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田中良紹:ウクライナ戦争が招く核危機の世界
ウクライナ戦争は新たな段階に入った。ロシアのプーチン大統領が9月30日、ウクライナ東部と南部の4州をロシアに併合すると宣言し、併合のための条約に署名したからだ。
プーチンは併合された4州を「ノヴォロシア」と呼び、その地域は祖先が命懸けて戦い守ってきた歴史があると言い、「この4州の人々は永遠にロシアの市民である、それを守るためあらゆる手段を講ずる」と宣言した。
これに対抗してウクライナのゼレンスキー大統領は、国家安全保障・国防会議を開いてNATOへの加盟を申請すると発表した。しかしウクライナは現状でもNATOから全面的支援を受けており、事実上NATOに加盟しているのも同然だ。ただウクライナがNATOに加盟すれば、この戦争はロシア対NATOの戦争になり、第三次世界大戦の様相を帯びてくる。
かつてゼレンスキーはNATO加盟の方針を見直す姿勢を見せたこともあった。しかし国土面積の15%に当たる領土を奪われた以上、奪還に向けて戦い続けるしかない。同じようにプーチンも併合した地域を奪還されないよう戦い続けるしかない。それもあらゆる手段を講じてだ。
停戦するための落としどころがなくなった。こうなれば行きつくところまで行くしかないという気になった。西側メディアでは、この併合が国際法違反の犯罪的行為だからロシアは国際的に孤立し、中国やインドからも見放され、さらに動員令に反発する国民にも見放されたプーチンは失脚するという見方にあふれている。
しかし国連の安全保障理事会は、9月30日に米国などが提出した「ロシアによる併合を非難する決議案」を採決したが、ロシアの拒否権で否決された。15カ国の理事国のうち英米仏など10カ国は賛成したが、中国、インド、ガボン、ブラジルは棄権に回り、すべての国が賛成してロシアだけが孤立する形にならなかった。
これを総会の場で採決すればどうなるか。反対する国は少ないと思うが、しかし棄権する国の数次第では非難決議を提出した米国の威信にかかわる可能性がある。そして今後の事態は西側メディアの見通しとは逆のケースになる可能性もある。
これまでは自国領でない他国領の2つの「独立国」を、集団的自衛権で守るという建前で、自国とは距離のある地域での戦争だった。しかし4州が併合されたことで、これからは特別軍事作戦ではなく祖国防衛の戦いになる。
それにロシア国民がどれほど納得しているのかは分からないが、祖国防衛で総動員体制のウクライナに対してロシアも総動員体制を敷くことになるだろう。
併合した自国領にNATOが支援する攻撃がかけられれば、この戦争はウクライナとロシアではなくNATOとロシアの戦争になる。ロシアに欧米と直接戦火を交える選択肢が出てくる。
プーチンは「あらゆる手段」と言っているから、通常戦力ではなく核戦力も覚悟しなければならない。つまり我々は世界が最も核戦争に近づいたと言われる60年前のキューバ危機を思い起こす必要があるのだ。
1959年、フロリダ半島の目と鼻の先のキューバに親米政権を打倒したカストロ政権が誕生した。米国のCIAはカストロ打倒の作戦を次々に実行する。その作戦はことごとく失敗、そのためキューバはソ連に接近し、フルシチョフ書記長は秘かに核ミサイル基地をキューバに建設しようと考えた。
狙いは第一に米国のキューバ侵攻を阻止するため、第二はソ連が核ミサイル能力で米国に劣っていたから、それを挽回するためである。1962年10月、建設中の核ミサイル基地が米国の偵察機によって発見された。
キューバの核ミサイル基地からミサイルが発射されれば、米国は距離の近さから防ぎようがない。ケネディ大統領は核戦争を覚悟してフルシチョフとの交渉に当たった。
この時、軍部の中には空爆して基地を破壊する考えもあった。しかしケネディはキューバを海上封鎖することでソ連の考えを変えさせとうとする。後になって分かったことは、もし空爆していれば、米国本土に向けて数十発のミサイルが反撃のために発射され、第三次世界大戦が勃発していたということだ。
