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2017年4月23日、フランス大統領選の1回目の国民投票が実施され午後8時に即日開票、中道系無党派のマクロン氏極右・国民戦線のルペン氏が決戦投票に進むことが即座に判明した。同刻、パリ・バスティーユ広場。フランス革命の中心地ともなった場所に筆者は赴いた。同地でバリケード封鎖をしよう、というビラを街中で目にしらからだ。本稿ではその夜、バスティーユ広場〜レピュブリック広場で繰り広げられたデモ隊と警察との衝突の一部始終をお伝えする。

極力写真を用いて出来事の解説はするが、最もよく雰囲気を再現しているのは動画である。かなり長いので3パートに分割したが、それでも長いのでとりあえずダイジェスト版の動画を見ると、事態の把握は容易になると思われる。

バスティーユ広場での衝突

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バスティーユ広場はパリで最も有名な広場の一つで、革命の中心ともなり近代『フランス』という国家の根幹に関わる極めて重要な場所である。同時に、現代でも様々なデモが開かれる事でも有名。広場の中心には現在工事中の巨大な記念碑がそびえ、モダンな歌劇場などが隣接する。世界のファッションの最先端を行くマレ地区もほど近い。

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開票速報が出た午後8時、歌劇場の階段には既に多数の人々で埋め尽くされていた。ラジオ放送やネットを通じてルペン・マクロン両氏の決選投票が判明すると、民衆は緑色のスモークを焚いて各々スローガンを叫び始めた。

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人集りの中心に行くと、そこにはギロチン台が。なんの説明書きも無かったのだが、革命期の恐怖政治の復活を暗示しているのかもしれない。

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だんだんと人々は道路を跨いで広場一帯に広がりはじめる。勿論デモに参加する人々は、単一の信条を持つ訳ではない。反EUから反レイシズム、反グローバリズム、アナーキストと様々である。しかし、体感としては「反ルペン・反マクロン」とどちらの候補も否定する若者達が多かったのは確実である。本稿では便宜上、彼ら今回の集会に参加した人々を「デモ隊」とまとめて呼称する。

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バスティーユの工事用柵にアナキズムのシンボル・サークルAの旗を打ち付ける若者たちとそれを撮影する取材陣。今回のデモは事前より非常に注目度が高く、数多くのメディアが駆けつけていた事も付け加えておきたい。

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勿論、これほど大きな集会を警察が黙って見過ごすはずがない。実際、警察は集会が始まるはるか以前よりバスティーユ広場周辺に展開しており、午後8時になると同時に大きなバスティーユ広場に通じる主要な道路を機動隊を用いて全て封鎖した。

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段々と膨れ上がるデモ隊。ついに一部が工事用の柵を破壊し、柱の足組に侵入して広告を切り裂き始めた。彼の行動に熱狂するデモ隊。
すると遂に機動隊が動いた。突然大音響と共に閃光がはしる。機動隊が群衆に向かってスタングレネードと呼ばれる暴徒鎮圧用の手榴弾を投擲したのだ。立て続けに鳴り響く耳をつんざくような大音響。筆者の近くには大型犬を連れた参加者が居たのだが、犬は怯えきった様子で一目散に逃げようと必死でひどく可哀想だった。

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機動隊はその他にも催涙弾をポンポン投擲してくる。次に車輌を使ってデモ隊を追い込む。これは一般にケトリングと呼ばれる警察の暴徒鎮圧手段と見られ、デモ隊はどんどん小さく密集した形態を取らざるを得なくなる。催涙ガスのキツい臭いが漂ってくる。

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そしてそれを察知してか、ギロチン台の作者と思われる人々がギロチン台を担いで逃げる準備をし始めた。その頃筆者は機動隊が制圧にかかっているとは露知らず、歌劇場前の階段上部からその場を眺めることしか出来なかった。しかし実際に、その数十秒後に歌劇場の階段上部めがけて機動隊が猛ダッシュをしてきた。他のデモ隊とともに文字通り袋のネズミとなった筆者だったが、なんとかその場を凌ぐ事ができた。だが追い込まれていたデモ隊はそのまま階段に押し込められ、その後数時間に渡って事実上拘束されることとなる。
またこの騒動で階段から降りてきた女性が筆者の目の前で警官にふっとばされ、何かの拍子で首から流血し倒れ込んでいた。すぐさま別のデモ隊の救急パックを持った仲間が駆けつけ、しきりに”Medic!!”と叫んでいた。間もなく救急車が到着し、無事搬送されたようであった。

バスティーユ広場から始まるバリケード封鎖と暴力

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なんとか難を逃れた筆者だったが、大半のデモ参加者もまた機動隊から逃げる事に成功していたようだった。広場を見ていると、突然一部の機動隊が全力疾走でこちらに突き進んできた。

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鬼の形相で突っ込んでくる機動隊。非常な恐怖を覚えたが、機動隊員たちはそのまま奥の通りに走り去っていく。

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同様に、多くのメディアや民衆もその方向へと走っていく。これはただ事ではないと感じ同じ方向に進んでみると、そこでは衝撃的な光景が繰り広げられていた。

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先行したデモ隊が、ゴミ箱を撒き散らしてバリケードを構築し始めていたのだ。またところどころで緑色の発煙筒と炎上するゴミ箱も見受けられた。通りの商店やカフェは大急ぎで店仕舞いを始めており、いよいよ険悪な空気が漂い始めていた。

