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専門家は大したものだ 『徒然草 気まま読み』#95
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高森先生も専門家 あし、変換で出ない
今回扱うのは、第五十一段。全文を紹介すると…龜山殿の御池に、大井川の水をまかせられむとて、大井の土民に仰せて、水車(みづぐるま)を作らせられけり。多くの錢(あし)を賜ひて、數日(すじつ)に營み出してかけたりけるに、大方廻らざりければ、とかく直しけれども、終に廻らで、徒らに立てりけり。さて宇治の里人を召してこしらへさせられければ、やすらかに結(ゆ)ひて參らせたりけるが、思ふやうに廻りて、水を汲み入るゝ事、めでたかりけり。萬にその道を知れるものは、やんごとなきものなり。現代の「専門家」とか「有識者」とかいうものは、全然信用ならないものに成り下がっているが、兼好法師が生きた時代には、本当に真っ当な専門家がいた。兼好はそういう尊敬すべき専門家やプロフェッショナルを称える文を何度も書いていて、これもそのひとつ。本来、専門家とは大したものであるべきだという思いを込めつつ、読んでいこう。