一触即発の危機だった。最後は米国がトルコに設置していたミサイル基地を撤去することで、ソ連もキューバ基地建設を断念することになり、世界は核戦争危機を免れた。偵察機の発見から基地建設断念まで緊張の連続となる13日間だった。
プーチンがウクライナ侵攻に踏み切る前、繰り返し言ったのはこのキューバ危機と同じ状況にロシアが置かれているということだ。ウクライナのNATO加盟を認めれば、目と鼻の先に核ミサイル基地が置かれ、ロシアの安全が守れない。
それをバイデン大統領に言っても聞く耳を持ってもらえなかった。一方でウクライナ国内の親露派勢力が支配する地域に、ウクライナ軍の攻撃がエスカレートし、親露派勢力を守るために軍事侵攻に踏み切らざるを得なかったとプーチンは主張した。
だから戦争を終わらせる落としどころがなくなった以上、ロシアは核戦争を覚悟してこれからの戦争を考えることになる。それにしてもなぜこんなことになったのか。停戦の可能性はなぜなくなったのか。
9月26日に安倍元総理の「国葬」に参列するため来日したトルコのチャブシュオール外務大臣が日本記者クラブで会見した。トルコはウクライナとロシアの停戦交渉を働きかけ、軍事侵攻が始まってから1か月後の3月末にイスタンブールでウクライナとロシアの対面の交渉が行われた。
停戦交渉がなぜまとまらなかったのかを記者から問われたチャブシュオール外務大臣は、「第三者が停戦交渉がまとまるのを妨害した」と発言した。「第三者」がロシアを弱体化させるため戦争を長引かせようとしているというのである。そしてチャブシュオール外務大臣は「その犠牲になっているのはロシアではなくウクライナだ」と言った。
「第三者」とは誰か。チャブシュオール外務大臣は名前を明示しなかったが、米国であることは間違いない。これまでもブログで何度も書いてきたように、この戦争はウクライナとロシアの戦争ではなく、ロシアのプーチン大統領を失脚させてロシアを弱体化させようとするバイデン政権が仕掛けた戦争なのだ。
そしてここからは私の推測だが、それは11月の中間選挙で民主党に不利な状況を少しでも有利にするために考えられた。従って中間選挙の前に停戦に持ち込まれては困るのだ。
しかもその3月末にゼレンスキーはNATO加盟を断念してウクライナが中立化する考えを表明していた。そのためイスタンブールでの交渉では、それを前提にウクライナの安全保障をどうやって担保するかが焦点になっていた。
プーチンはウクライナの中立化が確保されればそれで良かったわけで、それまで首都キーウ周辺にいたロシア軍部隊を撤退させた。それが3月30日である。西側メディアは首都キーウを攻撃してゼレンスキー政権を打倒し、傀儡政権を樹立するためだと報道していたが、そうではなくゼレンスキーが中立を宣言すれば、そこで部隊を撤退させたように見えた。
ウクライナの中立化で停戦交渉がまとまれば、この戦争はそこで終われる可能性があった。しかしトルコの外務大臣が言うように、それでは困る「第三者」がいて戦争は続くことになる。そこで不思議だったのはロシア軍が撤退した何日か後に、ウクライナ軍が行くと虐殺の痕跡が残されていたことだ。それは世界を震撼とさせ、ロシアに対する嫌悪感が沸騰した。あれで戦争は終われなくなった。
西側メディアはプーチンが悪いという一点張りだが本当にそうなのか。冷戦が終わる頃からワシントンに事務所を置いて米国政治を取材してきた私には、そのように思えないところがある。
冷戦に勝利した米国は、米国の価値観で世界を統一することを自分たちの使命と考え、世界最強の軍事力を背景に「世界の警察官」の役割を果たそうとした。ソマリア内戦、コソボ内戦への介入などがその例だ。それが世界各地で反発を呼ぶ。反発しなかったのは米国に従属することが身に着いてしまった日本ぐらいだと思う。
反発は米国の提唱するグローバリズムに反対する運動となり、各地に自国の伝統や歴史を守ろうとする風潮が生まれた。それを主張する先鋭的な政治家がロシアのプーチンである。併合の式典でプーチンは、「ソ連が崩壊した後の米国や西側世界のエリートは、世界を新自由主義文化で植民地支配しようとしている」と痛烈に批判した。
