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結城登美雄:鳴子の米プロジェクト─「消費者」から「当事者」へ
2013-02-01 12:0084pt地元学は、その土地の人びとの声に耳を傾け、そこを生きる人びとに寄り添って展開されるものであるが、ときに時代の課題に相渉り、格差社会に抗って展開されるものでもある。たとえば宮城県旧鳴子町で2006年から取り組まれている「鳴子の米プロジェクト」は、大規模化を進める日本農政が切り捨てた小農の米づくりを地域の力で支援する「米の地元学」である。
2007年、自公政権下の日本農政は、「品目横断的経営安定対策」の名のもとに、 戦後農政の大転換に踏み切った。グローバル化によるWTO、FTAなどの外圧などを考慮し、
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結城登美雄:地域が「ぐずぐずと変わる」ための「地元学」
2013-02-01 11:4984pt自分が暮らす地域をよくしたいと思うのは、誰もが抱く願いのひとつだが、この国ではそれがなかなかうまくいかなかった。
都市であれ地方であれ、そこに住む人びとがいつのまにかバラバラになっていて、地域づくりの役割を行政に丸投げしてしまっていて、そのクセから抜け出せないでいる。 一方、住民から託された地域づくりの専従者である行政も、そこに暮らす人びとの声に耳を傾けることは少なく、有識者や霞が関などの暮らしの現場からもっとも遠い人びとの考えや思惑に支配され、画一的なものを押しつける結果になっているような気がする。
私は近頃つくづく思うのだが、
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結城登美雄:「ないものねだり」から「あるもの探し」へ
2013-02-01 11:1884pt人間というものは身近にあるものよりは、遠くに隔ってあるものを価値の対象にしてしまう心性をもっているという。隣の芝生がいつも青く見えてしまったり、幸せは山のあなたの空遠くにあると思い込んでしまう不思議な心理。「近代化」とは、そうした人間心理の上に成り立ってきた。先進地は西欧で日本は遅れている。だから日本をよくするためには西欧化しなければならぬと、舶来品や外来思想をありがたがり、在来の文化を低くみた。とりわけ戦後はアメリカ一辺倒のモダニズムの嵐が吹き荒れ、気がつけば合衆国日本州になってしまっていた。
人びとが生き暮らす地域のとらえ方も同じで、農山漁村は閉鎖的で非効率的で、もっと近代化し都市化しなければならぬと、村の暮らしと営みをゆさぶり続けた。その結果、
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