 → 「光り輝きたい!」

    私たちも直接【神の愛=主イエス】から教え導きがなくても、
    いつも強き願いを【ビジョン:理想・夢望・念志】として、
    心に守り育てておきましょう。
    そして、いつも【神の愛=主イエス】との出会い準備して、「長血の女」のように、
    わずかな<神助:祝福・恩恵><神愛チャンス>でも見逃さずにつかみとりましょう。

    ●キリストの声:
     信心を得るという聖い恵みを切に要(モト)め、
     願いに満ちて追求し、辛抱づよく信依しながら待望し、
     感謝して受け、つつましく保持し、つとめてこれによって働いて、
     天上の恵みの来る時と、その様相とは、
     それが来るまで神に委ねまつるべきである
     (トマス・ア・ケンピス)

    さらに【神の愛=主イエス】の【神愛チャンス】<神助:祝福・恩恵>を確実にするには
    <アーメン!ハレルヤ!主に感謝!>GLORY JESUS KINGDOM!の心意気で
    絶えず【神の愛=主イエス】に【礼拝:★讃美★祈り★感謝】し続けましょう!
    自分のことばかりでなく、世界中の<万事・万物・万象>のために
    ≪超歓喜!超感動!超感謝!の大讃美!大絶賛!大称賛!≫の心意気で!

    ●すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。
     そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、
     忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい(エペソ書6-18)
    ●主に自らをゆだね、おのれの喜びとなせ。主はあなたの心の願いをかなえられる。
    (詩篇37-4)
    ●我に糧あり、聖書なり。我に力あり、祈祷に存在す。
     我は単独にして世界を相手に戦いを得るなり(内村鑑三)
    ●もし、私の名を呼び求めている私の民がみずからへりくだり、
     祈りささげ、私の顔を慕い求め、悪の道を捨てて立ち帰るなら、
     私は天から耳を傾け、罪を赦し、彼らの大地をいやす(歴代史略下7-14)
    ●近代人が運動に頼るに対して、クリスチャンは祈祷に頼る(内村鑑三)
    ●絶えず祈るべし、祈祷をもって生命となすべし(内村鑑三)

    ある人には生きた人間との出会いが、ある人には音楽や芸術作品、
    ある人には名言・格言、ある人には自然現象、ある人は災難によって
    【神の愛=主イエス】の<神助:祝福・恩恵>【神愛チャンス】を楽しみにしましょう!
    そして驚きの<神愛の御手:導き手・助け手・癒し手>の【神愛奇蹟】が起きることを
    待ち望みましょう!

    ●<神助>(内村鑑三)
    ◆神を信ぜよ、さらば神は汝の必要に応じて全ての善き物をもって汝を恵まん。
     ⇔ ★天来の思想
       ★外来の友人
       ★意(オモ)わほざる汝に臨む全ての恩恵の手段(テダテ)
    ◆汝の事業を助けん。
    ◆汝の目下の境遇をもって汝の力を量るなかれ。
    ◆汝は信仰をもって神の力を汝の力となすを得べし。
    ◆多くを望めよ、そは天にいます汝の父はその恩恵の宝庫を開いて
     汝の来りてこれを求めんことを待ちつつあり給えばなり。
    ●神は神の聖霊を役立てたいと思う人々にだけ、それを授け給うのであって、
     ただそれを所有して楽しむためには与えられない(ヒルティ)
    ●主に感謝せよ。主は慈しみ深く、人の子らに驚くべき御業を成し遂げられる。
     主は渇いた魂を満ち足らせ、飢えた魂を良いもので満たしてくださった
     (詩篇107-8~9)
    ●見よ、私は新しいことをする。今もうそれが起ころうとしている。
     あなた方はそれを知らないのか。確かに私は荒野に道を、荒地に川を設ける
     (イザヤ書43‐9)
    ●見よ、侮る者たちよ、驚け、そして滅び去れ、
     私はあなた方の時代に一つの事をする。
     それは人がどんなに説明して聞かせても
     あなた方のとうてい信じられないような事なのである(ハバクク書1-5)

    【神の愛=主イエス】の慈しみ深き≪アメージング・グレイス
    (驚くばかりの余りある恵み)≫に感謝します!ハレルヤ!栄光を主に帰します!

    ●主のあわれみは尽きない。(エレミヤ哀歌3-22)
    ●慈しみとまことは共に出会い、正義と平和は口づけし 
     まことは地から萌えいで正義は天から注がれます。(詩篇85-10~11)
    ●目を高く上げて、誰が天の万象(万軍)を創られたかを見よ
     この方は、その万象(万軍)を数えて呼び出し、
     一つ一つその名をもって呼ばれる。
     この方は、勢力に満ち、その力は強い、一つも、もれるものはない
     (イザヤ書40-26)

    さあ、私たちも、慈しみ深く優しくて強い【神の愛=主イエス】に信愛して
    【神助道:神助精神・神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】のお任せ人生で
    ほめれながら、やってみて、自分らしく光り輝かせてもらいましょう!
    こんな世間的に無名無力で、神の前では罪だらけな私にでも、
    根は生きており、光り輝く≪純金≫が内に秘められていることは確実です!

