【ビジョン:理想・夢望・念志】で<神愛主人公>【神愛自立:神愛自由・神愛独立】にして<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>に導く<真理>【神愛方程式=神愛摂理】【神の愛=主イエス】!
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【ビジョン:理想・夢望・念志】で<神愛主人公>【神愛自立:神愛自由・神愛独立】にして<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>に導く<真理>【神愛方程式=神愛摂理】【神の愛=主イエス】!

2020-04-06 12:25

    ◇◇映画ストーリーに学ぶ【神愛方程式=神愛摂理】!◇◇
    【2005年7月19日に作成した<第381回>に加筆】

    ★「いつも心に太陽を」(1967年:主演シドニーポワチエ、
    製作・監督・脚本ジェームス・グラヴェル)
    ★「カッコーの巣の上で」(1975年:主演ジャック・ニコルソン、
    製作マイケル・ダグラス、監督ミロス・フォアマン)

    【神の愛=主イエス】に大事にされ大切なる皆様こんにちは!ご愛読感謝します!
    世界各国で愛読されている皆様、お元気ですか?ご活躍を心より応援しています!

    精神苦・病苦・経済苦・社会苦など大小様々な<患難辛苦>に直面し立ち向かう
    <対戦・応戦・抗戦>意欲に導びく<最高!最善!最美!>の<無限の源泉>が
    【神の愛=主イエス&聖霊】が与えてくれる【神愛力=隣人愛&奇蹟】です!

    日本では「学園ドラマ」がTVでも映画でも絶えず製作されています。
    「学園ドラマ」は社会の縮図として社会への問題提起や主義主張を表現しやすい
    設定・環境だからだと思います。

    最近、我が家のビデオ・デッキの故障のおかげで、10年以上前にTVで録画した
    映画のテープがみつかって、なつかしく思って観る機会がありました。
    それは「いつも心に太陽を」「カッコーの巣の上で」という映画です。

    皆さんの多くの方も既にご覧になったかもしれませんが、久々に見直してみると、
    【新たな発見】がありました。
    表面的にはテーマが異なるようですが、二つの作品には共通して
    【神の愛=主イエス】の<真理>【神愛方程式=神愛摂理】があったのです!

    「いつも心に太陽」は、黒人のンシドニー・ポワチエ扮する臨時教員が
    英国の公立中学校の「落ちこぼれクラス」の生徒と共に成長して行くという
    代表的なヒューマン・ドラマといえるでしょう。

    同様の作品は欧米だけでなく日本、アジア、イラン、インドでも製作され続けていて、
    古典的ストーリーです。
    主人公の臨時教員は、あくまでも「腰かけ」のつもりで、自分には教員の
    【適性】があることすら気づいていません。
    生徒は家庭問題を抱えた不良ばかりで、【信・望・愛】の欠乏ゆえに、
    社会不信・自己不信から短絡的な非行へと走ってしまうのです。

    学校からも見捨てられた「落ちこぼれ生徒」と教師の世界では
    未熟で非常識な新米先生との葛藤と愛と友情の人間ドラマならば、
    わざわざ、この映画を観るまでもなく、現在にもありがちなストーリーですね。

    ところで、この種のストーリーで、改めて気づかせてくれた【新たな発見】とは、
    【神愛視点】なのです。こういった悪ぶる教室の中にも、心の奥では密かに
    「自分を変えたい!」という【ビジョン:理想・夢望・念志】を抱いている生徒が、
    たった一人でも、必ずいる!ということが、【神の愛=主イエス】から観た時の
    最大テーマいえるでしょう。

    たった一人の生徒が意識を変える事で教室全体までも改善されて行くという考え方こそ
    【神の愛=主イエス】の【神愛方程式=神愛摂理】です!
    しかも、教師も生徒自身も、そのような変化を最初から予測できなかったことが
    <神助:祝福・恩恵>【神愛奇蹟】ともいえるのです。

    目前の個人の【霊性:魂〈勇気〉・善意・良心】を救うことこそ、改善させることこそ、
    組織・社会改革も自由解放も世界平和をも実現させるにも、
    <真理>【神愛方程式=神愛摂理】では【最善の道】を気づかせてくれたのです。

