ジャーナリズムの構造(メカAG)

今回はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。

■ジャーナリズムの構造(メカAG)


ネットメディアというのは、相変わらずアービトラージ(さや抜き)モデルですよね。自分で取材しないで、他媒体のニュースを集めたり、そのニュースを見て記事を書いたりしています。

「「ネットはオールドメディアが圧勝」――川上量生ドワンゴ会長インタビュー(上)」 2014年06月25日 『ダイヤモンド・オンライン』

http://diamond.jp/articles/-/55086

俺はkawangoのこの意見正しいと思うんだよね。能動的な取材力というのは、やっぱ既存のジャーナリストが圧倒的で、ネットを軸足に置いたジャーナリストは、言っちゃ悪いけど遊びだよね…。

一方ネットの場合、専門家(研究者)が自発的に記事を書くので、そういう内容は充実している。既存のジャーナリズムがカバーしていなかった(ニーズが希薄な)分野は強い。でもそれはジャーナリズムとは違う。単なるメディア(媒体、発表の場)でしかない。

ジャーナリズムというからには、隠されたものを探り、暴き出すものでなければならない。いいかえれば上述のように専門家が自発的に寄稿するケースでは、それぞれの専門家がジャーナリストなわけだ。メディアはそれを単に取捨選択して(キュレーションして)載せているだけ。

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すでに専門者がいる分野はそれでいいと思うんだよね。科学的な新発見のニュースとか、あるいは犯罪心理の研究とか。でも「分野」として確立してないものは、これではカバーできない。それこそオウム真理教事件とか最近では遠隔操作ウィルス事件とか。

で、そういうものはやっぱ既存のジャーナリズムに太刀打ち出来ないかな、と。見方を変えれば専門家のいる分野というのは、その研究そのもので飯を食える分野。大学教授とか、どっかの研究所の研究員とか。本業があってそっちで飯を食っていて、その副産物としてメディアに情報提供している人。エンジニアとかもこの系統だろう。開発など本業があって、その余暇(?)として情報共有のために、自分が知っている情報をネットで紹介している。

逆に言えば「本業」が存在しない分野ではネットのジャーナリズムは成り立たない。また本業の人間が書く以上は、いろいろしがらみがあって、暗部に切り込むというような記事は書けないだろう。ようはジャーナリズムというのは、狭義にはそういう部分を補完する存在のはず。

だから狭義のジャーナリストには本業が他に存在しない。ジャーナリズムそのものが本業であり、彼らが飯を食うためには、(別に本業を持っているような)副業としてライターをやっている人たちとは差別化した報酬が必要。それがネットメディアでは確立してないし、確立する宛も今のところない。

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ジャーナリズムとうのは2つのパートに分けて考えるべきだと思うんだよね。

1) 取材し情報を集める人たち。

2) 集めた情報を料理して大衆に発表する人たち。

1)は基礎研究みたいなものだろう。基礎研究は直接は金にならない。2)は研究成果を商用化して金に変える仕事。

本業が別にあって副業でライターをしている人たちは、1)は本業と一緒なんだよね。だからなにかしらの手段で自動的に飯を食えるし、情報も自動的に集まる。なので我々に見えるのは2)の部分だけ。

ソフト開発でも基礎研究というのは直接は金にならない。お客はそんなものに金を払ってくれない。だから開発した基本部分を応用して個々の客向けに商品を作ってそれで金を稼ぐ。稼いだ金の一部は、基礎研究を行ってる連中の給料になる。

この配分はそれぞれの会社の工夫のしどころ。そもそも正解なんてない。金にならない基礎研究だけひたすらやってても倒産してしまうし、逆に金になる商品の開発ばかり力を入れてると他社と差別化ができずゆるやかに左前になっていく。

そしてネットジャーナリズムはこの部分の仕組みが確立に成功していない。既存のジャーナリズムはそれなりにこの仕組を維持している。まあこの先も維持できるかは怪しいが。

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一方違う考え方もあるだろう。イケダハヤトのサイトから引用するのがちょっとアレだが、もとは佐々木俊尚のメルマガの文章。