戦争という手段には賛成できないが、米国が推し進めるグローバリズムには反対だと考える国は少なくないと思う。それが国連の投票行動に現れる。ロシアがウクライナに軍事侵攻した直後に行われた非難決議の採決では、賛成141,反対5、棄権35カ国と賛成が圧倒的だった。
ところがキーウ周辺での虐殺が分かり、その直後にロシアを国連の人権理事会で資格停止にする決議では、賛成93,反対24,棄権58と賛成が激減したのである。あの虐殺の映像を見せられた後でロシアに厳しくなるのなら分かるが、それとは逆になったのだ。
それがこの戦争の大きな特徴になっている。西側メディアの報道は情報操作の一環で、そのプロパガンダに西側世界は乗せられているが、アジア、アフリカ、中東などの国々はそれとは異なる見方をしていると言うことだ。
そしてそこに米国の価値観を押し付けようとする欧米社会に対する反発がある。世界は二つに分断された。だからそう簡単にプーチンは失脚しないように思える。それでも欧米社会がプーチンを負い詰めれば、プーチンはあらゆる手段を講じて抵抗し、西側世界を恐怖に陥れることで目を覚まさせる行動に出るような気がする。
まもなく核の恐怖が現実になるぎりぎりのところまで世界は行き着くことになるのではないか。そうならないことを祈りたいが。* * *■オンライン田中塾開催のお知らせコロナ禍は我々の暮らしを様々な面で変えようとしていますが、田中塾も2020年9月から新しい方式で行うことになりました。これまで水道橋の会議室で塾を開催しましたが、今後はご自宅のパソコンかスマホで私の話を聞き、チャットなどで質問することが出来ます。入会金3000円、年会費3000円の会員制で、年6回、奇数月の日曜日午後の時間帯に開催しています。会員の方だけにURLをお知らせしますが、同時に参加できなくとも、会員は後で録画を見ることも出来ます。コロナ後の世界がどう変化していくか皆様と共に考えていきたい。そのようなオンライン田中塾になるよう頑張ります。どうかオンライン田中塾への入会をお待ちします。入会ご希望の方は、下記のフォームからご入力ください。
【入会申し込みフォーム】【関連記事】■田中良紹『国会探検』 過去記事一覧<田中良紹(たなか・よしつぐ)プロフィール>
1945 年宮城県仙台市生まれ。1969年慶應義塾大学経済学部卒業。同 年(株)東京放送(TBS)入社。ドキュメンタリー・デイレクターとして「テレビ・ルポルタージュ」や「報道特集」を制作。また放送記者として裁判所、 警察庁、警視庁、労働省、官邸、自民党、外務省、郵政省などを担当。ロッキード事件、各種公安事件、さらに田中角栄元総理の密着取材などを行う。1990 年にアメリカの議会チャンネルC-SPANの配給権を取得して(株)シー・ネットを設立。
TBSを退社後、1998年からCS放送で国会審議を中継する「国会TV」を開局するが、2001年に電波を止められ、ブロードバンドでの放送を開始する。2007年7月、ブログを「国会探検」と改名し再スタート。主な著書に「メディア裏支配─語られざる巨大メディアの暗闘史」(2005/講談社)「裏支配─いま明かされる田中角栄の真実」(2005/講談社)など。 -
田中良紹:岸田総理が「国葬」の第一の理由に挙げる「憲政史上最長在位記録」を追及する
新型コロナウイルスの療養期間を終えて8月の最終日に公務に復帰した岸田総理は、記者会見を開き、会見冒頭で旧統一教会との関係に言及し、「閣僚をふくむ自民党議員が国民から懸念や疑念を持たれていることを自民党総裁としてお詫び申し上げる」と頭を下げた。
そのうえで「教会との関係を断つことを党の基本方針にして徹底する。自民党として説明責任を果たし、国民の信頼を回復するため厳正な対応を取る」と述べ、さらに「霊感商法の被害者などの救済に政府を挙げて取り組んでいく」と強調した。
その一方で安倍元総理と旧統一教会との関りについては「ご本人が亡くなられた今、十分な把握には限界があるのではないか」と消極姿勢を見せた。この姿勢には「死人に口なし」で逃げ切りたい思惑がありありと見える。
しかしこの部分が今回の旧統一教会問題の核心である。安倍元総理がカルトの広告塔にならなければ銃撃されることはなく、銃撃がなければ旧統一教会と自民党議員との広く深い関係が日の目を見ることもなかった。
