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努力が報われた時代なんてあったのだろうか?(疑似科学ニュース)
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努力が報われた時代なんてあったのだろうか?(疑似科学ニュース)

2014-07-22 14:00
    努力が報われた時代なんてあったのだろうか?(疑似科学ニュース)

    今回はメカAGさんのブログ『疑似科学ニュース』からご寄稿いただきました。

    ※すべての画像が表示されない場合は、http://getnews.jp/archives/627755をごらんください。

    ■努力が報われた時代なんてあったのだろうか?(疑似科学ニュース)

    高度成長期は努力が報われたが、現在は努力は報われない時代だ、昔と今は違うのだから、オッサンは自分たちの価値観を押し付けるな、という主張がネットには後を絶たない。

    むかしから「努力すれば報われる」とは言われたものだ。俺もそう説教されて育ってきた。でもそれはあくまで「そう振る舞うべきだ」ということであって、実際に努力をすれば報われたかどうかは、別問題だと思うんだよね。「少年よ大志を抱け!」みたいな標語を、事実だとされても…と。

    「努力すれば報われる」という言葉がはなはだ抽象的で、どうとでもとれる点に問題があるように思う。その辺を考えてみたい。

       *   *   *

    「努力すれば報われる」というのは、「努力しないと報われない」とセットだろう。論理的には同じではない。「努力すれば報われる」と「努力しなくても報われる」は論理上は矛盾しない。でもわざわざ「努力すれば報わる」と強調してるのだから、これは暗に「努力しないと報われない」という主張を含んでいると言っていいだろう。論理ではなく人間の常識としては、ね。

    http://getnews.jp/wp-admin/edit.php

    そして「報われる」というのはなにか?ストレートに考えれば「所得が増加する」と考えて大きな問題は生じないだろう。細かく見れば、人生において得るものは所得だけではないが(愛とか友情とか)、言い出すとキリがないので。

    そしてこの場合「増加」であって、絶対値ではない点も重要。最初から高い所得を得ている人間が、その状態からたいして変わらないなら「報われた」とは表現しない。あくまで変化分が重要。

       *   *   *

    つまり「努力すれば報われる」というのは所得の増加、そして努力した人間と努力しない人間の差として現れるはず。つまり「努力すれば報われる時代」というのは「格差の拡大」として現れているはず。努力した人間は所得が増え、努力しなかった人間は所得が増えないはずなのだから。

    ここで「ん?」と思った人も多いだろう。ネットでは「高度成長期はみんな豊かになったが、現在は格差が拡大している不幸な時代だ」という人が多い。この主張を言い換えると「高度成長期は格差が小さかった」ということになる。「みんな豊かになった」のなら、努力しない人も豊かになったということではなかろうか。矛盾してはいないか。

       *   *   *

    下記に1960年~2013年の所得格差の推移が載っている。

    「所得格差の推移」 『社会実情データ図録』

    http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/4663.html

    努力が報われた時代なんてあったのだろうか?(疑似科学ニュース)

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    http://getnews.jp/img/archives/2014/07/sr.jpg

    1960年~1970年は格差が縮小している。これは以前別エントリでも述べたが、日本の産業構造の急激な変化によるものだろう。第1次産業(農業)が中心だったのが、第2次、第3次産業(サラリーマン)主体に移行している。

    下図の所得の絶対値を見ても、低所得世帯の所得の伸びが大きい。高所得世帯の所得も伸びているが、それ以上に低所得世帯の所得が伸びている。貧しい人が豊かになったというのはこのことだろう。

    では努力しなかった人間は豊かにならなかったか?むろんそういう人たちもいただろうが、統計データからは読み取れない。全体的な傾向としては、努力したとかしないとかに関係なく、豊かになった事を示しているだけだ。

       *   *   *

    1975年前後に格差のピークがある。オイルショックの時ですな。下のグラフを見ると高所得世帯もダメージを受けているが、低所得世帯の方がより大きな影響を受けている。このため格差が拡大した。ただ比較的短期間で収まっているようだ。

    1980年代後半から1990年代前半のバブルの時期はどうか?全世帯のグラフではこの時期4.5倍を超えている。つまり格差は拡大している。しかし勤労世帯に限定するとそれほど顕著な傾向は見られない。それでも1970年~1985年と1985年~2000年では若干後者の方が格差が大きくなってはいるが。

    そして1995年を境に所得が減少している。ある意味「頑張ってるのに報われない(所得が減っていく)」というのはこの状態だろう。格差を見るとこの時期から勤労世帯の格差が3.5倍を超え現在に至っている。

    「格差拡大=努力の差」と考えれば、この時期こそ、努力した人間と努力しなかった人間の差が付いたと見ることもできる。とはいえ全体的な所得が減少していく中、努力すれば現状維持、努力しないと所得減少という状況は、感覚的には「努力すれば報われる(=所得増加)」とはとらえにくいだろう。

       *   *   *

    2000年以降、全世帯の格差は縮小している。これは高所得世帯の所得の減少が低所得世帯の所得の減少よりも大きいためのようだ。よく小泉改革は弱者いじめだと批判されるが、統計データは逆を示している。

