今回はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。
■子供の可能性?
「子供の可能性を伸ばす親、つぶす親」 『NAVER まとめ』
http://matome.naver.jp/odai/2137641019849623701
なんか美しい言葉が並んでいるが、どうなのかねぇ。褒めるのと叱るのと、多くの人は褒めるほうが可能性を伸ばすと考えてるのだろうけど、ホントかね。
褒めるというのは選択肢をその1つしか与えないこと。叱るというのは無数の選択肢のうち1つを禁止するだけ。叱るほうが子供の自由度を尊重してると思うんだけどね。法律だって「禁止」する事柄を規定するよね。
むやみやたらに子供を叱るんじゃなくて、子供になぜダメなのか考えさせましょうという。でも問題は「考えさせる」方法。結局、親が自分の都合のいい方向に誘導してるんじゃないの?むしろ理由も告げずに「ダメだ」と言ったほうが、子供は「なんでダメなんだろ」と考えると思うんだけどね。
そこから子供が自力で出す答えは、必ずしも親が望むようなものではないかもしれない。でもそれが真の意味で子供に考えさせることだろう。
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たとえば勉強は楽しくない。もちろん興味を示すに越したことはないが、すべての教科に対して興味がある子供はいないだろう。つまり楽しくなくてもやるしかないのだ。それを「楽しいと思い込め」「自主的に興味をもて」みたいな教育って、ほとんど洗脳だよね…。
「つまらなくても勉強しろ」「勉強する意味など考えずに、機械的に勉強しろ」の方がマシだと思うけどねぇ。それなら「自分は強制的にやらされてるんだ」という自覚があるわけで。その自覚すらもたず、「自ら進んで勉強してるんだ」なんて状態は怖いと思うけどね。「北の将軍さまに尽くすのが、国民の喜び」みたいな。
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「新しい子育て」とかを聞いていつも思うことがある。人間は大昔から子育てをしてきたわけで、たぶんこれまでもいろんな方法が試されてきたはず。いまさら新しい方法が発見される余地は少ないと思うのだよね。
それまで発見されなかったことが、その下地が整ったことで発見されることはある。脳科学だって研究が進んで脳細胞とかの仕組みがわかってきたから、これまでわからなかったことがわかるようになってきた。
ただ背景となる研究に進歩がないのに、突然「いままでの常識を覆す新学説」みたいなものが現れたら、それはまずは懐疑的な目で見たほうがいいように思う。新しいものが発見されたときは、「どうして今まで発見されなかったのか?」という正当な理由がなければおかしい。
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子育ての場合も、例えば脳科学の進歩でこういうことがわかってきたとか、社会の成熟でこういう教育を行える余裕が生まれたとか、それこそインターネット技術の進歩でそれまでできなかったことができるようになったとか、新しい主張には、それなりの理由がないとおかしいと思う。
そうでないなら、おそらくこれまでも歴史の中で誰かが主張し、実践したけど、結果的には成功せず歴史の中に埋もれてしまった方法の再発見に過ぎない可能性が高いと思うのだよね…。
上記の記事を見ても、なんか目新しいものは見当たらないし。20年前も同じようなことが言われた気がする。叱らない子育てって、親の自己満足だと思うけどねぇ。
執筆: この記事はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。
寄稿いただいた記事は2013年08月20日時点のものです。
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