最近ネットの記事や、それへのツイッターの反応を見ていて思う。
みんな病みすぎてやしませんかね?
特に政治的な話になると、驚異的なぐらい口汚い言葉で、やれ売国奴だ、在日だのと知ったばかりの言葉を使いたがる子供のようなコメントがずらずら並んでいる。
人の命というものについて、人の考えというものについて、理解しようとしない。
自分と違うその考えがどのような経緯で培われたものなのかをまったく考えもしない。
そんな人が増えてしまったのかなぁと思うと悲しく思う。
思考を停止して、大多数に従うのは楽である事は分かる。
皆が非難するその人間を、自分も一緒になって非難すれば少しばかりの興奮と、優越感を得られるのも分かる。
そういった事でしか喜びを得られないぐらいに、この国が、そして国民が疲弊しているのも分かる。
ただ、その人が誰かを殺したわけでもなければ、犯罪を犯したわけでもない、ただただ自分と違った意見を持っただけ人間を、死ね死ねの大合唱をもって迎え撃つ事は、個人的にはみっともなく、恥ずべきもののように感じる。
インターネットは便利だ。
簡単に人とつながった気になれるし、物理的な距離がある以上、普段の自分より少しだけ強い自分になる事も出来る。
だが、相手の目を見て非難するわけでもなく、無機質なキーボードを叩き、モニターを見て相手を見通したような気になるのはやめたほうがいい。
他人というのは、その生きてきた人生に見合うだけの経験をして、君の想像も付かないような部分で優れ、君の想像も付かないような深い考えの末にその場所に、立場に立っている事が多い。
言い返すことの出来ない相手を叩くのはやめなさい。
それは、正しく便所の落書きで、誰もそれを認めてはくれない。
既に書き上がったものであれば、粗を探すのなんて造作もない。
後出しで否定をするのなんて、誰にでも出来る事だ。
願わくば、自分自身の頭で、ゼロの状態から考え、自分自身の言葉をもって、評論家ではなく、発信者として自分の意見を言える。
そんな人間が増えてくれればいいなと、そう思う。
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