【ビジョン:理想・夢望・念志】を<超世間体!超常識!>で<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>に導く<真理>【神愛方程式=神愛摂理】【神の愛=主イエス】!
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【ビジョン:理想・夢望・念志】を<超世間体!超常識!>で<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>に導く<真理>【神愛方程式=神愛摂理】【神の愛=主イエス】!

2020-01-20 11:52

    ◇◇≪非常識≫を愛される【神の愛=主イエス】!◇◇
    【2007年2月25日に作成した<第425回>に加筆】 
    ★★「徴税人ザアカイ(ルカ伝19-1~10)」の≪救霊・召命≫に学ぶ★★

    【神の愛=主イエス】に大事にされ大切なる皆様こんにちは!ご愛読感謝します!
    世界各国で愛読されている皆様、お元気ですか?ご活躍を心より応援しています!

    精神苦・病苦・経済苦・社会苦など大小様々な<患難辛苦>に直面し立ち向かう
    <対戦・応戦・抗戦>意欲に導びく<最高!最善!最美!>の<無限の源泉>が
    【神の愛=主イエス&聖霊】が与えてくれる【神愛力=隣人愛&奇蹟】です!

    皆さんもご存知とは思いますがローマ政府の徴税人ザアカイのエピソードには
    興味深い【神の愛=主イエス】の<真理>【神愛方程式=神愛摂理】を実感します。

    ◆徴税人ザアカイ(ルカ伝19-1~10)
     イエスはエリコに入り、町を通っておられた。そこにザアカイという人がいた。
     この人は徴税人の頭で、金持ちであった。
     イエスがどんな人か見たいと思っていたが、
     背が低かったので、群衆にさえぎられて見ることができなかった。
     それで、イエスを見るために、走って先回りし、いちじく桑の木に登った。
     そこを通り過ぎようとしておられたからである。
     イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。
     「ザアカイ、急いで降りて来なさい。
      今日は、ぜひあなたの家に泊まることにしているから。」
     ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎え入れた。
     これを見た人たちは皆つぶやいた。
     「あの人は罪深い男のところに行って客となり宿をとった。」
     ザアカイは立ち上がって、主に言った。
     「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。
      また、だれかから何か不正な取立てをしていたら、
      それを四倍にして返します。」
     イエスは言われた。
     「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。
      人の子は、失われたものを尋ね捜し出して救うために来たのである。」

    ザアカイはマタイと同様にローマ政府のために税金を取り立てる徴税人だったので、
    同胞のユダヤ人から軽蔑されてとても罪深く悪党のようにみなされていました。

    たとえ世間的に金持ちであっても、自分の人生に疑問を抱き、
    「人生を変えたい!」と日頃から願っていたはずです。

    しかし裕福な日常は居心地がよくて、しかも人生を変える方法も解らずに、
    結局は日々流されていたのでしょう。

    私がこのようにザアカイの人生を想像したくなるのは、
    ザアカイの<生き方>は私自身の過去の人生にも共通するからです。
    過去の私自身も経済的にも健康面でも何不足なく、
    自分勝手に、好き勝手に、自堕落な生活を送っていました。

    しかし精神的には何か空虚感があり、高額な自己啓発セミナーに参加したり、
    高額な自己啓発テープを購入したり比叡山の千日回峰行者と寝食を共にしたり、
    カリスマ指導者に助言をもらったりと≪救霊≫を求めていたのです。

    恐らくザアカイも現実に流されていても本心では
    いつも「人生を変えたい!」という強い【ビジョン:理想・夢望・念志】を抱き、
    祈り願っていたに違いありません。

    そんな哀れなザアカイの【ビジョン:理想・夢望・念志】も、
    【神の愛=主イエス】には聞き届けられていたのです!ハレルヤ!