    ●目の前の一人を救える者が世界をも救える(ユダヤの格言)
    ●これらの小さな者を一人でも軽んじないように気をつけなさい(マタイ伝18‐10)

    以前にも、メルマガで紹介したように【新約聖書】の【ルカ福音書】と【使徒行伝】は
    ルカが作者だと言われていますが、ルカは、たった一人の
    (歴史的には無名のローマの役人)テオピロに向けての書簡として
    記述されていることに通じます。

    2000年後の私たちまでも世界の果てまでも、全人類に感動と愛と勇気と励ましと
    慰めと希望とを与え続けている【ルカ福音書】と【使徒行伝】が、
    当初は目前のたった一人の名も無き異邦人を救い出すことから始まっったのです!

    ●まちがいなく最も手近な義務だと認められることを常に行ない、
     それから先のことは静かに待っていること。そのような人に宿っている真理な霊は
     必要に応じて何でもその人に思い起こさせてくれる。だから、その人は前もって
     いろいろのことを熟考したり、心にとめておくことはいらない(ヒルティ)
    ●どんな大きな仕事であっても、それを細かに分けて、
     いつも手近なものだけを眼中に置くならば、それは小さな仕事をするのと同じになる
     (ヒルティ)
    ●大事業の端緒はまず目前の義務を果たすことなり(内村鑑三)

    同時に、自分本来の【タレント:個性・才能・可能性】を最善発揮できる
    【ミッション:大義・使命・天職】を自覚発見する為には多くの場合は
    世間的常識や自己都合とは、かけ離れた思いがけない【神愛チャンス=神愛の導き】の
    <神助:祝福・恩恵>【神愛奇蹟】が必要だということです。

    映画の主人公の臨時教員は、当初は普通の教師の発想と同じように、
    とりあえず生徒全員を静かに着席させて教科書と授業に従うようにと懸命になります。
    勉強が出来ないままで社会に出ては苦労するのを考えて善かれと思ってのことでした。
    しかし、人間不信で自暴自棄になっている生徒たちには通用しません。

    この映画の興味深いことは、主人公の臨時教員が挫折して苦労の末に
    本来の【教育の目的】について目覚めることなのです。
    語学力や計算能力や知識ではなく、先ず誇りと自尊心を取り戻させることで、
    目の前の生徒を生まれ変わらせる事であると自らが黒人で苦労した社会経験によって
    気づき、自己の本当の【ミッション:大義・使命・天職】に目覚めたのです!
    ハレルヤ!

    ●【天職】を発見するの法は今日目前の義務を忠実に守ることであります。
     さすれば、神は段々と我等各自を神の定め給いし【天職】に導き給います。
     要するに【天職】はこれに従事するまでは発見することのできるものではありません
     (内村鑑三)
    ●自分の仕事を知り、それを為せ。
     我々の大事な務めは遠くのほうにおぼろげにあるものを眺めていることではなくて
     手元にあってはっきりしている事を行なうことである
     (カーライル)
    ●すべて汝の手に堪えることは力を尽くしてこれを為せ(伝道の書9-10)

    つまり、【神の愛=主イエス】から観れば、社会経験があるならば
    誰でも【教育者】になれる資格もあり、権利もあり、責任すらあるのです!

    ●あなた方も、それぞれ生ける石となって、霊の家に築き上げられ、
     聖なる祭司となってイエス・キリストにより、
     神に喜ばれる霊のいけにえを、献げなさい
     (ペテロ前書2-5)
    ●あなた方は選ばれた種族、祭司の国、聖なる国民、神につける民である。
     それによって暗闇から驚くべき御光へと招き入れてくださった方の力ある御業を、
     あなた方が広く語り伝えるためである(ペテロ前書2-9)

    ドラマの生徒は、現代社会を構成している「私たち自身」でもあります。
    現実生活に流されたり、多忙で忙殺されてしまって、いつのまにか自分本来を
    見失う時もあります。「自分を変えたい!」「もっと生きがいが欲しい!」
    「このままじゃいけない!」と心の奥で密かに思うことでも、
    さらに前向きに本来の自分が<神愛意欲:愛好精神・好奇心・探究心>で信じ愛し望む
    【ビジョン:理想・夢望・念志】を抱き続けているならば、世間は知らずとも、
    【神の愛=主イエス】は必ず見守り、聞き届けてくれるのです!
    必ずや【神愛チャンス】<神助:祝福・恩恵>が訪れることを体感しましょう!