だがこの部分を追及していくと、岸田総理がいち早く安倍元総理の「国葬」を決めた根拠に疑問が出てくる。だから岸田総理は旧統一教会との断絶を宣言しても、安倍元総理と旧統一教会の関係についてだけは、国民の目に触れさせたくない。それで国民は納得するか。そこが問題だ。
岸田総理は来週開かれるだろう国会の閉会中審査で、自分が出席し安倍元総理を「国葬」にする理由を国民に丁寧に説明すると約束した。そして会見では「国葬」にする理由を4点挙げた。第一とされたのが、憲政史上最長の8年8か月間総理を務めたことである。
おそらくこれが国民を納得させるのに分かりやすいと思い、第一に挙げているのだろう。しかし私が再三指摘してきたようにこれは理由にならない。少なくも戦前の日本に在位期間を「国葬」の理由にする考えはなかった。
なぜなら戦前の総理で最も長く総理を務めたのは桂太郎で、在位期間は約8年弱の2886日に及ぶ。その桂と同時期に交互に総理を努めた西園寺公望は、在位期間が桂の半分以下の1400日だが、西園寺は「国葬」され、桂は「国葬」されなかった。
ちなみに総理経験者で「国葬」されたのは、西園寺以外に伊藤博文、山縣有朋、松方正義の3人がいる。在位期間はそれぞれ2720日、499日、943日である。だから在位期間が考慮されて「国葬」されるわけではない。
また戦後1例しかない吉田茂元総理についても、国葬を決めた佐藤栄作の頭にあったのは、戦後で最も長く総理を務めたというより、サンフランシスコ講和条約で日本を独立に導いた政治的功績によるものだと思う。
ただ佐藤が法的根拠が戦後失効したのに吉田の「国葬」を強く願ったのは、吉田内閣時代に起きた造船疑獄事件で、自分が逮捕されそうになったのを法務大臣の指揮権発動で救ってくれた大恩人だったからだと私は思っている。
岸田総理も法的根拠がないのに「国葬」を強行しようとしている。それは「国葬」にすることで安倍元総理の「岩盤支持層」を自民党に繋ぎ留め、また弔問外交を政治利用しようと考えたからだ。ただ最長在位期間を前面に出すことは危険な効果も生む。
安倍元総理がなぜ長期政権になったのかという部分に光が当たるからだ。以前のブログにも書いたが、そこに旧統一教会が絡んでくる。かつて旧統一教会と距離を置いていた安倍元総理が第一次政権に失敗すると、そこから旧統一教会との接近が始まったのである。
第一次安倍政権は参議院選挙で惨敗し、参議院で過半数の議席を失った。衆議院では小泉政権の郵政選挙のおかげで過半数以上を確保していたが、「ねじれ」が生じたため何もできない。ところが安倍元総理は、やみくもに続投を表明して自民党から見放され、ぶざまな退陣劇に追い込まれた。
「無能な政治家」というのが当時の私の印象だった。それが民主党政権のそれ以上の無能に助けられ、政権を奪還して第二次安倍政権を誕生させてからは、見違えるように力を行使できるようになる。7年8か月の在任期間に6回の選挙で全勝したからである。当たり前の話だが、民主主義では選挙に勝つことがすべての力の源泉になる。
旧統一教会と安倍元総理の祖父の岸信介氏との関係はあまりにも有名だ。その始まりは、米国CIAと協力関係にあった児玉誉士夫や笹川良一らと旧統一教会の文鮮明教祖が協力し「国際勝共連合」という組織を創立したことだ。つまり旧統一教会と岸信介氏の関係は米国のCIAをバックに始まった。
安倍元総理の父親の安倍晋太郎氏はそれを引き継ぎ、旧統一教会と自民党議員を結び付けることに熱心だった。自民党議員の秘書に旧統一教会の信者を紹介している話を私も何度か耳にしている。
しかし安倍元総理は父親のしてきたことから距離を取ろうとしてきた。母親の忠告があったからだという話も聞いている。そして旧統一教会側も安倍元総理との関係が始まったのは2012年からだと言っている。
だとすると安倍元総理は第一次政権に失敗した反省から、全国8万と言われる神社を束ねる神社本庁と、右派の草の根ネットワークである「日本会議」に加え、旧統一教会という選挙集票マシーンを得て、それらを拠り所に政治的復活を考えた可能性がある。