    ザアカイは世間での素晴らしい評判を聞き
    「是非【主イエス】に一度会って見たい!」
    と熱望していた時のことです。

    自分の町にもやって来るという【神の愛=主イエス】の方から、
    無条件で一方的に≪神愛ビッグ・チャンス≫がやって来たのです!

    【神の愛=主イエス】は先ず「身ぎれいにしなさい!」「善行・献金を積め!」
    とか特別な前提条件を要求しない証明ですね。

    ザアカイは喜び勇んで町の通りに飛び出したことでしょう。
    そこには、悩みや苦しみを抱えた大群衆がいました。

    現実生活で何不自由なく、ただ「人生を変えたい!」という
    ザアカイの悩みとは異なり現実の切実な病苦や貧困や危機に直面して耐え忍び、
    嘆き悲しむ、多くの群集によって通りは埋め尽くされていたことが想像できます。

    苦悩に耐え忍ぶ群集に、日頃、軽蔑され<悪党>呼ばわりされていた
    ザアカイですから充分に自覚していたことでしょう、
    自分よりも現実に悩み苦しむ彼等を押しのけてまで、
    【主イエス】を見てやろうとまで思えなかったはずです。

    現代でも通じる常識ですが福祉医療や慈善・宗教活動など、
    救済の順番で考えるなら一番後回しにされるような「悩み」だといえるでしょう。
    ザアカイの悩み苦しみなどは世間的常識で見れば、まったく贅沢な悩みだからです。

    そこで誰にも理解されない哀れなザアカイはどうしたのでしょうか?
    ザアカイは≪非常識≫な手段を思いつき実行したのです。
    そこまでザアカイに行動を取らしたのは、彼もまた、
    世間的には理解されないながらも長い間、苦しみ悩んできた証明ですね。

    「一目見るだけでもいい!」という熱き願いが木によじ登るという
    世間的≪非常識≫な決行を生みますが、この決断と実行こそが
    【神の愛=主イエス】に見出される素晴らしい<救霊><神助:祝福・恩恵>に
    導かれたことは、私にも励ましと勇気と希望を与えてくれます!

    【主イエス】は街頭に溢れる現実に悩み苦しむ大群集を見て、
    誰を選んだかというと木によじ登っていた悪党のザアカイを、名前を呼んで、
    特別に選び、寝食を共にする約束までしてくれたのです!
    ハレルヤ!【神の愛=主イエス】の<神助:祝福・恩恵>に感謝します!

    人間愛や人道(ヒューマニズム)では決して納得できない
    <不思議な神愛選択>だったことは現代でも共通する感想でしょう。

    リビング・バイブル訳では【主イエス】の選択に対して、
    とても納得できない人々の痛烈な批判感情が示されています。

    ●これを見ていた人々の心中は、おだやかではありません。
     「なにも、あの札つきの悪党の家の客にならなくても……」と、
     ぶつぶつ文句を言いました(ルカ伝19-7)

    ここにも人間愛や人道・人智だけでは、到底計り知れない【神の愛=主イエス】の
    【御心:聖意・聖旨】<真理>【神愛方程式=神愛摂理】が示されていることに
    私は感動します。

    ●私(神)の思いはあなた方の思いと異なり、
     私の道はあなた方の道と異なる。
     天の地よりも高いように、私の道はあなた方の道より高く、
     私の思いはあなた方の思いよりも高い(イザヤ書55-8~9)
    ●私(主)がしていることは、今あなたにはわからないが、
     あとでわかるようになるであろう(ヨハネ伝13‐7)
    ●キリスト教は信を先にして、行いを後にするものなり。
     天の地よりも高きがごとく、神の意は人の意より高し(内村鑑三)

    私の理解では、日々直面する≪患難辛苦≫に悩み苦しんで
    <被害者意識>に陥っている≪大群衆≫を救済するためには、
    <ザアカイの救霊>も<最善の方法>と言うことです。