    ●<神助>(内村鑑三)
    ◆神を信ぜよ、さらば神は汝の必要に応じて全ての善き物をもって汝を恵まん。
     ⇔ ★天来の思想
       ★外来の友人
       ★意(オモ)わほざる汝に臨む全ての恩恵の手段(テダテ)
    ◆汝の事業を助けん。
    ◆汝の目下の境遇をもって汝の力を量るなかれ。
    ◆汝は信仰をもって神の力を汝の力となすを得べし。
    ◆多くを望めよ、そは天にいます汝の父はその恩恵の宝庫を開いて
     汝の来りてこれを求めんことを待ちつつあり給えばなり。
    ●我々は神の命じ給う道を歩いていれば
     日々その務めと力とが自ずから与えられる。
     特にそれを得ようと思い煩うことはいらない。
     ただ、それを受け入れて実行すれば善い
    (ヒルティ)
    ●なおも神の御手と御心にさからわず
     勇気と希望を少しも捨てぬ。
     私は静かに耐え真っ直ぐに前進する(ミルトン)
    ●神の側に立とうと決心するが良い。
     次にはあなたの力と個性に合わせて
     あなたに個人的に下される神の命令に従え(ヒルティ)
    ●あなたにゆだねられている尊いものを
     私たちの内に宿っている聖霊によって守りなさい
     (テモテ後書1‐14)

    もう一つの作品「カッコーの巣の上」は、知らず知らずのうちに
    【神愛自立:神愛自由・神愛独立】を放棄している現代社会の私たちに向けて、
    問題提起している映画です。

    舞台は「精神病棟」です。完全看護で厳しい管理規則に従わざるを得ない光景は、
    まさに、ある種の独裁国家のごとき環境です。

    そんな無抵抗で従順な患者ばかりの病棟に、社会に順応できず、度々刑務所に入っても、
    強制肉体労働でも問題を起すほどにあまりにも日常行動が不適格であるために、
    精神的異常があるかを診断するように司法から依頼されて、検査入院してくるのです。

    ここでも<真理>【神愛方程式=神愛摂理】が示されていることを
    改めて発見できました。
    つまり、私たちは何の【不自由】を感じないままに
    日常を生きているかもしれないということです。

    「いつか(Someday)は・・・」と思いながら、いつの間にか麻痺してしまい、
    日常の管理社会・組織規則を守り、素直に従うことが【人生目的】となってしまい、
    【神愛自立:神愛自由・神愛独立】は先延ばし、後回しとなってしまっている人々が
    多いということです。

    <いつも一緒!>【神の愛=主イエス】から観る【神愛自立:神愛自由・神愛独立】は、
    自分の熱き【青春:幼な心・青年の心】に抱く【ビジョン:理想・夢望・念志】直視を
    最優先に考え、そのために自己の【タレント:個性・才能・可能性】を最善発揮させる
    決断と実行であると私は理解します。

    ●独立とは必ずしも他の援助を絶つということではなく、
     自己の有する全ての実力を活用する事をいうのである(内村鑑三)
    ●真理はあなた方を自由にさせる(ヨハネ伝8‐32)
    ●主は霊である、主の霊のあるところに自由がある(コリント後書3‐17)
    ●あなた方が召されたのは、実に、自由を得るためである。
     ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい
     (ガラテヤ書5‐13)
    ●自由を得させるためにキリストは私たちを解放して下さったのである
    (ガラテヤ書5-1)
    ●自由は己を治むるの意なり。自由は己を神に委ね、
     しかれども強いられて委ねるにあらず、 自ら求めて委ねるなり(内村鑑三)
    ●キリストによりてのみ真正の自由と独立とあり。
     そは彼は霊魂の自由を与える者なればなり (内村鑑三)
    ●しいられてするのではなく、神に従って自ら進んでなし、
     恥ずべき利得のためでなく、本心からそれをなしなさい(ペテロ第1書5-2)
    ●各自は惜しむ心からでなく、また、強いられてでもなく、
     自ら心で決めたとおりにすべきである。 神は喜んで施す人を愛してくださる
    (コリント後書9-7)