一方で話を戻せば、第一次安倍政権後の福田康夫政権、麻生太郎政権は第一次安倍政権の「ねじれ」という負の遺産に苦しみ、満足な政権運営ができなかった。そして2009年の総選挙では小沢一郎氏が民主党の選挙責任者として采配を振るい、農協以外の全ての業界団体を民主党支持に回すことに成功した。
これに自民党は驚愕する。そこから業界団体より固い組織票を求める考え方が生まれる。小選挙区という政権交代可能な制度の中で、業界団体票は民主党に流れる可能性のあることが分かった。それより宗教団体の思想や主張に自民党が近づけば、固い組織票が得られる。
こうして宗教票やイデオロギー票を獲得するための「顔」として、安倍元総理を再び担ぐ考えが自民党内に生まれた。自民党が最も恐れる小沢一郎氏は秘書が検察に摘発されて身動きが取れなくなり、それがでっち上げと思われているのに民主党は小沢氏をかばわず、一緒になって小沢氏追放の画策に乗ったから、自民党には好都合だった。
こうして2012年の総選挙が近づくと、菅義偉氏や麻生太郎氏が安倍元総理に総裁選出馬を促し、最大派閥町村派会長の町村信孝氏や、国民に人気の石破茂氏、森元総理が推す石原伸晃氏らを相手に安倍元総理は出馬を決心する。
総裁選を前に安倍元総理は2012年4月、後に首席秘書官となる今井尚哉氏らと高尾山に登る。失敗からの再挑戦を期す決意の登山だった。そこには旧統一教会関係者が複数同行していたと「週刊文春」が報じている。つまり旧統一教会との関係が深まるのはこの頃からだと思う。
そして2012年に安倍元総理は政権を奪還するが、自民党は2009年の選挙の時より比例の獲得票を200万票も減らした。それでも民主党の方が国民の支持をそれ以上に失ったので政権を獲得できた。民主党は1桁違う2000万票以上減らしたのである。
国民は民主党政権の誕生とその後の無能を見て、選挙に行く気がなくなった。民主党にはこりごりだが自民党にも入れたくない。全国的に投票率の低下が顕著になる。それは固い組織票を狙った自民党の安倍政権にとって追い風だった。
次の2013年の参議院選挙は安倍元総理にとって「ねじれ」を解消するリベンジの選挙である。その選挙は自民党が政権を奪還した前年の総選挙より、投票率は7ポイント下回り、しかし自民党は民主党の2.6倍に当たる2268万票を獲得して勝利し「ねじれ」を解消した。
政権は「ねじれ」がなくなれば何でもできる。麻生太郎副総理が右派のパーティで「ナチスを真似たらどうか」と発言したのはこの時である。つまり国民の投票による選挙で独裁権力を行使することは可能だと言ったのだ。
その裏側には安倍政権が固い組織票を保持している安心感がある。投票率を上げないようにさえすれば、つまり国民が判断に迷うようなテーマを掲げて選挙をやり続ければ、自民党は勝ち続けるのだから何でもできるという意識がある。
実際にその後の安倍政権は、「消費税先送りについて国民の信を問う」とか、「国難突破解散」とか、与野党が明確な争点を戦う選挙にしない作戦で、参議院選挙の合間に衆議院解散を繰り返し、7年8か月の間に6回の選挙をやり、それに全勝した。これが憲政史上最長の在任期間を可能にしたのである。
その裏に旧統一教会の力があったことが今回の銃撃事件と、その後の旧統一教会と自民党議員の関係から明るみに出た。だから旧統一教会と安倍元総理の関係を追及することは、日本の民主主義がどのような状況にあるのかを国民に認識させる機会を与えてくれる。
固い組織票を味方につければ、そして国民の投票率を上げさせない選挙をやれば、民主主義の名のもとに独裁政治をやることができる。民意が政治に不満を持てば、すぐに解散して勝利し、勝利の結果、不満はリセットされる。それが安倍元総理の憲政史上最長在位期間をもたらした。
それを岸田総理が「国葬」の第一の理由に掲げるのなら、我々はこの問題こそ、徹底的に追及すべきではないか。* * *■オンライン田中塾開催のお知らせコロナ禍は我々の暮らしを様々な面で変えようとしていますが、田中塾も2020年9月から新しい方式で行うことになりました。これまで水道橋の会議室で塾を開催しましたが、今後はご自宅のパソコンかスマホで私の話を聞き、チャットなどで質問することが出来ます。入会金3000円、年会費3000円の会員制で、年6回、奇数月の日曜日午後の時間帯に開催しています。会員の方だけにURLをお知らせしますが、同時に参加できなくとも、会員は後で録画を見ることも出来ます。コロナ後の世界がどう変化していくか皆様と共に考えていきたい。そのようなオンライン田中塾になるよう頑張ります。どうかオンライン田中塾への入会をお待ちします。入会ご希望の方は、下記のフォームからご入力ください。
