今回はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。
■幼児教育は何十年歴史があれば信頼できるか
某プロブロガーが各種の幼児教育を紹介していた。まあ、基本的に教育方法というのは大事であり、研究するのは理屈の上では賛成なのだが、どうも俺はこの点に懐疑的にならざるをえない。
教育というのは行ってから成果がでるまで大変時間がかかる。特に幼児教育だと、最低20年、できれば30年後ぐらいの成果をみないと、その教育が良かったかどうかわからないだろう。
よく「子供に対してしてはいけないこと」みたいなことが言われているけれど、それって言っちゃなんだけど、大人が想像で考えているだけだよね。
たぶん教育というのは3世代ぐらいかけてようやく評価できるものなのだと思う。50年とか100年とか。だから○十年の歴史がある教育といっても、それがたかだか20年とか30年だと、「成果が実証されてるんですか?」と言いたくなる。
* * *
教育論の難しさは、成果を出す時間と研究者の寿命がだいたい同じぐらいな点だと思うのだよね。当たり前といえば当たり前で、子供を産み育てるサイクルはその個体の寿命と連動している。孫の世代まで考慮してもたかだか2世代分しか、人間は観察できない。
もちろん自然科学と同じように、人間は知識や経験を次の世代に残すことができるから、そうやっていけばゆっくりとは経験が社会に蓄積され、進歩していくだろう。ゆっくりと…。
ということで、何事も研究には試行錯誤が必要だから、あれこれ試してくれるのはありがたい。みずから実験材料になってくれてるのだから、そういう人たちは自分と自分の子供によって、100年後、200年後の社会に貢献している。何事も犠牲はつきもの。彼らに我々は感謝しなければならない。ほんとうにありがたいことだ。
共産主義国家も失敗だとわかるまで70年かかったし。
* * *
教育というものを考える時、2つの視点があると思うのだよね。ひとつは自分の子供が優秀な人間に育ってほしいという考え方。もう一つは社会全体として、優秀な人間が増えてほしいという考え方。
人類の歴史を考えれば少数の飛び抜けた人間によって、歴史は牽引されてきた。つまり社会にとっては、飛び抜けた人間が一定数いればいいのであって、みんなが優秀である必要はない。
もちろんみんなが優秀であるに越したことはないが、そもそも「優秀」というのは状況によって変わるわけで、同じタイプの優秀な人間がたくさんいるのではリスクが高すぎる。つまり(ある価値観から見れば)優秀でないもたくさんいなければならない。
まあ、母親とかが我が子が優秀であってほしいと願うのは当然だけどね。人間というのは360度いろんな方向のタイプがいる。それがたまたまその時代にマッチした人間が「優秀」と言われるわけで、いわばルーレットの賭けと同じだよね(笑)。
自分の子供を「当たり」にするのは難しい。でも社会全体から見れば、誰かの子供が当たりさえすればいいわけで、すべての目に賭けておくのが、最善の戦略。
執筆: この記事はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。
寄稿いただいた記事は2013年10月10日時点のものです。
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