アニメ「ステラ女学院高等科C3部」が、意外にもいい感じのリアルさを醸し出してる
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アニメ「ステラ女学院高等科C3部」が、意外にもいい感じのリアルさを醸し出してる

2013-09-18 10:31
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ステラ女学院高等科C3部」とは、主人公である女子高生の大和ゆら(やまとゆら)が、C3部(サバイバルゲーム部)と出会うことで大きく変わっていく過程を描いているアニメです(漫画原作ですがアニメとは展開が異なるそうです)。最近、その展開がいい感じにリアルになってきたので色々と書こうと思います。

ちなみに、前回の記事「日常で使える淫夢語録」は、最初に投稿した記事の三倍以上の閲覧数になっていました。


ここまでのあらすじ

このアニメを見たことがないという方にあらすじを紹介しておきます(ネタバレを含みます)。

物語は、主人公が憧れのステラ女学院高等科に入学するところから始まります。

積極性がなく人間関係も上手くいっていなかった主人公は、高校入学を機に変わろうと考えます。そんな時、C3部の面々と出会い、彼女たちから入部を薦められます。最初は嫌々だった主人公ですが、彼女たちとサバイバルゲームをやるうちに、徐々に楽しいと感じるようになります。

そして、これなら自分を変えられるかもしれないと、思い切って入部することに!(という序盤のあらすじだけ見ると、これから主人公はリア充化していくんだろうとなぁと思うんですが、実際はそんなことないです)

C3部に入ってからの主人公は、毎日仲間と盛り上がったり、離島でサバゲーやったり、学園祭でアレしたり、今までとは比べ物にならないくらい楽しい時間を過ごします。しかし、その過程で今後の展開に影が差すことを暗示する描写が多く挿入されます。

そして、24時間大会というサバイバルゲームイベントを目前にして、その不安が現実のものとなっていきます。大会を目前にして先輩が怪我を負うのですが、主人公は「自分のせいで怪我した先輩のために絶対に優勝しなきゃ」という使命感に駆られます。

その結果、練習中であろうが大会中であろうが仲間たちに辛辣な態度をとるようになり、まったくサバゲーを楽しむ空気ではなくなります。最終的にC3部を優勝に導くことができた主人公ですが、仲間との間には確かな溝ができてしまいます。

大会以降、主人公はC3部メンバーとの交流を楽しむことはなくなり、サバゲーで勝つことだけを一番に追い求めるようになります。あまりにも勝利に拘るあまり、C3部を去り、ライバル関係にあったチームに入ってまで結果を出そうとします。しかし、そこでも主人公は自己中心的に勝利のみを追い求め続けます。ただひたすら勝つことだけが人に認められる方法だと信じて疑わなかったことが災いし、結局チームから追放されてしまいます。

サバゲーに打ち込み戦果を上げることで、憧れを抱いていた人たち(リア充)に近づけると信じて疑いませんでしたが、現実は違いました。悲しみの中で、いまさらC3部に戻ることはできないと後悔する主人公でした……(続きは本編で)。

キャラクターデザインも可愛らしい方で、女子がたくさん出てくるアニメなので「最初はひとりぼっちだった主人公に仲間が増えていく、よくあるリア充化ストーリーなんだろうな」と思っていたのですが、全然そんなことはありませんでした。むしろ、その対極をいく展開が繰り広げられました。


たしかに変化はしたけれど

主人公の大和ゆらは、入学してから、かなりの変化を遂げています。

一番わかり易いのは、見た目の変化

C3部の主将であり、仲間から最も信頼されている鹿島そのらへの憧れから、長かった髪をバッサリ切っています。自分に対して親身になってくれた先輩(リア充)に、少しでも近づきたいという憧れを象徴しています。

次は、他人との距離の変化

以前までは他人と一定の距離をおいてしまい、どうしても打ち解けることができなかったわけですが、部活にはいってワイワイ楽しくやれるまでになっています。一見するとリア充化を果たしていると言えます。しかし、すごく重要なところが変わっていません。

それは、ひとりぼっち気質なところです。

学園祭の回で、それがハッキリとわかります。主人公が「中学時代は学園祭ではどんなことをやっていたか」と訊かれるところです。とくにやることもなく、かといって積極的に誰かと楽しむこともできなかった主人公は、その質問に対して言葉を濁してしまいます。