    ザアカイのように精神的なな現実問題に直面して、自己の罪悪や弱さを痛感して、
    「俺はダメな奴だから何とか人生を変えたい!」と<加害者意識>から
    強烈な願いを抱く<少数>の、世間的に≪悪党・罪人≫を救済することを
    【神の愛=主イエス】は先ずは選ばれるのだと思います。

    自業自得で堕落腐敗して、たいした自浄努力も善行もしていない日々を
    送っているので「こんな俺なんかどうせ後回しだ・・・」と自覚している≪加害者≫を
    最優先してくれて「ザアカイ!」と直に名前まで呼んでもらい、
    それだけでなく思いもしなかったような【賜物・無償ギフト・神恵】として
    ≪格別の計らい≫<神助:祝福・恩恵>までしてもらったなら彼はどうなるでしょうか?

    彼の人生は【神の愛=主イエス】によって
    <コペルニクス的大転換>されるでしょう!

    マタイやパウロや『レ・ミゼラブル(ああ無情)』の主人公ジャン・バルジャンや
    私自身もそうですが【神愛力=隣人愛】のおかげで≪人生大転換!≫させられて
    【神助道:神助精神・神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】のお任せ人生で
    <いつも一緒!>【神の愛=主イエス】と<相思相愛の主従関係>になりました!

    ●だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、
     私に示した愛の大きさで分かる。
     赦されることの少ない者は、愛することも少ない。
     (ルカ伝7-47)
    ●今の私があるのは、ただひとえに、
     あふれるほどに注がれた神様の恵みと、あわれみとのおかげです。
     実際に働いたのは私ではありません。
     神が私の内部で働き、祝福してくださったのです(コリント前書15-10)
    ●魂の喜びにまさる喜びなし。これによりて枯骨もなお芽をふく。
     この喜びを我が主は常に我らのために増したもう(ヒルティ)
    ●我らのなお亡びざるはエホバの仁慈(イツクシミ)により、あわれみの尽きざるによる
     (エレミヤ哀歌3‐22)
    ●主に感謝せよ。主は慈しみ深く、人の子らに驚くべき御業を成し遂げられる。
     主は渇いた魂を満ち足らせ、飢えた魂を良いもので満たしてくださった
    (詩篇107-8~9)
    ●愛に生きる者には翼がある。喜びに溢れて走り回り、
     自由で、どこにあっても束縛を知らない。
     自分に与えられる贈り物には目を留めず、
     すべての賜物を越えて、それを与えてくださる方に目を向ける。
    (トマス・ア・ケンピス)

    多くの人道的・慈善的・宗教的活動が行き詰まるのは
    ≪被害者≫ばかり注目するために≪加害者≫を後回しにしているからだと感じます。

    【神の愛=主イエス】は最悪最強の≪加害者:罪人≫の神愛救済を
    最優先してきたからこそ、どんな弾圧・迫害があろうと途絶えずに
    【キリスト道:聖愛・聖義・聖徳・聖善】は、
    今日もなお光り輝き成長し続けているのだと確信できます。