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パリの通りの両サイドは大きなアパルトマンで囲まれており、そのテラスから人々がじっと通りを見つめている。中には本気なのか冗談なのか、「もっとやれ!」と言わんばかりのイギリス国旗をはためかせる人々もいた。

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デモ隊に追いつくと、道脇に置いてあった建築資材をばらまいてバリケード封鎖を行う参加者を目にする。ほとんど小走りで移動しながら大声でスローガンを叫び、途中にある使えそうなモノをばら撒いて車道を封鎖していく。

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他にも足場など大きな鉄の資材をぶん投げてバリケード封鎖を行う人々。若い男性だけでなく、未成年と思われる女性もこのような行為を行っていた。また男性などは足組の大きな鉄パイプをガラガラと引いて、バス停の広告などを粉砕するのに使っていた。

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フランス大手銀行BNPパリバの支店を、奪った建築資材で破壊する暴徒。あちらこちらからガラスの割れる音、ゴミ箱が倒される音、爆竹のような爆音、怒号が聞こえる目に見える形で殺気立った集団が、道路の真ん中を闊歩していく異様な光景が延々と続いた。

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ソシエテ・ジェネラルといった大手銀行も破壊される。またその様子を動画で撮影していた白人記者が、ニット帽とマスクで顔を隠した暴徒から後ろから思いっきりタックルされ「撮るな!」というような事を言われていた。これには筆者も内心気が気でなかった。よくよく考えてみると、デモ側にも取材側にも、アジア人がほとんど居なかった。

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完全に麻痺するパリの通り。車は立ち往生し、中のドライバーは不安そうな顔で外を眺めていた。襲われると思ったのか、普段なら躊躇なく鳴らすクラクションの音も全く聞こえない。バスはゴミ箱で止められ、ドライバーは中の客を降ろしていた。

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襲われるのは政府系施設やバス停、カーシェアリングの車だけではなく、モノプリといった大手スーパーも同様だった。奪った建築資材でガラスを粉砕されたり、空き瓶を投げ込まれたりする店舗もあった。その他にも不動産屋なども破壊されていたが、どのような判断基準が働いているのかは不明である。

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さらに驚くべきことに、別の通りから覆面パトカーがやってくる光景を目にした。最初はサイレンを鳴らしていたが、暴徒集団を発見するとサイレンを消した。渋滞していたのでそのままやり過ごすのかと思われたが、どこからか足場用の巨大な鉄パイプを持った暴徒が現れ”police!”と叫ぶ。すると他の暴徒も現れ中に警官が乗っているにも関わらずパトカーのガラスを粉砕し始めた。身の危険を感じたのか、パトカーはすぐさま発進し、自転車用の細い道を無理やり抜けて何処かへと消えていった。

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暫くすると後ろから機動隊も追いつき、暴徒は雲散霧消していた。バスティーユ広場に戻ると、まだ階段に人々が閉じ込められていて、30分ほどしてようやく解放されるという始末だった。

これで本日の抗議は終わりかと思いきや、一部の人が大声で叫ぶ。“République!!”

真夜中に打ち上げ花火と催涙ガスで煙に包まれる

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Républiqueとはつまり、レピュブリック広場のことである。バスティーユがダメなので、レピュブリックに転身するぞ!ということらしい。レピュブリック広場はバスティーユ広場から歩いて15分ほどであり、同様にパリにおけるデモのメッカである。

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実際に行ってみるとすでに数千人の人がたむろしており、中央の巨大なマリアンヌ像には男性がよじ登り拡声器を使ってアジテーションをしていた。

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マリアンヌ像は普段は真っ白でキレイなのだが、この時は様々なスローガンが書き殴られていた。勿論、この広場も既に警察によって包囲されていた。

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暫くすると、広場から民衆がはみ出し道路側へと進み始める。ココぞとばかりに、機動隊は催涙弾とスタングレネードを撃ち込む。一方デモ側は打ち上げ花火を水平発射するなどして、深夜の広場は爆音と閃光とおぞましいまでの刺激臭に包まれた。

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モヤのように見えるのは全て催涙ガスである。

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ここでも機動隊はケトリングを行い、ジリジリとデモ隊に迫っていく。ときには警棒で盾をガンガンならし、威圧。黒い影がワラワラと広場に現れる様は、言いようもない恐怖をもたらす。

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さらに至る場所で催涙弾の照準を定める警官が見られた。
しかし0時を回ったこの場所では、その後さほど大きな衝突もなくデモは自然消滅していった。
以上が、4月23日夜に4時間以上に渡って繰り広げられたデモの顛末である。勿論、後の報道によると他の場所で多くの逮捕者を出したという。負傷者も何名か出たようだった。

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フランスの大統領が誰になるにせよ、これほど多くの人々が両候補に対し反対を表明している事実から、今後も大きなデモが起きるのは間違いないだろう。そしてそれはより過激になるかも知れなく、今後のフランスの社会情勢からは一時たりとも目が離せない。
しかし同時に、これほど大規模な反対行動を平然と行うフランス社会そのものからも、実際に見て体験することで色々と学ぶことは多かった。単なる意思表示ではない様々な思惑を持った人々が集結していた事は間違いなく、なにより暴力は決して許されない事だが、とにかく意見表明することが極めて尊ばれている社会であるという事を再認識した次第である。警官隊も基本的には静観しており、行動を起こす時は迅速に最小限の作業に留めていた事も印象的だった。

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