リア充気質な人間なら、おそらく「ひとりで全然楽しめなかったよ~」などと素直に打ち明けたのでしょう。しかし、主人公は言い淀んでしまった。自分の恥ずかしい過去を打ち明けることができないのは、自分に自信がなく、それが弱みになってしまうと考えているからでしょう。逆に言えば、それほどリア充気質になってはいないし、C3部員たちとの距離もそこまで詰まっていない事になります。

こういうひとりぼっち気質の人間は、往々にして人との距離の詰め方や接し方。とくに他人を許容するということが苦手です。しかも、自分が正義だと思ったら、間違っている相手は徹底的に責めてもいいと思っていたりもします。悪い意味で空気が読めない人間の典型です。

ただし、全てのひとりぼっち気質の人間がそうだと言ってるわけではありません。主人公の性格や行動がひとりぼっち気質だった高校時代の自分にそっくりだっただけです。行動パターンといい発言といい、やばいくらいクリソツで、その一人よがりな思考も自分のことのように分かってしまう(気がする)んです。

部員との交流を楽しめなくなった主人公は、C3部のみんなが流しソーメンで楽しんでいる間も、その横で独りだけ射撃の練習に打ち込みます。仲間が気を遣って誘っても「そんなことは別にどうでもいいし、そもそもソーメンを楽しむ必要はない」みたいな態度を取ってしまいます。そういう行動を取ってしまう気持ちも、なんとなく分かる気がします。

エンディングテーマの歌詞が全面に押し出している「サバゲーを楽しむ」という事よりも「サバゲーで勝利する」ことが正解だと思い込んだ主人公。そうすればリア充になれるという思い込みの激しさや、周りに対する配慮ができないひとりぼっち気質によって、物語はどんどん胸糞な方向へ進んでいったのです。


潜在的リア充という存在

一見してひとりぼっち気質の人間が、何かのきっかけで友達を獲得し、その後なんやかんやありつつも順調に仲間を増やしリア充化するというのは、物語としてはよくあるパターンです。

そういう物語は、定期的に世に送り出されています。わりと最近の(売れてる|人気ある|知名度ある)作品では「君に届け」「化物語」「僕は友達が少ない」「好きっていいなよ。」「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」「ガールズアンドパンツァー」などがそうだと言えます。

以上のパターンの主人公はひとりぼっち気質ではなく、潜在的リア充です。ひとたび誰かと友達(もしくはそれに類する関係)になったら、その関係が解消されることはありません。不可逆です。何か障害が発生しても、なんやかんやですぐに仲直りして以前よりも強い絆で結ばれたりします。

というか、「ホントにひとりぼっちだったの?」ってくらいの早さで、友達や恋人やハーレムをつくります。はたから見れば「それは友達って呼べるんじゃない?」と思える関係にあっても、「一体どこからが友達なんだ?」などといった、ありきたりでワザとらしいセリフを吐いたりするひとりぼっち気質きどりな主人公もいます。

ちょっと悪態をついてしまいましたが、潜在的リア充を主人公に据えた物語が胸糞だと言っているわけではありませんし、今回はそこら辺の細かいところについては触れません。

とにかく、定期的に世に送り出されてきた潜在的リア充の物語ですが、このことに限らず何かのパターンが流行ると、(細かい差別化を図りつつ)それに倣う作品が出てきます。そして、そういったパターンが一定数出揃うと、その流行に反するかのような作品が登場することがあります。

潜在的リア充物語の流れを汲みつつも、その流れに逆らうかのようなひとりぼっち気質な主人公を打ち出してきたのが、現在アニメが放送されている「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!」という作品です。ハイブリッドです。

この作品の主人公である黒木智子は、かなりのひとりぼっち気質です。潜在的リア充のように、なんやかんやで自然と周りに人が集まったり多数の異性と仲良くなったりするような補正はかかりません(全くではないんですが主人公補正といえるほど強力なモノではありません)。高校に入学してからも友達を増やすことはなく、中学時代から続く唯一の友人や実の弟やリア充の同級生に対して、生々しい嫉妬心を抱いたり見栄をはったりします。

「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!」は、ひとりぼっち気質の主人公が、ちゃんとひとりぼっちを貫く作品です。リア充度においては全体的に右肩上がりの潜在的リア充物語と違い、ゆるやかな右肩下がり(破滅)の物語です。しかし、現実の再現度という点においては潜在的リア充物語など話にならないくらいのハイスコアを叩き出しているように感じます。

そんな相対的なリアルさを持った「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!」ですが、「ステラ女学院高等科C3部」も、それとはまた違う意味でリアルな感じがすると思うんです。


あなたの人生はどのパターンですか?

