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KISAKI BANDWORKS 30TH ANNIVERSARY SPECIAL対談
DAISHI(Psycho le Cému)×KISAKI×樹威(GOTCHAROCKA)

6月21日に、フルアルバム『Preuve d’etre』をリリース。ついにKISAKIの30周年を記念した3三カ月連続、3枚のフルアルバム『Providence』『Afterglow』『Preuve d'etre』が出揃った。
 アルバムごとの対談シリーズも、ついに3回目。今回は、『硝子のアルバム〜New Recording〜』を歌った樹威(GOTCHAROCKA)と『Vertigo』を担当したDAISHI(Psycho le Cému)が登場。今回も、気心知れた3人のトークに目を通していただきたい。​

――ついに3枚のアルバムが出揃いました。

KISAKI ここへ至るまで足かけ3年以上の月日を費やしてきたからこそ、今は「やり遂げたな」とひと安心しています。本当に多彩なゲストの方に参加していただけたことで、30周年を彩るのにふさわしい作品たちが生まれました。


――今回の作品の魅力を語るために、樹威さんとDAISHIさんが対談に参加してくださいました。まずは、それぞれに参加した経緯からお聞きしたいのですが、KISAKIさんと樹威さんは、もう長い関係ですよね。

樹威 僕が19歳のときからですから、本当に長い付き合いになります。作品への参加の依頼を受けたのが、昨年頭の時期でした。そのときに「30周年を記念したアルバムを作るから参加してほしい」と連絡をもらいました。もちろん30周年をお祝いしたいという気持ちもある中で、過去の曲を改めて今歌ってみたらどんか感じになるのかという興味も重なり、今回参加させていただく運びとなりました。
 僕が歌ったのが、KISAKI PROJECT時代、歌い続けてきた『硝子のアルバム』。KISAKI PROJECTとして初めて歌った楽曲を、今回、新たに新録しています。十数年前に原型があった曲とはいえ、楽曲自体を、今のKISAKIさんが求める『硝子のアルバム』の形にアレンジしてあることから、すごく新鮮な気持ちで歌えました。自分でも嬉しい意外性だったのが、歌詞が身体に染みついていたからでしょうね、ブースに向かったら自然と歌が出てきたこと。すごくナチュアルな気持ちで。そのうえで、新たな刺激を受けながら歌えたのも嬉しかったですね。

KISAKI 樹威も、DAISHIIくんも、本当に付き合いの長い関係。3枚目となるアルバムを作るうえで、2人の存在は、僕にとって本当に重要でした。
 先に樹威と作りあげた『硝子のアルバム』について語ると、樹威も語っていたように、この曲はKISAKI PROJECTとしての始まりを告げた楽曲。その後、何度か機会を得るごとに新録し続けてきたくらい、僕自身思い入れの深い曲です。今回の作品へ参加してもらううえで、樹威に新曲を歌ってもらっても良かったけど。樹威と一緒に出来ると決まったとき、最初に頭をよぎったのが『硝子のアルバム』を新録することでした。過去に何度も新録してきたようにいろんな形を経てきた楽曲だからこそ、今現在の自分の理想とする形で『硝子のアルバム』をふたたびアレンジし、それを樹威が歌ってくれたらどんな風に花咲くのか、それを見たくて、樹威にこの曲を歌ってもらおうと決めました。

樹威 僕にとっても、『硝子のアルバム』は本当に思い入れの強い楽曲。初めてKISAKI PROJECTとして歌ったのが、僕がヴィドールのメンバーとして活動を始めて間もない頃。ちょうど、オムニバス盤へ参加するためにと、KISAKIさんがKISAKI PROJECTを立ち上げ、僕に声をかけてくださったことから参加した形でしたけど。まさか、あのときに歌った楽曲を、今もこうやって歌えるなんて、あのときは思ってもいませんでした。

KISAKI そこは、自分も一緒。当時、オムニバス盤のための企画ユニットとしてKISAKI PROJECTが生まれ、その作品のためだけにと収録した形だったのが、当時からKISAKI Projectへ評判や評価が高く、活動を求める声も多かったことから、結果的に不定期な形とはいえ長く続くプロジェクトになったからね。
 そもそもヴィドールは、自分の人生には欠かせないバンド。UNDER CODE PRODOCTION自体が、もともとはヴィドールをマネージメントするために生まれたレーベルであり、レーベルを大きくしてゆく一翼をヴィドールが担っていたように、樹威とは切っても切れない関係。いまだに同じ仲間という意識でいるからね。同じ仲間という面では、DAISHIくんもそうなんですよ。

DAISHI おっ、いきなり振ってきましたか(笑)。お互い、かなり古い付き合い。僕個人で言うなら、Psycho le Cémuの前にやっていたバンド時代からの関係なんですよ。

KISAKI DAISHIくんとは、もう27-28年来の付き合い。ほぼ同期と言っても間違いではない関係です。

DAISHI 年齢も一緒ですし。ただ、僕がバンド活動を始めた頃には、すでにKISAKIくんと言えば、関西のヴィジュアルシーンをビシッと取り仕切っていた人だったから、僕らは最初からいろいろと教えてもらうなど、活動をサポートしてもらう立場でしたけどね。