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1945 年宮城県仙台市生まれ。1969年慶應義塾大学経済学部卒業。同 年(株)東京放送(TBS)入社。ドキュメンタリー・デイレクターとして「テレビ・ルポルタージュ」や「報道特集」を制作。また放送記者として裁判所、 警察庁、警視庁、労働省、官邸、自民党、外務省、郵政省などを担当。ロッキード事件、各種公安事件、さらに田中角栄元総理の密着取材などを行う。1990 年にアメリカの議会チャンネルC-SPANの配給権を取得して(株)シー・ネットを設立。
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田中良紹:安倍晋三元総理とは何者だったのだろうか
7月28日に北海道テレビが放送した伊達忠一前参議院議長の発言は衝撃的だった。安倍元総理が旧統一教会の組織票の取りまとめを一手に引き受けている様子が生々しく語られたからだ。
伊達前議長は北海道で臨床検査技師を務めていたが、北海道議会議員を経て2001年に参議院議員に初当選した。参議院国対委員長や参議院幹事長を務めた後、2016年に参議院議長に選出され、2019年の参議院選挙には出馬せず政界を引退した。
その伊達前議長は2016年の参議院選挙に、長野県で臨床検査技師をしていた宮島喜文氏を日本臨床衛生検査技師会の組織内候補として立候補させた。しかし組織票が十分でなかったため安倍元総理と面会し、旧統一教会票を回してもらうよう依頼した。
すると安倍元総理は「わかりました。そしたらちょっと頼んでアレ(支援)しましょう」と言ってくれた。結果、宮島候補は当選した。ところが今年の参議院選挙で宮島候補が自民党の公認を得ていたにもかかわらず、安倍元総理から「悪いけど勘弁してくれ。井上をアレ(支援)する」と言われ、宮島氏は公認を辞退し、安倍元総理の元首席秘書官であった井上義行氏が旧統一教会の支援を受けることになったのである。
伊達前議長は2019年7月に政界を引退した後の10月、旧統一教会関連団体「天宙平和連合(UPF)」の会合に来賓として出席、翌20年にも2月と8月に旧統一教会のイベントに参加し、今年2月には関連団体がソウルで開いた会合でもオンラインで演説を行った。宮島氏の当選のお礼として参加したと伊達前議長は語っている。
安倍元総理は2013年の参議院選挙には、産経新聞社の政治部長であった北村経夫氏を立候補させ、旧統一教会の支援で当選させ、16年の宮島氏の次の19年には再び北村氏を旧統一教会の支援で当選させた。
そして今年の参議院選挙では宮島氏の支援を断り、かつての秘書官である井上氏に旧統一教会の支援を回したのである。そのため宮島氏は出馬断念を余儀なくされた。
伊達前議長の話やこうした経緯を見ると、安倍元総理は旧統一教会の支援をいわばポケットマネーのように意のままにできるのだ。そして旧統一教会だけでなく、安倍元総理には「日本会議」や全国の神社の元締めである神社本庁もバックにいると言われてきた。
「日本会議」は宗教団体ではないが、イデオロギー集団として固い集票マシーンとなる。また日本には約8万の神社が存在すると言われ、5万軒と言われるコンビニの数を上回る。それを束ねているのが神社本庁でこちらも集票マシーンになる。
このように見てくると安倍元総理は、自民党の集票マシーンとして固い宗教とイデオロギー分野での「総元締め」ではなかったかと思えてくるのである。
私が初めて安倍元総理に会ったのは、まだ当選2回の「社労族」と呼ばれていた新人議員の時代である。「社労族」とは社会福祉や社会保障政策を専門にする議員で、当時の厚生省や労働省と渡り合った。安倍元総理は福祉を専門にする議員としてスタートした。