潜在的リア充物語におけるリア充度は、おおよそ右肩上がり。

「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!」におけるリア充度は、右肩下がり。

では「ステラ女学院高等科C3部」のリア充度はどうかというと、同じくひとりぼっち気質主人公である「私が(以下略)」と違って、リア充度は山なりです。

改めて説明しますが、主人公の大和ゆらはひとりぼっち気質である自分を変えたいと考えていました。リア充度の右肩上がりを望んでいたとも言えます。勇気を振り絞ることによって、一時的にではありますが、その目的は達成されました。しかし、肝心な部分(ひとりぼっち気質)が変わっていなかったことによって、最終的に元のひとりぼっちに戻ってしまいます。両津方式です。

自業自得ではありますが、この展開は現実のひとりぼっち気質の再現としては、かなりイイ線いってると思うんです。世の中は、必ずしも順調にリア充になっていく人ばかりではありません。主人公補正とかいう便利なものが存在する可能性の極めて低い現実において、他人と上手いこと折り合いをつけていくのが辛いと感じる人は少なくないでしょう。

  • 「とりあえず集団に溶け込もうとして頑張ってみたけど、最終的にしんどくなった」
  • 「友達を作って楽しい思いをしたけど、嫌な思いもしたし関係の継続はキツかった」
  • 「彼(彼女)とは絶対に別れたくないと思ってたけど、やっぱり合わなかった」

とかいう感じで、一度はリア充っぽくなったけど、継続してリア充ではいられなかったという人もいるはずです。というか、自分も思春期にそんな経験があります。結局のところ「リア充を目指したけど、ひとりぼっち気質によってリア充になれなかった誰か」というのを体現したのが大和ゆらという主人公なのでしょう。

いっそこのまま、主人公には最後までひとりぼっちのままでいてほしいですし、そういうリアルさも有りだと感じます。だから、元の鞘に収まってめでたしめでたし、とかいう定番のオチになったら「おまえもか!」って感じでガッカリします。主人公には、希望の光が届かないところで息を詰まらせてほしいです。


それでもやっぱりハッピーエンド?

そうは言っても、ステラ女学院高等科C3部という物語にはハッピーエンドが待っているんだと思います。それを匂わせる伏線はあったし、ドン底まで落としておいて最後の最後でいい感じの方向に持っていくというのは、色々な意味で無難だしね。

でもやっぱり、必ずしも「仲間(友達)と一緒がいい」というような終わり方でなくてもいいんじゃないでしょうか。ひとりぼっち気質の主人公が、がんばって友だちをつくってリア充化したんだけど、なんやかんやでひとりぼっちに戻る。最終的に「仲間を作るのもいいかもしれないけど、自分には合わなかったから、無理せずに過ごすのがいい」みたいな考えに落ち着く物語です。

最後はリア充になる潜在的リア充の物語と、最後はひとりぼっちに戻るひとりぼっち気質の物語。どちらが優れているとか劣っているとかいうことはありませんし、主人公のタイプだけで物語の良し悪しや最終的な好みが決まるわけでもないでしょう。むしろ、個人的には両者とも並び立つぐらいの存在だと考えています。でも、どっちかというと、ひとりぼっち気質物語の方をもっと見てみたいです。

  • 「それじゃあつまらない」
  • 「そんなの見てほんとうに面白いと思うか?」
  • 「そんな展開は別に見たくないし必要ない」
  • 「フィクションの中でぐらいリア充になる方が楽しい」
  • 「商業的に難しいし、売れないでしょ」
  • 「そんなのが見たいんだったら自分でやってみれば」
  • 「ちんぽっぽ(ボインッ)」

とか、色々と思う方もいるでしょう。でも、やっぱり個人的にはそういう物語や主人公を待ち望んでいます。感情移入しやすいというのは、そういうことでもあると思います。


最後に

おそらく自分が知らないだけで、そういう感じの話は既に世の中に出ているんだと思います。でも「そういう作品があるなら、これからもっとスポットが当たればいい」とは考えません。なんとなく、細々と続いてジワジワとした広がりを見せてほしいなと願っています。


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