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アッツ島の戦い~「玉砕」第一号となった山崎部隊 『笹幸恵の軍事トリビア』#26
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藤田嗣治の戦争画を近 よしりんが教科書に描 昭和天皇のお言葉の打 樋口将軍は昭和45年ま 死守する必要あったの 作戦広げすぎ 陽動作戦でしょ 大変、興味深く見させ
日本軍の戦況が不利になって以降、部隊が全滅する事態は既に起こるようになっていたが、大本営がこれを「玉砕」という言葉で表したのは、昭和18年5月のアッツ島の戦いが最初だった。大本営はアリューシャン諸島の放棄を決定、その際、アッツは全滅させる一方、隣のキスカは全員撤退させるという、正反対に命運が分かれることとなった。その際、北部軍司令官・樋口季一郎が送った悲痛な玉砕命令の電文と、それに対する山崎保代部隊長の、毅然とした返電。そして、最後の突撃を迎え撃った米軍中尉が語った、部隊の壮絶な最期の様子が胸を打つ。