当時の私はCS放送で「国会TV」というチャンネルを運営し、昼間は国会審議を中継、夜は国会議員をスタジオに呼んで、視聴者に質問させる生番組を放送していた。毎夜、大物から新人まで次々に議員を招いた中に安倍氏もいた。
「社労族」として社会保障政策について話を聞いたのだが、真面目一方の話し方で政治家らしくなく、記憶に残る言葉のない、印象薄い議員だった。それは小泉元総理が安倍元総理を後継者に抜擢してからも続いた。
直情径行一本で練れた感じがしない。なぜ小泉元総理が自分の後継者に選んだのか不思議だった。小泉元総理は「拉致問題」で国民に人気があったからだと言い、それ以外には「気後れしないところ」を評価したと言った。
確かにトランプ前米大統領とのゴルフを見ても、相手とは比べようがないほど下手なのに、まったく気後れせずにプレイしていたのはある種の才能だと思う。しかし安倍元総理が第一次政権で、自民党から除名された郵政民営化反対議員を復党させたことで小泉元総理は激怒し、2人の関係は表には見せないが微妙なものになった。
そして安倍元総理の政治能力のなさに驚いたのは、2007年の参議院選挙で大敗したのに続投を表明したことだ。それまで参議院選挙で敗れた総理は2人しかいなかったが、宇野宗祐元総理も橋本龍太郎元総理も参議院選挙で敗れると直ちに退陣した。
敗北の責任を取る意味もあるが、参議院で過半数の議席を失うと衆参「ねじれ」が生じ、政権運営は絶望的になるからだ。その政治の裏表を安倍元総理は知らないと私は思った。すると自民党の中から引きずり降ろしが始まる。やり方は実に巧妙だった。安倍元総理を引きずり降ろすようには見せず、辞めざるを得なくしたのである。
安倍元総理は、海上自衛隊がインド洋で米軍に給油活動を行うことを国際公約していた。それを可能にする法律には10月末という期限があった。秋の臨時国会で法律を延長しなければ活動を継続できない。しかし「ねじれ」が生まれたので延長は難しい。
唯一の方法は、8月中に衆議院で可決して参議院に送り、参議院で棚ざらしにされても60日後には衆議院に戻し再可決することだ。ところが閣僚人事の「身体検査」に時間がかかるという声がどこからか出てきた。8月の国会開会は無理だと言われた。
当時の井上義行首席秘書官が必死になってマスコミに8月国会開会の記事を書かせたが、二階俊博国対委員長は頑として開会を認めなかった。これで安倍元総理は11月1日に海上自衛隊に帰国命令を出さざるを得なくなる。安倍元総理は「国際的嘘つき」の汚名を背負うことになった。
秋の臨時国会が開かれ、安倍元総理は所信表明演説を行ったが、心ここにあらずの感じだった。翌日、突然退陣表明の記者会見を開き、「このままでは政治が混乱する」と言った。国民には何が何だか分からなかったと思う。与謝野馨官房長官が「病気」と助け舟を出し、表向きは病気での退陣となった。お粗末な退陣劇であった。
ところがそれから5年後に安倍元総理は奇跡のカムバックを果たす。なぜカムバックできたのかを読み解く。小泉元総理の「郵政解散」に国民は幻惑され、自民党は一時的に選挙での獲得票数を増やしたが、新自由主義的政策は地方に痛みを与え、それが旧来の自民党支持者の自民党離れを生む。
そこに小沢一郎氏率いる民主党が食い込んだ。「国民の生活が第一」という路線でかつての自民党支持者を取り込む。自民党の中枢にいた小沢一郎氏や羽田孜氏は自民党支持者に安心感を与え、2009年の衆議院選挙ではそれまで自民党を支持していた業界団体が農協以外はすべて民主党支持に回った。
民主党は無党派層に訴える風頼みの選挙をやったのではない。建設業界も医師会もあらゆる団体が支持に回ったからこそ政権交代ができた。比例の民主党の獲得票数は約3000万票、自民党は1800万票だった。そしてそれ以降も自民党の獲得票数は減り続ける。
しかし自民党は民主党の菅直人政権の無能に助けられた。2010年の参議院選挙で民主党は1100万票減らして1845万票、自民党は480万票減らしたが1407万票で、議席数で自公は過半数を制し「ねじれ」が生まれて菅直人政権は「死に体」になった。