KISAKI じつはMatina時代に出したオムニバス盤に、DAISHIくんがPsycho le Cémuの前にやっていたバンドに参加してもらったんですね。当時は、主催したイベントにもよく出てもらっていたし、その関係性があったことから、その後、Psycho le Cémuとも普通に関係性を持って共演していましたからね。

DAISHI 僕等、姫路出身のバンドからすれば、大阪って大都会なわけですよ。そこのイベントに誘ってもらえるのが本当にありがたかったんです。今でも覚えているのが、大阪にあったギルドというライブハウスでのイベントの楽屋裏でのこと。あそこはまともな楽屋がなくて、みんな非常階段でメイクをしてるんですね。イベントの主催者であるKISAKIくんは、いつも一番高いところでメイクをしているから、僕らのような新参者のバンドは、そこまで挨拶に行くわけじゃないですか。でも、KISAKIくんに合うためには、いろんな先輩バンドさんがメイクしている階段を上手くよけて登りながらでないと会えないわけですよ。今、急にそんなことを思い出しました(笑)。

KISAKI そんなこと言ってるけど、彼とは同級生ということや、好きな音楽性も一緒というのもあったんで、すぐに打ち解けてフランクな関係になっていたからね。姫路にツアーへ行ったときには、それこそPsycho le Cémuやdefspiral (当時はTRANSTIC NERVE)のメンバーさんらにはよくお世話になっていましたからね。

DAISHI ただ、うち(Psycho le Cému)のメンバーは年下も多かったので、当時、KISAKIくんと共演するというだけで、うちの年下メンバーは萎縮していましたけどね(笑)。

KISAKI 当時は、自分が大阪のイベントに誘いをかければ、僕らが姫路に行ったときは、姫路のみんなにお世話になってと、お互いに助け合っていた関係だったから、どっちがどうというのもなかったんですよ。

DAISHI 昔は、そういう繋がりこそが大事でしたからね。

KISAKI ただ、Psycho le Cémuがいろんなテレビ番組に出るなど一気に注目を集めだして、動員や人気の面ではあっさり抜かれてしまいたけど(笑)。あの当時は、悔しい反面、仲間たちが大きく羽ばたきだしたことで 僕も力をもらってましたね。そういう時を経て、今度は、僕の30周年のアルバムを通して一緒に楽曲制作を行えたことが本当に嬉しくて…。

DAISHI 「KISAKIくん,の言うことは絶対」という、昔染みついた癖がどうしても出てしまうんで(笑)。むしろ、こうやって誘いをかけてくれたことが僕はすごく嬉しかった。ただ、いただいた『Vertigo』がね、いつもの感じとは曲の雰囲気や世界観が違うから、Psycho le Cémuで新曲を覚えるとき以上に練習して、身体に染み込ませましたけどね(笑)。


――確かに、Psycho le Cémuで歌う楽曲とは色が異なりますからね。

DAISHI 僕自身、KISAKIくんがやってきたバンドの楽曲は聴いていたから、「こういう感じでくるかな?!」と予測はしていましたけど。その予測よりも斜め45度以上どころか、そこさえもだいぶ飛び越えた楽曲が届いたから、けっこうハードルは高かったですけどね(笑)。
 じつは、『Vertigo』のレコーディングを行ったのが、ちょうどdefspiralのTAKAくんと同じ日で。先にTAKAくんの歌っている楽曲を聴いたら、KISAKIくんの楽曲ながらも、めっちゃTAKAくんらしい歌い方をしていたから、僕に関しても、「自分の色に染めればいいんやな」という気持ちで歌いました。結果、自分の色も出しながら、KISAKI WORLDにも染めあげられたなと思っています。


――歌い終えての手応えもばっちりだ。

DAISHI かなり満足しています。しかも最後にKISAKIくんから「語りも入れてほしい」と言われたのも嬉しかったですね。というのも、インディーズ時代のPsycho le Cémuって、よく曲の中へ語りを入れてたんですよ。それを久しぶりにやれたのが嬉しかったのと、改めてPsycho le Cémuで語りを入れるのも大事やなとも思わされました(笑)


――改めて、『硝子のアルバム』と『Vertigo』の魅力を語っていただいても良いでしょうか。

樹威 アレンジが変わっていた理由もあってとはいえ、以前に歌っていたときの感覚も思い出しながら。そのうえで、「今だったらこう歌う」という表現をできたのが嬉しかったんです。『硝子のアルバム』は、十数年前に初めて録って以降、何度か新録を続けてきた曲であり、オーケストラバージョンまで作りあげた楽曲でした。しかも、ライブのたびにかならず歌っていた。そうやって育み続けてきた楽曲を、改めて今の自分だからこその歌い方で形に残せたのは、本当に感謝だなと思っています。実際に、これまでに生まれた『硝子のアルバム』のどのバージョンとも異なる、このアルバムでしか味わえない楽曲になりました。以前の楽曲と聴き比べられる方がいたら、ぜひ聴き比べたうえで、今の『硝子のアルバム』の姿を味わっていただけたらなと思います。

