エッセイ⑤ 慰安旅行
閉じる
閉じる

新しい記事を投稿しました。シェアして読者に伝えましょう

×

エッセイ⑤ 慰安旅行

2020-09-27 03:23

    ラジオをお聴きになってここを覗く方もいるかもしれませんので 
    さすがに久しぶりに何か書こうかしら いつものように とりとめもなくですが



    ノスタルジア(: nostalgia)またはノスタルジー(: nostalgie)とは、

    • 異郷から故郷を懐かしむこと、またその懐かしさ。同義語に郷愁(きょうしゅう)・望郷(ぼうきょう)など。
    • 過ぎ去った時代を懐かしむこと、またその懐かしさ。同義語に懐古(かいこ)・追憶(ついおく)など。
    • また上記の2つの意味から派生して、懐かしさに伴う儚さ、哀しさ、或いは寂しさ、しみじみ想いを馳せる心境のこと。→エモーショナル(若者言葉の「エモい」と同義)、センチメンタルメランコリックな感情をもたらす。

    と定義される。

    wikipedia より



    日常のどうでもいいことに神経を取られ時間を取られ
    やるせない思いで身体を浪費し わずかな金のために人生を削られていく
    忸怩たる日々を送らざるをえないのが現代人であって 
    自分も当然その一人として 基本的にはつまんねー毎日を過ごしてしまっているわけです

    脳ではくだらない細事の解決に向けて やりたくもない脳内会議の末
    どう転んでも不本意な決定と それにしたがい動くための具体的な命令を下す
    自分という「会社」の脳内のあらゆる「部署」にストレスをためる日々です

    そんな会社の「慰安」ともいえる作用が「ノスタルジーを感じること」でありまして
    その自己対話のために「出かける」(思う)わけであります
    記憶の普段出てこない「社員」をつつく そして反応する

    これはまさに めったに顔を合わせない地味な仲間と仕事抜きで話す喜び
    または同窓会にレアキャラが現れ ジイサン同士でやいやい盛り上がる感じでしょうか


    実家を離れた者にはだれでもわかる 実家に一時戻った時のあの感じ
    安心感 とかいうけれど もっと違う五感からの感覚があるでしょう

    嗅覚はいうにおよばず そこにしかない草の匂い もっと人工的なものでも
    土くれ あるいは下水由来のものであっても 一瞬肯定的に捉える
    聴覚もそう そこにしかないなにがしかの音 それを我々の記憶照合機能は聞き逃さない

    そして決定的な 風景 いや それは風景ではない もっとパーソナルなもの
    細部にこそ その痛烈なノスタルジー刺激は宿る

    たとえば他人にはなんでもない 家の周りをつらつら歩き
    自分ちあるいは隣の家の 
    軒裏のブロック塀の特定の箇所の 石の凸凹具合すらも 見れば鮮明によみがえり
    その形しかありえないこと またそのままであること 
    それをわかるのはまず自分だけであろうということ
    そういう理屈が理屈にならないまま 強烈な記憶バックとして視認と共に襲ってくる

    柱の傷はおととしのー とか
    そんなんじゃない そんな簡単なメモリアルな事じゃなくて

    寝ていた和室の天井の木目 顔に見えていたその部分
    あるいはトイレの壁の特定の箇所にある それは実にちょっとした模様の特徴
    そこに 「何十年どうにもなってないんだよ」 とツッコミたくなる シミ 汚れ 変形

    そういった細部の視覚記憶を軸に 聴覚 なにより嗅覚を伴いつつ
    自分という脳内会社は 自分発祥の地を巡り 魂の慰安旅行へ出かけているのです

    なにも田園風景がどうとか
    商店街がどうとか
    そういうもので簡単にカテゴライズできるものではないのだ

    ノスタルジーってのは
    もっともっとパーソナルで 奥深く 70億通りの鍵穴が しかも無数に呼び起こされる
    そんな 刹那の波動 不意の追憶 のことを言うのである 
    と声を大にして言いたいものです



    自分で書いて思ったけどもさ なんだこれ

    随筆っていっていいのかねこれ まあいいや


    広告
    コメントを書く
    コメントをするには、
    ログインして下さい。