ところが菅総理は第一次政権の安倍元総理と同じように総理を辞めなかった。そして民主党には自民党のように巧妙な手段で総理を引きずり降ろす知恵者もいなかった。その挙句、民主党は2012年の選挙で比例票はわずか962万票、政権獲得した時の3分の1に激減する。
にもかかわらず民主党には危機感がない。しかし自民党は減り続ける獲得票を見て危機感を抱いた。どんなことがあっても選挙に勝つ方法を考える。集票力が確かな宗教票とイデオロギー票を取り込める人物をリーダーに担ぐことだ。安倍元総理に再び光が当てられたのはそのためだと思う。
2012年の自民党総裁選で安倍元総理が勝つ可能性は大きくなかった。自分が所属する派閥のトップ町村信孝氏が出馬し、国民に人気のある石破茂氏も出馬した。森元総理は石原伸晃氏を応援した。しかし終盤で町村氏が病に倒れ、それが総裁選勝利につながる。町村氏の病気がなければ、安倍元総理勝利はなかったかもしれない。その場合は自民党を出て維新と合流することになっていた。
しかし運命は安倍元総理に微笑む。自民党を出ることなく、自民党の集票マシーンの中の宗教とイデオロギー分野で票の差配を取り仕切ることになった。そして危機感のない野党のおかげもあり、解散権を自在に行使することで、6戦6勝という選挙結果をものにした。
この選挙結果が経済政策でも外交政策でも他から文句を言わせない強固な体制を作る。ひ弱な第一次政権の時とは打って変わって安倍元総理は政治家らしく悪さを増した。それが一方ではひずみをも大きくする。
自分の後継者を作らなかったことは安倍元総理の欲望が尽きていないことを示している。その欲望によって自民党内にひずみが生まれた。そのひずみが解消されないまま、旧統一教会によって人生を狂わされた山上容疑者の突然の銃撃によって、安倍元総理がポケットマネーのように意のままにしてきた旧統一教会の集票の実態に光が当たり、国民の目に晒された。
この突然の事態は突然であるだけに誰も対応できない。自民党の底流にあった闇が浮かび上がってきたが、誰もどうしてよいのか分からない。世界はウクライナ戦争によって先進国と新興国との対立が鮮明となり、下剋上が始まったかに見えるが、日本政治もまた銃弾が安倍元総理の存在を消し去ったことで、大いなる混迷が襲い掛かってくると思えるのである。* * *■オンライン田中塾開催のお知らせコロナ禍は我々の暮らしを様々な面で変えようとしていますが、田中塾も2020年9月から新しい方式で行うことになりました。これまで水道橋の会議室で塾を開催しましたが、今後はご自宅のパソコンかスマホで私の話を聞き、チャットなどで質問することが出来ます。入会金3000円、年会費3000円の会員制で、年6回、奇数月の日曜日午後の時間帯に開催しています。会員の方だけにURLをお知らせしますが、同時に参加できなくとも、会員は後で録画を見ることも出来ます。コロナ後の世界がどう変化していくか皆様と共に考えていきたい。そのようなオンライン田中塾になるよう頑張ります。どうかオンライン田中塾への入会をお待ちします。入会ご希望の方は、下記のフォームからご入力ください。
【入会申し込みフォーム】【関連記事】■田中良紹『国会探検』 過去記事一覧<田中良紹(たなか・よしつぐ)プロフィール>
1945 年宮城県仙台市生まれ。1969年慶應義塾大学経済学部卒業。同 年(株)東京放送(TBS)入社。ドキュメンタリー・デイレクターとして「テレビ・ルポルタージュ」や「報道特集」を制作。また放送記者として裁判所、 警察庁、警視庁、労働省、官邸、自民党、外務省、郵政省などを担当。ロッキード事件、各種公安事件、さらに田中角栄元総理の密着取材などを行う。1990 年にアメリカの議会チャンネルC-SPANの配給権を取得して(株)シー・ネットを設立。
TBSを退社後、1998年からCS放送で国会審議を中継する「国会TV」を開局するが、2001年に電波を止められ、ブロードバンドでの放送を開始する。2007年7月、ブログを「国会探検」と改名し再スタート。主な著書に「メディア裏支配─語られざる巨大メディアの暗闘史」(2005/講談社)「裏支配─いま明かされる田中角栄の真実」(2005/講談社)など。
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