KISAKI 樹威も、DAISHIもそうだけど。ずーっと現役で歌い続けているヴォーカリスト。それぞれの歌の深みも、ぜひ感じてほしいなと思ってる。

DAISHI 『Vertigo』に関しては、先にも言ったように、KISAKIくんの音楽性に、僕の歌がどんな風に乗っかったのか、そこが一番の聴きどころだと思いますよ。あと、久しぶりの語り。それに、僕自身がD'ELRANGERさんの音楽を聴いて育ってというのもあり、ダークな曲好きな面はもともと自分の中にもあるんですよ。そこの部分を、『Vertigo』を通して色濃く出せたのも聴きどころになっています。


――DAISHIさんも、樹威さんも、KISAKIさんとは90年代はオムニバス盤への参加を通して、より関係性を深めていましたよね。

KISAKI 昔のオムニバス盤って、明確なテーマを掲げて作られた作品が多ければ、そこへ参加したバンドどうしで、互いの関係性を深めていくことも多かったから重要だった。

DAISHI オムニバス盤って1曲しか入れへんから、「その1曲に、どれだけバンドのすべてを詰め込んでわかってもらえるか」が、あの頃は大事だったんですよ。

KISAKI 本気で勝負を仕掛けてくるバンドもいれば、飛び道具的な曲を持ってくるバンドもいるなど、そこでバンドへの向き合い方も見えてくるもんやったから。

DAISHI どう、期待をプラスに裏切るのかを含めてね。それこそ激しいバンドやから、その激しさをだしてくることもあれば、たくさんの人たちの目に止まることから歌物で攻めたり、普段はなかなか聴けないバラードを持ってきて新鮮さを出すなど、選曲にも、そのバンドのセンスが現れてくる。それが、オムニバス盤の楽しさなんですよ。

KISAKI 樹威との出会いも、そう。僕がSyndrome時代にSHOXXとコラボしたオムニバス盤を作って、当時、樹威のやっていたバンドの存在が気になり、そこで仙台へライブに行ったときに出会ったのがきっかけだし。

樹威 打ち上げにお邪魔をして、そこで挨拶をさせていただいたのがKISAKIさんとの最初の出会い。その後、上京して、ヴィドールを結成するわけですけど。その当時からお世話になっていますね。


――最後に、改めて樹威さんとDAISHIさんから、KISAKIさんへ向けてひと言いただいても良いでしょうか。

樹威 19歳のときにKISAKIさんと出会い、そこからMatinaへの所属が決まり、上京。そのバンドの解散後にヴィドールを立ち上げたときには、UNDER CODE PRODUCTIONの一員として参加してというところから始まったわけですけど。UNDER CODE PRODUCTIONを卒業した後、ヴィドールの解散を得てその後GOTCHAROCKAとして活動を続けていますけど。またこういう機会をいただいて、KISAKIさんとご一緒できたのが嬉しかったし。何より、思い出深い『硝子のアルバム』を、またこういう形で形にてきたことで、今回の参加が、僕自身の音楽人生に於ける一つのターニングポイントになれば、とても感慨深い作品にもなりました。

KISAKI 樹威は、僕の中では今も変わらぬレーベルメイトであり、仲間。この関係をずっと長く続けていきたいからね。

DAISHI 僕に関していうなら、30周年だからこそ、互いに深い思い入れを持ってできたのかなと思っていて。きっと10周年で同じことをやっていたら、今の感じは出てこなかった。お互いに夢を求めてバンド活動を進めてゆく中、互いにいろんな経験を乗り越えての今がある。まわりを見渡す中でも、いろんなバンドさんの解散や、結成と解散の繰り返し、復活したうえでの、ふたたび解散。さらには引退など、いろんな状況を見続けてきました。自分たちも似たような経験を経たうえで、今でも現役で活動を続けている。だからこそ、こうやって一緒に曲を作れる機会が巡ってきた。しかも、KISAKIくんの節目となる作品に、長いときを経たうえで参加できたことが本当に嬉しいんですよ。今でも思い出すのが、お互いに活動がしんどかった時代の姿。その当時の気持ちを思いだしながら作品に参加できたことで、自分の中ではすごく一歩前に進めた感じがしてるし、これからもお互いに切磋琢磨しあっていけたらなと思っています。

KISAKI 2人もそう。今回の3枚の作品に携わってくれたアーティストみんなには本当に感謝しています。この記事を目にする頃には、次の展開も発表できてるかな?!この夢の続きを、まだまだみなさんには楽しんでもらおうと思っているので、期待して待っていてください。


INTERVIEW◎TOMONORI NAGASAWA
PHOT◎AKIO YOKOYAMA
HAIR MAKE◎A・DO(KISAKI&樹威)/ MASAE WATANABE(DAISHI)
HAIR MAINTENANCE◎hiko[UNDIVIDE](KISAKI)
STYLIST◎RIIKO NISHIKAWA(DAISHI)​

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6月27日(火)18:00 DAISHI(Psycho le Cému) × KISAKI × 樹威(GOTCHAROCKA)