• 西南戦争の銃

    2015-08-27 02:20

     動画【西南戦争の銃】を公開しました。動画の尺の都合上、説明が十分にできないところが多々あるので、ここで補足しておきます。




     今回の動画で紹介するのは、エンフィールド銃とスナイドル銃です。幕末から明治維新の激動期に大量に入ってきて、陸軍が使わなくなった後は猟銃として愛用され、現代でも古い家の蔵を整理すると出てくることがあるという日本にはなじみの深い銃です。下の画像①のとおりよく似ていますが、これはエンフィールド銃を改良したものがスナイドル銃だからです。

     エンフィールド銃は英国の正式銃として採用され、南北戦争では南軍の主力小銃として活躍しました。南北戦争が南軍の敗北で終わると、大量のエンフィールド銃が余ってしまい、長崎で有名なグラバーのような死の商人が新たな市場を求めて幕末の日本に持ち込んだわけです。

         ①スナイドル銃とエンフィールド銃の外観


     また、エンフィールド銃はインドでセポイの乱の原因になったことでも有名です。エンフィールド銃は黒色火薬と弾丸を銃口から込める先込め式の銃です。撃つときは、一発分の火薬と弾丸が入った紙製カートリッジを歯で噛み切って開ける必要があるのですが、このカートリッジは牛や豚の油脂を使ったグリス(弾丸と銃身の間で潤滑の役目をする)で覆われており、インド人の傭兵部隊のヒンドゥー教徒(牛さんは神聖)とイスラム教徒(豚は不浄)を激怒させてしまい、大反乱につながってしまいました。つくづく迷惑な銃だと思います。
     
     一方のスナイドル銃ですが、ドイツになる前のプロイセンがドライゼ銃という元込め式銃(銃口ではなく、手元から弾薬を込める)を開発したことなど、エンフィールド銃が旧式化しつつあったことから、英国はエンフィールド銃を元込め式に改造する案を公募します。ここで、採用されたのがアメリカ人のヤコブ・スナイダーの案で、画像②のように銃身の後部を横に開くようにするという、単純ではあるが、信頼性の高いものでした。彼の名前を取って、英語ではスナイダーライフルとかスナイダーエンフィールドとか呼んでますが、日本ではオランダ語風になまってしまい、スナイドル銃と呼ばれています。
     戊辰戦争の頃は、薩摩藩のような一部の先進的な装備を持っている藩では、スナイドル銃を一部で運用していましたが、やはり全体の数で言うと、新政府軍も佐幕派諸藩も主力はエンフィールド銃だったようです。薩摩藩以外でもスナイドル銃を使っていた藩は福井藩、長岡藩とかいろいろありますが、弾薬を自前で作れたという点では薩摩藩が優位に立っていました。
     ところが、西南戦争では、スナイドル銃の弾薬やその生産設備を大阪に持ち去られてしまったために、薩軍は旧式のエンフィールド銃で政府軍のスナイドル銃と撃ち合う羽目になりました。薩摩の強さを支えていたスナイドル銃が今度は薩摩に牙をむくことになったのは皮肉なものです。

        ②スナイドル銃の遊底を開けたところ



     最後に、銃のバリエーションについて、補足しておきます。エンフィールド銃には大まかに分けると、戦列歩兵用の3バンドロングライフル、軽歩兵や下士官用の2バンドショートライフル、さらには騎兵用、砲兵用といったバリエーションがあることに加え、例えば、同じ2バンドでも年式とかでさらに細かく分かれるとか、かなりややこしいです。
     画像①に上げているのは2バンドショートライフルです。名前のとおり、銃身を銃床に固定するバンドが二つあり、銃の長さは3バンドよりもやや短いです。日本では、3バンド(139cm)よりも2バンド(124cm)の方が扱いやすいということで、人気があったようです。
     スナイドル銃は、エンフィールド銃の改造品なので、3バンド、2バンドといったバリエーションをそのまま受け継ぎましたが、それに加えて、エンフィールド銃からの改造品であるMK1、最初からスナイドル銃として作られたMK2、遊底をロックする機構がついたMK3など、改造の仕方によるバリエーションもあり、同じMK○がさらに分かれるとか、もうわけがわかりません。
     ちなみに、日本に残っているエンフィールド銃やスナイドル銃は、画像③のようにロックプレートにビクトリア女王の王冠とTower(英国の国営工廠)の刻印があるものが多いです。この銃は、ハ1という刻印がロックプレートの裏や遊底、トリガーなど複数箇所に打たれているので、日本で改造されたものだと思われます。
     
         ③スナイドル銃のロックプレート







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