    この映画の興味深いことは初めは孫悟空のように、常に管理・規則に従わないことが
    自己の存在意義で誇りであり、人生目的の<生き様・死に様>如く暴れ回ってきた
    主人公のジャック・ニコルソンが精神病棟に来て【不自由】に無抵抗に甘んじている
    人々の姿を見て気の毒に思い初めて自分の為ではなくて、彼らのために
    【心の自由】の素晴らしさを思い出させることに懸命になって行くのです。

    彼は、やる前からあきらめてしまう病棟患者の前で失敗覚悟で様々な反抗・問題提起に
    挑み続けます。彼が何度か繰り返すうちに患者たちも徐々に、自分で考えて、
    自分の意見を訴えることに目覚め冷め切っていた人々の心が熱くなって行くのです!

    しかし、この映画の本当の主人公はジャック・ニコルソンではなく、
    病棟の中では耳も口も不自由と思われていて、
    誰からも知られずに世間での差別迫害を恐れて、
    精神病棟に隠れ住んでいた「ネイティブ・アメリカン(インディアン)の男性」こそが
    【本当の主人公】であり彼こそが【私たち自身】であるのではないかと思えるのです。

    ジャック・ニコルソンが普通の患者と違う【神愛自由の戦士】である事に触発され、
    次第に心を開いて行く【本当の主人公】との交流も最後には悲劇が起こりますが、
    これもまた<真理>【神愛方程式=神愛摂理】であると私は理解できます。

    現実世界の私たちにとっては、ジャック・ニコルソン扮する【神愛自由の戦士】が、
    実は【救世主・イエス・キリスト】その方です!ハレルヤ!

    ●独立を説くなかれ、キリストを説くべし(内村鑑三)

    【本当の主人公(ネイティブ・アメリカン)】は、勝手に恐れていた世間を目指して
    安全な病棟を脱出して本当の【神愛自由】を目指します!

    彼もまた、世間への恐れの中でもあきらめずに、いつかはきっと道が開ける!と
    心の中では【ビジョン:理想・夢望・念志】を抱いていたからこそ、
    世間から見ればアウトローで有害無益なジャック・ニコルソン扮する人格に、
    正しく【救世主】【神の愛=主イエス】を見出せたのだと、私には理解できます。

    ●キリスト教は世をあきらめずして、世に勝たしむるものなり(内村鑑三)
    ●真っ先に人間に慰めを求めないで、神にそれを求めなければならない(ヒルティ)
    ●神に従う生活をしない者は、ただ怖れにばかり支配される
    (ツィンツィンドルフ・同胞教会設立者)
    ●我れ神に依頼(ヨリタノ)みたればおそれなし。人、我に何をなし得ようか
    (詩篇56-11)

    この二つの作品に再会できて、この時期に皆さんにも紹介できることは、
    私たちが【神愛自由の戦士】<ビジョニスト:光の子・世の光・地の塩>となって、
    世間で活躍することを【神の愛=主イエス】が導いてくれているからだと信じます!
    ハレルヤ!主に栄光を帰します!

