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己自身を知れ「徒然草気まま読み」#156
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ありがとうございまし 真理は古今東西変わら 兼好法師のたたみ掛け
今回扱うのは、第百三十四段。冒頭を紹介すると…高倉院の法華堂の三昧僧何某の律師とかやいふ者、ある時鏡を取りて顔をつくづくと見て、我が貌の醜くあさましき事を、餘りに心憂く覺えて、鏡さへうとましき心地しければ、その後長く鏡を恐れて、手にだに取らず、更に人に交はる事なし。山城愛宕郡清閑寺のある三昧僧は、ある時鏡で自分の顔をよく見ていて、その容貌のあまりの醜さを憂いて、以後は鏡を手に取ることもなかったばかりか、人と会うことも避けるようになった。このエピソード、普通だったら自意識過剰と批判的に扱いそうなところだが、兼好は違う。むしろ、立派な心掛けとして評価しているのである。人は自分自身の事を知らず、自分を知らないということは、他人を知ることなどできるわけもない。自分自身を知らないということは、自分自身には合わないことをやっていてもわからないし、自分が何をすべきかもわからないということだ。兼好法師の厳しい人間観、人生観がよく表れた一段。