    ●イエスは答えて言われた。
    「医者を必要とするのは健康な人ではなく、病人である。
     私が来たのは義人を招くためではなく、
     罪人を招いて悔い改めさせるためである
     (マタイ伝9-13、マルコ伝2-17、ルカ伝5‐32)
    ●「キリスト・イエスは罪人を救うためにこの世に来て下さった」
     という言葉は確実で、そのまま受け入れるに値するものである
     (テモテ第1書1-15)
    ●この方(主イエス)こそ、私たちの罪のため、いやそればかりでなく、
     全世界の罪のためのあがない(身代わり)の供え物である(ヨハネ第1書2-2)
    ●神はキリストによって私たちをご自分に和解させ、
     かつ和解の務めを私たちに授けて下さった。
     即ち、神はキリストにおいて世をご自分と和解させ、
     人々の罪過の責任を問うことなく、
     和解の福音を私たちに委ねられたのである(コリント後書5-19)
    ●私がこの世に来たのは、さばくためである。
     すなわち見えない人たちが見えるようになり、
     見える人たちが見えないようにするためである(ヨハネ伝9‐39)
    ●人の子(救世主)が来たのは、失われたものを尋ね出して救うためである
     (ルカ伝19‐10)
    ●私は失われたものを捜し、迷い出た者を連れ出し、
     傷ついた者を包み、病気の者を力づける。
     私は肥えた者と強い者を滅ぼす。
     私は正しい裁きを持って彼等を養う
     (エゼキエル書34‐16)
    ●父がその子に対してするように、あなた方の一人一人に呼びかけて、
     神の御心にそって歩むように励まし、慰め、強く諭し勧めたのである。
     御自身の御国と栄光に預からせるようと、
     神はあなた方を招いておられる(テサロニケ前書2‐11~12)
    ●主よ、あなたの大路を私に示し、あなたに従う道を教えてください。
     あなたの真理のうちに私を導いてください。教えてください、
     あなたこそ、我が救いの神。絶えることなく、あなたに望みをおいています。
     主よ思い起こしてください、あなたのとこしえの憐れみと慈しみを。
     私の若いときの罪と背きは思い起こさず、
     慈しみ深く、御恵みのために、主よ、私を御心に留めてください。
     主は恵み深く正しくいまし、
     罪人に道を示してくださいます。
     へりくだる者を公義に導き、へりくだる者に主の道を教えられる。
     その契約と定めを守る人にとって、主の道はすべて、慈しみとまことである。
    (詩篇25-4~10)
    ●イエス・キリストは昨日も今日もいつまでも永遠に変わることがない
     (ヘブル書13-8)
    ●主義にあらず、性格なり。教理にあらず、生命なり。
     キリスト教にあらず、キリストなり(内村鑑三)
    ●聖書は古いものでもなければ、新しいものでもない。
     聖書は永遠のものである(ルター)

    そして【神の愛=主イエス】が私たちを救済してくれるのは、世間的常識よりも、
    かえって世間的≪非常識≫を決行することを愛され喜ばれるのだと思います。

    「洗礼を受けた教会信者(クリスチャン)でなければ」「善行や献金をしなくては」
    「身ぎれいにしなくては」などの前提条件を考える<世間的常識>に従うよりも、
    <熱き思い燃える心>の【ビジョン:理想・夢望・念志】を最優先しましょう!

    ●汝の道を進め、人々をしてその言うにまかせよ(ダンテ)
    ●あらゆる存在は、その特性に従って自己を発展させ自己を実現する
     生まれつきの衝動を自分のうちに持っている(ヒルティ)

    <最愛の我が子・我が分身>【ビジョン:理想・夢望・念志】を
    大切に守り育てるためには、時と場合に応じては、どんな世間的に無謀で愚かで
    ≪非常識≫に思われようとも、恐れることなくザアカイの<決行>に見習い、
    私たちも【神の愛=主イエス】の【御心:聖意・聖旨】に信頼して
    【神の愛=主イエス】と直接に結ばれる【ミッション:大義・使命・天職】を
    目指しましょう!

    ●自分の意志を全く神にゆだねて、
     ひたすら神の道具でありたいと思う人は不思議に、
     どんな祈りも聞き届けられる。そういう人はただ願い求めればよいのだ。
     そうすると憂いも怖れもなく、至福の状態で、あらゆる困難を切り抜け、
     生涯の日々をすべての人々とまじって生きて行くことができる(タウラー)
    ●あなた自身のためには、ひたすら神の祝福に頼るがよい。
     どんな人間によっても満たされぬほど、
     要求の特別多い心をさえ神の祝福は完全に満たす事ができるものだ
     (ヒルティ)
    ●神が喜ばれるのは、おそらく神へのひたむきな憧れと、
     神に向かって手をさしのべることだけであろう(ヒルティ)

    【神助道:神助精神・神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】のお任せ人生で
    <いつも一緒!><全智・全能・全愛>【神の愛=主イエス】に鍛錬され導かれて
    <無制限・無尽・無償>の【ダイナミック・パワー:堅信力・耐望力・熱愛力】と
    <一日一生!日々新た>な【バイタリティ:生活力=生命力+活力】で充霊され
    【霊性:魂[勇気]・善意・良心】を<パワー・アップ&アップ・グレード>させ
    安心して活き活きと前進し続けましょう!