    ●<幸福と十字架>(内村鑑三)
     人類の幸福は 学術の進歩を要す
      学術の進歩は 思想の自由を要す
       思想の自由は 政治の改善を要す
        政治の改善は 人心の洗浄を要す
         人心の洗浄は 霊魂の釈放を要す
          霊魂の釈放は キリストの十字架を要す
    ●イエスと共にある者は;
      ◆青春の詩的理想を持続することができる
      ◆単純にして一貫せる生涯を完全に遂行できる
      ★平民の友★自由の主張者★理想の追求者 
       にしてその
      ★実行者★大革命家★大詩人★大預言者
    ●あらゆる存在は、その特性に従って自己を発展させ自己を実現する
     生まれつきの衝動を自分のうちに持っている(ヒルティ)
    ●<独立の確信>(中江藤樹)
     知らざりし 外に求むる いろいろの ちから我が身の うちにありとは

    【神助道:神助精神・神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】のお任せ人生で
    日々直面する患難辛苦を【神愛特訓:オーディション!リハーサル!】と受け止め
    【主イエス】再臨で地上誕生される<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>の
    本番舞台でエデンの楽園復活事業に【ビジョン:理想・夢望・念志】で参加する為に
    <アーメン!ハレルヤ!主に感謝!>GLORY JESUS KINGDOM!先取神愛感謝で
    皆さんが社会の様々な分野で時には【神愛自立:神愛自由・神愛独立】を実現させる、
    先導者、先駆者、冒険者として<真理>【神愛方程式=神愛摂理】に守られ導かれて
    成り行きは任せ自分の【ビジョン:理想・夢望・念志】を<人生の旗印>に掲げる
    <ビジョニスト:光の子・世の光・地の塩><福音の戦士>【福音の勢力】となって
    【救国:民族精神復興&国体再建】【世界平和:神愛自由&正義<隣人愛>の結実】に
    世界を舞台に活躍されることを心より応援しています!

    ●もし最初の確信を最後までしっかりと持ち続けるならば、
     私たちはキリストにあずかる者となる(ヘブル書3-14)
    ●我等は神に造られたる者にして、
     神のあらかじめ備え給いし善き業に歩むべく
     キリスト・イエスの中に造られたるなり(エペソ書2‐10)
    ●私たちはこの宝を土の器の中に持っている。
     その測り知れない力は神のものであって、
     私たちから出たものでないことが、あらわれるためである
     (コリント後書4‐7)
    ●人間の力の秘密は、神の道具であるという性質にある。
     何故なら、全ての永続的な真実の力は神のものであって、
     人間のものではないからである(ヒルティ)
    ●神がひとたび人間の意志を所有されるならば、
     神はその人の中でみずから全てのことを行ない、
     彼を完全へと導き給う(聖女カタリナ)
    ●主は何をあなたに求めておられるのか?それはただ公義を行ない、
     慈しみ・誠実を愛しへりくだって、あなたの神と共に歩む事ではないか!
     (ミカ書6‐8)
    ●あなたの神、主は、あなたの内にいまし、救いの勇士であって勝利を与えられる。
     主は喜びをもってあなたのことを楽しみ、その愛によってあなたを新たにし
     安らぎを与える。祭りの日のように主は高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる
    (ゼパニヤ書3-17)
    ●神に感謝します。神は、私たちをいつもキリストの勝利の行進に連ならせ、
     私たちを通じて至るところに、
     キリストを知るという知識の香りを漂わせてくださいます。
     救いの道をたどる者にとっても、滅びの道をたどる者にとっても、
     私たちはキリストによって神に献げられる善い香りです
    (コリント後書2-14~15)
    ●私は初めから、以上のことを確信し、思い巡らした後、こう書き残した。
     「主の御業はすべて良く、時が来れば主は必要なことをすべて満たされる。」
     「これはあれよりも悪い」と言ってはならない。
      どんなものも時が来ればその良さが証明される。
      さあ、心から、声高らかに賛美の歌をうたえ。主の御名をほめたたえよ
      (シラ書〔集会の書〕39-32~35)
    ●私たちは善を行うことに、うみ疲れてはならない。
     たゆまないでいると時が来れば刈取るようになる(ガラテヤ書6‐9)

    ハレルヤ!栄光を主に帰します。
    主の恵みに感謝します!アーメン

    それでは今日も明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい。
    Good luck & God bless you!
     
    異論・反論・疑問など何でもメール歓迎します!
    cforum@tanaka.name
    ウェブ:https://cforumtanaka.jimdo.com
    田中 聡(さとし)






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