    ある意味、格差が縮小した良い社会になったとも言える。ただ高度成長期は低所得世帯の所得の増加によって格差が縮小したのに対して、2000年以降は高所得世帯の所得減少によって格差が縮小した点が違う。格差縮小であっても印象はずいぶん異なったものになるのは疑いようがない。

       *   *   *

    さていよいよ「努力すれば報われる」の正体。たしかにこの言葉は俺が子供の頃、大人たちから呪文のように言われたものだ。でもそれって「勉強していい大学に入って、いい会社に就職しろ」ということだと思うのだよね。

    戦後、日本の産業の中心が農業などの自営業からサラリーマンへと移っていった。それによって確かに日本は豊かになったし格差は縮小した。低所得世帯が高所得世帯を追い上げるチャンスはサラリーマンになること。もっといえば「いい会社」のサラリーマンになること。

    「大学進学率をグラフ化してみる(2011年1月時点)」 2011年01月09日 『ガベージニュース』

    http://www.garbagenews.net/archives/1640997.html

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    http://getnews.jp/img/archives/2014/07/sr2.jpg

    大学進学率も1960年代後半から1970年代前半にかけて急増している。全体的にまだ大学進学率が低かった当時は、現在とは比べ物にならないほど「大卒」というのはアドバンテージだったわけだ。

    受験戦争・受験地獄という言葉が生まれたのもこの頃。受験地獄を緩和するための都立高校の学校群制度の導入(1967年)、大学の共通一次試験の導入(1979年)などが行われた。余談だが小林よしのりのマンガ「東大一直線」(1976年)が描かれたのもこの時期。

       *   *   *

    それはある意味正しかったのだろう。良い会社のサラリーマになれば黙っていてもそれなりの収入が約束された。バブル崩壊までは。2000年以降、高所得世帯の所得減少によって格差が縮小しているのは、1990年代後半のバブル崩壊によるリストラのせいではなかろうか。1990年代後半50歳代の自殺数が跳ね上がっている。厳しいリストラの波が直撃した世代。

    「平成25年版自殺対策白書 | 3 年齢階級別の自殺者数の推移」 『内閣府』

    http://www8.cao.go.jp/jisatsutaisaku/whitepaper/w-2013/html/honpen/chapter1-03.html

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    http://getnews.jp/img/archives/2014/07/sr3.jpg

    高度成長期、日本の産業の過渡期で、零細自営業がまだ多かった時代。親たちにすれば、自分の子供を大企業に就職させることこそ、夢だったのだろう。その夢は受験に勝ってこそ得られる。努力していい大学に入れば、報われるのだ、と。10~20年後の1980年代に格差がやや拡大しているのも、その成果かもしれない。彼らが30代になり大企業と中小企業で給料の差が大きくなってくる頃。

    逆にいえば一旦企業の中に入ってしまえば、よく批判されるように、賃金は年功序列だから、努力の有無ではたいして差がつかなかったのではなかろうか(ものすごく出世すれば別だが)。それはいまもむかしも変わらない。

    終戦の5年後の1950年に生まれた子供の人生を考えてみる。高度成長期の1965年に15歳で高校受験。バブルの1985年には35歳になり大企業に就職できた勝ち組はこの世の春を謳歌。2000年には50歳になりリストラの嵐に見舞われる。受験地獄→バブル→リストラ。現在65歳のこの世代が戦後の日本を象徴する世代かもしれない。

       *   *   *

    こう考えてみれば「努力すれば~」というのは、入り口、学歴の問題。この点は今もそんなに変わらないと思うんだよね。いい大学を卒業すれば就職に有利なのは、いまも同じわけだし。当時も「努力は報われる」というのは当人たちは実感できなかっただろう。15歳の頃に一生懸命勉強した努力が20年後にようやく報われたのだから。

    でも当時、親や先生がうるさいから「努力が報われるって、ほんとか?」と思いつつ、半信半疑で仕方なしに勉強したわけだ。「大学の勉強なんて役に立たない」とかも当時から言われていたこと。それはいまも同じだろう。

    結局のところいまの努力が20年後にどういう形になるか、もしくは形にならないかなど、誰も予測できない。20年たって後から分かるだけだ。当時の大人たちも確信があって「一生懸命勉強すれば報われる」と子供に言ってたわけではないだろう。自分たちは本格的な学歴社会をまだ経験してないのだから、あくまで予想でしかない。

    未来が予測できないのはむかしも今も変わらない。よく「現代は不確実な時代だ」というけれど、それって俺が子供の頃も聞いたフレーズだと思うんだよね。きっと戦前も不確実だっただろう。あんな戦争が起きたくらいなのだから。いつの時代も「現代は不確実」なんだよ(苦笑)。

    努力が報われるかどうかなんて、いつの時代も誰にもわからない。戸惑いながらも進むしかない。みんなそうやって人生を歩んできたわけだ。なにも今の若者が特別な世代じゃない。人間はいつも「自分たちの世代は特別だ」と思いたがるけれど。

    執筆:この記事はメカAGさんのブログ『疑似科学ニュース』からご寄稿いただきました。

    寄稿いただいた記事は2014年07月22日時点のものです。

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