編集局は言ってみればお金のうまないコストセンターであって、お金のことは収益部門に任せて、「自分たちは社会全体のために公益性の高い記事を書いていれば良い」という発想が常にあったわけです。実際、私も営業局の同期入社の社員から「お金はオレたちが稼ぐから、佐々木はいい記事を書けよ」なんて励まされたこともありました。

しかしこの構図が、いまは完全に崩壊してしまっています。しかしこの構図が、いまは完全に崩壊してしまっています。編集局は社会の公益性のためにただひたすら記事を書くだけでなく、その取材・執筆行為がどのようなビジネスとして成り立つのかを考えなければならなくなってきています。ところがこの発想に、古い紙の時代の文化を引きずった記者や編集者はついていけない。

「「お金のことは知りません。良い記事を書くのが仕事です」?「高等遊民」な記者・編集者は生き残れませんよ」 2014年06月11日 『まだ東京で消耗してるの?』

http://www.ikedahayato.com/20140611/6900841.html

マネタイズは営業局に任せて編集局はひたすらいい記事を書いていればいいんだという考えはもはや通用しないと述べている。まあ佐々木俊尚もフリーランスとしていろいろ苦労があるのだろうけど、俺はこの考え方には賛成しかねる。

前述のソフト開発の話でいえば、たしかに基礎開発もまったく金になるあてのないことを自己満足で研究していたのではダメなのはその通り。しかしだからといって基礎研究部門がマネタイズに引きずられすぎるのは墓穴を掘るだけ。

まさにこの綱引きが日々行われてるわけだ。ようするに「投資」なんだよね。だから外れることもあるし、外れた方向にばかり投資してれば破産してしまうのは当然。でも投資自体は続けなければならない。

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まあ佐々木俊尚の文章もそういうことを行ってるのかもしれないけど、基礎研究とマネタイズを1人の人間もしくはひとつの部署が同時に考えるというのは、ダメだと思う。どうしたってマネタイズの方向に引きずられてしまう。日本のソフト産業は受託ばかりだというのもこのため。

他社と差別化するには独自の技術を開発しなければならないというのは、だれだってわかっている。でも日々の仕事の中でそれをやるのは、誰にでもできることじゃない。結果的に、受託という安易な道に流れてしまう。

やっぱね~金を稼ぐ部門(受託とか)のプロジェクトが火を吹いていて、金が入らないと会社が大赤字になるとかいう状況で、基礎開発の独立性を維持するのは至難の業。それをやるには、両者を引き離さなければならない。心を鬼にして(苦笑)。

小泉総理の「米百俵」の話じゃないけど、将来への投資というのは、余った金でやるんじゃない。今晩食べる飯を切り詰めて、ひもじい中で、将来の成功を信じて投資するわけだ。

佐々木俊尚の文章は全体を読んでないのでなんとも言えないけど、当該部分だけ読むと、まるでむかしは新聞メディアは儲かった、だから編集局に自由にやらせる(投資する)余裕があったという意味に取れる。でもそれは違うんじゃないかと思うね。まあジャーナリストの世界は知らないけど、ひもじい中で将来に投資し続けなければ勝てない。

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話が拡散してしまったが、ジャーナリズムを論じる時は、「情報の収集」と「情報の発信」は別部門としてわけて考えるべきなのだと思う。むろん小規模なメディアや個人の場合、現実問題として両方を兼任するのはいいと思うが、考え方としては常に分けて考えるべきなのだと思う。むろん両部門を統括し、将来への投資が適切に行われているか、戦略を練る部門の必要。

だからたとえ個人で両者を兼任していても、自分がいまどちらの立場で考えているかは、区別しなければならない。よく大企業は部門間の障壁が高くてギクシャクして非効率だと言われる。それはそうなんだが、構造そのものは個人の頭の中と同じだと思うんだよね。というか個人の頭の中を外部に取り出したのが、企業の組織。

