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「人の亡き跡」徒然草気まま読み#114
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表面→哀しみ深淵→笑い 表面→笑い深淵→哀しみ もののあはれ 日本人的と言いたいね これぞ兼好法師! まあ、そうだよね 本人に寄り添う 偽善を嫌う ほー いつも楽しく見てます

今回扱うのは、第三十段。動画では冒頭部分だけのご紹介ですが、ここでは全文を掲載します。人の亡き跡ばかり悲しきはなし。中陰(ちゅういん)の程、山里などに移ろひて、便りあしく狹き所にあまたあひ居て、後のわざども營みあへる、心あわたゞし。日數(ひかず)の早く過ぐるほどぞ、ものにも似ぬ。はての日は、いと情なう、互にいふ事もなく、我かしこげに物ひきしたため、ちりち゛りに行きあかれぬ。もとの住家にかへりてぞ、さらに悲しきことは多かるべき。「しかじかの事は、あなかしこ、跡のため忌むなる事ぞ」などいへるこそ、かばかりの中に何かはと、人の心はなほうたて覺ゆれ。年月經ても、露(つゆ)忘るゝにはあらねど、去るものは日々に疎しといへる事なれば、さはいへど、その際(きは)ばかりは覺えぬにや、よしなし事いひてうちも笑ひぬ。骸(から)は、けうとき山の中にをさめて、さるべき日ばかり詣でつゝ見れば、程なく卒都婆も苔むし、木の葉ふり埋みて、夕の嵐、夜の月のみぞ、言問ふよすがなりける。思ひ出でて忍ぶ人あらむほどこそあらめ、そも又ほどなくうせて、聞き傳ふるばかりの末々は、哀れとやは思ふ。さるは、跡とふわざも絶えぬれば、いづれの人と名をだに知らず、年々の春の草のみぞ、心あらむ人は哀れと見るべきを、はては、嵐にむせびし松も、千年を待たで薪にくだかれ、ふるき墳(つか)はすかれて田となりぬ。その形(かた)だになくなりぬるぞ悲しき。人の死というものについて、まず身内の葬儀の話から始まり、さらに年月を経ていくにつれての変化を語っていく。決して長くはないこれだけの分量で、ここまでミクロからマクロまで視点を変化していく文章はなかなか見られるものではない。徒然草の中でも屈指の名編、じっくり味わっていただきたい。

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