    ●人間はみななにほどかの純金を持って生まれている。
     聖人の純金もわれわれの純金も変わりはない(吉田松陰)
    ●木には望みがある。たとい切られてもまた芽をだし、
     その若枝は絶えることがない。
     たといその根が地の中で老い、
     その幹が朽ちて、根株が土の中に枯れても、
     水気にあえば芽をふき、苗木のように枝を出す(ヨブ記14-7~9)

    どんなに自分勝手に堕落腐敗しても、不注意な違反をしても、罪を犯し続けても、
    <死後の世界:天国・御国・来世>への入場≪神愛資格・神愛特権≫は剥奪されません。
    素晴らしきは、私から進んで【神の愛=主イエス】に近づき、
    人生やり直し・生まれ変わりの≪神愛更新手続き≫を申請するだけで認められます!

    ●神は、すべての人々が救われて真理を悟るに至ることを望んでおられる
     (テモテ前書2-4)
    ●神が私たちに求め給うのは、私たちと共にいますこと、
     神に心を寄せる者を見出して、その心を神みずからの霊によってさらに育て、
     かつ、生き生きとさせること、これ以外の何ものでもない(ヒルティ)

    「もうダメだ・・・」「きっと助けてもらえないな」
    「恐ろしい罰があるかも・・・」「身ぎれいにしてからじゃないと・・・」
    「出直そう・・・」など勝手に考えずに、遠慮することなく、
    「長血の女」や「徴税人ザアカイ(ルカ伝19-1~10)」のように
    大胆に自己本位で素直にそのままで、≪幼な子≫のように近づきましょう!
    「父ちゃん!母ちゃん!兄ちゃん!ありがとう!」
    そして「私の願いをかなえて!(くれて感謝します!)」
       「【ビジョン:理想・夢望・念志】を守って!(くれて感謝します!)」

    ●心を尽くして神を愛せよ、それからあなたの欲することをなすがよい(ヒルティ)
    ●神様は(お前)を欺くことはない。あまり自信の強過ぎるものが失敗するのだ。
     神は素直な人々の道連れとなり、身をへりくだる者に自身をお現しになる
     (トマス・ア・ケンピス)

    【神助道:神助精神・神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】のお任せ人生で
    日々直面する患難辛苦を【神愛特訓:オーディション!リハーサル!】と受け止め
    【主イエス】再臨で地上誕生される<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>の
    本番舞台でエデンの楽園復活事業に【ビジョン:理想・夢望・念志】で参加する為に
    皆さんが、ほめられ、励まされ、やってみては失敗しても助け支えられ導かれながら、
    前進し続けて<最愛の我が子・我が分身>【ビジョン:理想・夢望・念志】に
    <生き様・死に様>【ミッション:大義・使命・天職】を体得して
    <ビジョニスト:光の子・世の光・地の塩><福音の戦士>【福音の勢力】となって
    【救国:民族精神復興&国体再建】【世界平和:自由&正義<隣人愛>の結実】に
    光り輝く素敵な人生で活躍することを心より応援しています!

    ●世界の大偉業の大半は、「もはやこれで絶望か」と思われた時にも、
     なお仕事をやり続けた人々の手によって成し遂げられた
     (思想家カーネギー)
    ●我々は、希望がひとかけらでも残っている限り、
     繰り返し、繰り返し挑戦して、絶対に、へこたれない
     (ホセ・リサール)
    ●君自身であれ!そうすれば世界は豊かで美しい!(ヘッセ)
    ●日本に欠乏しているものは何か。それは富ではない。
     知識ではない。才知ある計略でもない。
     愛国心でもない。道徳でもないだろう。
     日本に欠けているのは「生きた確信」である。
     真理そのものを愛する「情熱」である。
     この確信、この情熱からくる無限の歓喜と満足である(内村鑑三)
    ●たとえ困難がどんなであっても、我々は神の力によって、
     これに対抗することはできるであろう。
     私は神のおかげで困難になれてきた。
     神に信頼してまだ裏切られたことがない(クロムウエル)
    ●沈黙せよ、苦しめ、耐えよ、おまえの苦しみは誰にも訴えるな、
     決して神に絶望するな、おまえの助けは日毎に来るのだ(ルター)
    ●我等に臨む患難は多し、されど主は我等をみなその中から援け出し給う
    (内村鑑三:詩篇34‐19)
    ●聖霊、汝等の上に臨む時、汝等能力(チカラ)を受けん(使徒行伝1-8)
    ●神は神を愛される者と共に働いて万事を益となるようにして下さる
     (ロマ書8-28)
    ●私はあなたを選んで、捨てなかった。
     恐れるな。私はあなたとともにいる。たじろぐな。
     私があなたの神だから。私はあなたを強め、あなたを助け、
     私の義の右の手で、あなたを守る(イザヤ書41-9~10)
    ●人々が「失われた」と言うところで、神は「見いだした」と言い、
     人々が「裁かれた」と言うところで、神は「救われた」と言い、
     人々が「否」というところで、神は「然り」と言う。
     人々がなげやりな気持や、高慢から、目をそらせるようなところで、
     神は他のどこにもない愛のこもった目を向けるのである(ボンヘファー)
    ●<神意と人意>(内村鑑三)
     人は止まらんとし、神は動かんとし給う
     人は固執せんとし、神は溶解せんとし給う
     人は制定せんとし、神は産出せんとし給う

    ハレルヤ!栄光を主に帰します。
    主の恵みに感謝します!アーメン

    それでは今日も明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい。
    Good luck & God bless you!
     
    異論・反論・疑問など何でもメール歓迎します!
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    田中 聡(さとし)






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