    ●悲しみ憂えてはならない。
     主を喜び祝うことこそ、あなた方の力の源であるからだ
    (ネヘミヤ記8-10)
    ●たとえ困難がどんなであっても、我々は神の力によって、
     これに対抗することはできるであろう。
     私は神のおかげで困難になれてきた。
     神に信頼してまだ裏切られたことがない(クロムウエル)
    ●神の力強い活動によって働く力が、私たち信じる者にとって、
     いかに絶大なるものであるかを、あなた方が知るに至るようにと祈っている
     (エペソ書1-19)
    ●【神の力】(内村鑑三)
     神はただ愛と生命と精力とあるのみ。
     「これゆえに、我ら臆せず、我らが外なる人は
      壊(こぼ)たるとも、内なる人は日々に新たなり(コリント後書4‐16)」
     神にありて我が失敗は失敗にあらず、我が弱きは弱きならず!
     「(弱った者には力を与え、勢いのない者には強きを増し加えられる。
       年若い者も弱り、かつ疲れ、壮年の者も疲れ果てて倒れる。しかし、)
      我が神にありて新たなる力を獲、ワシの如く翼を張りて昇り、走れども疲れず、
      歩めども倦まざるなり(内村鑑三:イザヤ40‐31)」
    ◎【神の生命=神の愛の力⇔新生命力・新活力・新思想】(内村鑑三より)
    ◆霊魂を復活させ、愚かなる者を智からしむる能力ある事実(詩篇19)
    ◆すべて信じる者を救わんとする神の大なる能力(ロマ書1-16)
    ◆神の国は言葉にあらず、能力に在り(コリント前書4-20)
    ◆大能をもって我が内に働くもの(コロサイ書1-29)
    ◆【神の生命】は心の内に【光】となって【新生命力】と【新活力】を加える
      【生活力(バイタリティ)】を提供する!
    ◆信仰により救われるのは信仰により
    【この能力=生活力】を我らの能力とする事ができるからであり、
     死は【生活力】が欠乏してやって来る。
    ◆【キリスト教(キリスト道)】は【神の大なる能力=神の生命=生活力】を
     豊かに供給して人を永遠にまで救わんとする、
     キリストなる【神の生命】をもって【不朽の生命】を与えんとするものである!
    ●新思想とは;
      ★新鮮なる思想
      ★人に新希望を供する思想
      ★人に新生命を供する思想
      ★人に新計画を供する思想
      ★羽翼を張りて中天に翔(アガ}らんとする意欲を興す思想(内村鑑三)

    【神の愛=主イエス】が惜しみなく注いでくれる【神愛力=隣人愛】のおかげで、
    <不屈の楽観楽天能力>【パッション:患難善転力・感受感化力・霊性活気力】で
    <神愛意欲:愛好心・好奇心・探究心><神愛忍耐:優耐・望耐・歓耐>に満ちて
    【先駆開拓精神:★挑戦魂★前向き/プラス思考★オープン・マインド】に溢れた
    <アーメン!ハレルヤ!主に感謝!>GLORY JESUS KINGDOM!の先取神愛感謝で
    生きられることは感動です!

