今回はやたすんさんのブログ『やたすんのお話』からご寄稿いただきました。
■自分探しの学生が言う「人生観が変わった」が胡散臭い理由
旅行をしていると「旅をして人生観が変わった」という学生によく出会う。そんな彼らの話には共通して、発展途上国が登場する。テンプレと言っては表現が悪いが、彼らはそこで貧しい暮らしをする人々を目の当たりにして、人生観が変わったと言うケースがほとんどである。
で、さらに本人たちには申し訳ないのだが、どうしてもその言葉が胡散臭く聞こえてしまう。人生観が変わったとはなんとも仰々しい言葉である。これまでに形成された人生観とはすなわち、自我やアイデンティティを意味する。だからもし本当に人生観が変わったのならば、これまでと同じ生活など出来ないだろう。
そもそも「あなたの人生観とは何ですか」と問われて、まともに答えられる人がそういるとは思えない。ましてや二十歳そこそこの学生ならなおさらだ。彼らは「人生観が変わった」というが、そもそも変わる前の人生観すら持ち合わせていない。ゆえに彼らの言葉に説得力が出てこないのだ。
もともと人生観など無いのだから、人生観が変わったという表現は適切ではない。正確にいえば「初めて人生観を意識した」ではなかろうか。そう言ってもらえばコッチも納得できる。今日は書かないが、僕も発展途上国を見てきて思うことは多々あった。
「ウチ」の外を初めて見た時、その光景に誰もが驚く。そうやって比べる対象を知ることで、初めて「ウチ」の世界を認識出来るようになる。
彼らの「人生観が変わった」を統合すると「貧しく暮らす人達を知って、自分の豊かさに気が付いた」になる。そう。ただ気が付いただけだ。別に人生観など変わっていない。せいぜいボランティアに足を突っ込むくらいで、今日も彼らは美味しいご飯を食べて、ふかふかの布団で眠る。
といっても人生観が変わらない人に何か問題があるとか、そんなこと僕は全然思わない。なぜならそれが普通の反応だから。誰にも出来ないからこそ、マザーテレサは偉人なのだ。
ただ、みんながそう簡単に人生観が変わった気になるのはどうかと思う。それは「知っている」と「理解している」を混同するのに似ているように思える。加えてその態度は本当に人生観が変わって、問題解決に尽力する人に対して失礼だ。偉人ごっこほど見るに堪えないものはない。
とはいえ今まで会ってきた人の中にも、本当に「人生観が変わった人」はいたのかもしれない。おそらくそういう人は僕には見えない、そこまで心を突き動かされる何かが見えるのだろう。僕はそんな人を本気で尊敬しています。
執筆: この記事はやたすんさんのブログ『やたすんのお話』からご寄稿いただきました。
寄稿いただいた記事は2013年08月20日時点のものです。
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