頭の中だけで考えていると上手くまとまってると思う考えを、実査に文章にしてみるといろいろ抜けがあったりするのが分かる。頭の中にある状態だとどうしても人間は都合のいい部分しか考えない。文章にするとその考え落としが白日の下にさらされるわけだ(苦笑)。

同じことが会社の組織にも言えると思う。会社の組織の問題点というのは、突き詰めていけば個人の思考の問題でもある。ただそれが個人の頭の中にあるだけの状態だと、あまり問題点が顕在化しないだけ。

会社組織の弊害というのは、実は人間の思考力の限界そのものだ。だから「(組織に任せず)一人一人が考えていかなければならない」という言い回しは、俺は逃げだと思うんだよね。「考えていかなければならない」といったって、人間は考えない。「一人一人が考えるべき問題」というのは、「全部どんぶり勘定にして、問題点を見えなくしちゃいましょう」というのと同義。

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そしてもう一人。堀江貴文がkawangoの記事にコメントしている。

まあいつものオールドメディアよりにわざと振れた川上さんの発言ね。オールドメディアの取材力はグローバル化、スマホネイティブ化に全然対応できてない。

「「ネットはオールドメディアが圧勝」 ――川上量生ドワンゴ会長インタビュー(上) - Close-Up Enterprise」 2014年06月25日 『ホリエモンドットコム』

http://horiemon.com/news/2014/06/25/11134/

既存メディアの取材力はネットメディアよりも劣っているという意見。どうも俺はこれがしっくりこない。というか「グローバル化」や「スマホネイティブ化」というのがよくわからない。後者は例えば素人がたまたま出くわした事件をスマホのカメラで撮影して報道するとか、そういう意味だろうか…。

でもそういうのはジャーナリズムとは違うと思うんだよね。だってそれって街の監視カメラと同じだよね。たまたまそのカメラを人間が手で持っていたというだけで。ジャーナリズムには「テーマ性(問題意識)」がなければならない。それを設定できるのは人間だけだ。ソフト開発でいえば開発コンセプト?

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基礎研究部門が直接は金を稼ぎだしてないにも関わらず彼らに金を払うように、マネタイズとは直接関係ない取材担当の人間にも、何らかの形で金を還元すべきであり、そうしないと狭義の、本来のジャーナリズムは、立ち行かなくなるだろうね。大学教授が学生への講義という名目で大学から金をもらっているように、ジャーナリズムにもそういう仕組は必要。

ネットによって従来曖昧にされていた「情報の収集」と「情報の発信」の役割分担が明確になったのは良いことだと思う。両者を別会社にしたっていい。企業が研究所を持っているように、金を稼ぎだす部門がそういう部門に金を回せばいいわけで、その仕組の構築が遅れているというだけだと思う。

「ジャーナリズム=研究機関」説。ジャーナリストはマネタイズなんて考えるべきじゃない。昨今の何でも第周受けするものが正しいという「大衆原理主義」は長続きしないと思うね。人類にとって初体験だから過剰に反応しているだけで、いずれ定常状態に落ち着くはず。というか長続きするなら国が、もしくは世界が滅ぶ。

そして「情報の発信」は早晩過当競争になって無料にならざるをえない…というのが俺の持論。その時「情報の収集」の維持費をどういう形で誰が負担するかは…さて。

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●追記2014-06-27


それだけではなく、パネルディスカッションで発言を求められるときにも、否定的な文脈でコメントをいわせようと誘導されるし、取材されて記事になるときには、文言とかが微妙にやたら攻撃的になったり、まるでぼくが馬鹿にしているかのようなニュアンスで書かれたりするのである。まあ、だいたい言っていることは事実でもニュアンスとしては意図しないものになる。

「ニュースキュレーションアプリについて思っていること、いいたいこと」 2014年06月26日 『かわんごのブロマガ』

http://ch.nicovideo.jp/kawango/blomaga/ar563147

笑った。

執筆: この記事はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。

寄稿いただいた記事は2014年07月03日時点のものです。

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