    ●財産よりも、もっと尊いのは「明るい性格」だ。人間の心も体と同じだ。
     日陰(ひかげ)にいるのではなく、日光の照る場所に移るべきだ。
     困ったことがあっても、笑いで吹っとばしてしまおう。
     さあ、日の当たる場所に出ようではないか!(鉄鋼王カーネギー)
    ●友よ、逆境にあっては、常に、こう叫ばねばならない。
    「希望、希望、また希望」と(ユーゴ)
    ●あなたに備えられているものをすべて生かし抜きなさい。
     神はあなたの、その善き意志を助けてくださるだろう(トマス・ア・ケンピス)
    ●なぜあなたは、自分が企てた事を実行するのを延期しようとするのか。
     立ちなさい。今すぐ始めなさい。そうしてこう宣言しなさい。
     今こそ実行の時、今こそ戦いの時、
     今こそ自分自身を改めるよき時、と。
     不幸と試練の日こそ、自己を際立たせる機会なのである
     (トマス・ア・ケンピス)

    【神助道:神助精神・神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】のお任せ人生で
    日々直面する患難辛苦を【神愛特訓:オーディション!リハーサル!】と受け止め
    【主イエス】再臨で地上誕生される<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>の
    本番舞台でエデンの楽園復活事業に【ビジョン:理想・夢望・念志】で参加する為に
    皆さんの<熱き思い燃える心>に抱く【ビジョン:理想・夢望・念志】が、
    どんなに世間的≪非常識≫でも喜んで愛してくれる【神の愛=主イエス】を体感し
    <不屈の楽観・楽天力>【パッション:患難善転力・感受感化力・霊性活気力】で
    <ビジョニスト:光の子・世の光・地の塩><福音の戦士>【福音の勢力】となって
    【救国:民族精神復興&国体再建】【世界平和:自由&正義<隣人愛>の結実】に
    明るく元気に活躍されることを心より応援しています!

    ●はっきり言っておく。私を信じる者は、
     また私がしている業を行なうであろう。
     そればかりか、もっと大きな業を行なうようになる。
     私が父のもとに行くからである。
     私の名によって願うことは何でもかなえてあげよう。
     父が子によって栄光をお受けになるためである。
     何事でも私の名によって願うならば、私がそれをかなえてあげよう
     (ヨハネ伝14-12~14)
    ●それでもひたすら神に信頼し続けよ。
     そうすれば、まもなく、また光と力を見るだろう。
     おまえが信じたものを、まのあたりに見て、信じたとおりに成るであろう
     (バンヤン)
    ●神の側に立とうと決心するが良い。
     次にはあなたの力と個性に合わせてあなたに個人的に下される神の命令に従え
     (ヒルティ)
    ●全てのことは、あなた方の益であって、
     恵みがますます多くの人に増し加わるにつれ、
     感謝が満ちあふれて、神の栄光となるためである。だから、私は落胆しない。
     たとい私の外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。
     なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、
     永遠の重い栄光を、あふれるばかりに私たちに得させる(生み出す)からである
    (コリント後書4-15~17)
    ●人は信念と共に若く 疑惑と共に老いる。
     人は自信と共に若く、恐怖と共に老いる。
     希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる(サムエル・ウルマン)
    ●力強き魂への試練
     傷つけど たじろがず
     すべては大なる終曲に記(しる)され
     我がこころ舞いあがれ 輝きあれ(サムエル・ウルマン)
    ●私たちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、
     恵みの上に、更に恵みを受けた(ヨハネ伝1-16)
    ●他人の嘲りを心にとめず、敗北にも挫けず、勇気をもってまた起ちあがれ、 
     いっさいの正義にはやがて勝利がおとずれるのだ(エマーソン)

    ハレルヤ!栄光を主に帰します。
    主の恵みに感謝します!アーメン

    それでは今日も明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい。
    Good luck & God bless you!
     
    異論・反論・疑問など何でもメール歓迎します!
    cforum@tanaka.name
    ウェブ:https://cforumtanaka.jimdo.com
    田中 聡(さとし)






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