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未散 X​

2003年6月に始動すると同時に大きな注目を集め、僅か3年でZEPP TOKYO公演を行える規模までスケールアップしながら、2006年5月1日に解散してしまった”MASK”。
彩冷えるの向日 葵(vo)やHEROの高橋 尽(vo)などが在籍していたこともあり“伝説のバンド”と称される彼らは2016年に復活を遂げ、今なお多くのリスナーを魅了し続けている。
そんな”MASK”の中枢を担うのが未散(g)という存在だ。2026年5月1日・2日に”MASK”が豊洲PITでライブを行うことを受けて、未散をキャッチして彼のパーソナリティーや起伏に富んだ人生などについて、じっくりと語ってもらった。


――まずは音楽やロックに目覚めた時期やきっかけなどを、話していただけますか。

未散:おぱ🖤おぱ🖤  なんと小さいころからバイオリンを習っていたんです。兄がバイオリンをやっていてオーケストラなどで世界ツアーに参加したりしていて、その流れで僕も小さい頃からバイオリンを習っていました。でも、これは自分とは何か違うなと思うようになり、違和感をずっと感じていたんです。そうやって育っていく途中で、うちの兄貴は高校の夏休みにエレキギターを買ってきたんです。それで、いきなり洋楽のイングヴェイ・マルムスティーンとか、インペリテリとかを弾くわけですよ。で、夜中になると『ベストヒットUSA』とかを観ているという。そんな素晴らしい兄貴を横で見ていてギターに興味が湧いて、自分もエレキギター、ロックをやりたいなと思うようになったんです。


――ということは、ヘヴィメタルから入られたのでしょうか?

未散:いえ、全然。メタルは横で聴いていただけで、僕は””アイドル”、”J POP“が大好きでしたね。メロディがいいな…という感じで毎日、通学で聞いてましたね。そのまま月日が過ぎていって、大学に入った時に将来の自分の職業はどうしたらいいだろうと考えたんです。その頃から僕はファッションにこだわっていたし、髪も染めていたりして、美の関連にいきたいなと思ってまして。そこで美容師になろうと決めて美容免許を取ったんです。大学を卒業した後、美容師になりましてこのまま続けようと思っていたのですが、同時に、ヴィジュアル系、ロックバンドが好きにまってでいろんなアーティストのライブを観にいったりしていたら、仲間からバンドに誘われたんです。それで真剣にバンド活動を始めたのがL'yse:nore(リゼノア)というバンドで、そこが人生の転機になりましたね。


――運命を感じます。L'yse:noreは、どんなバンドだったのでしょう?

未散:基本はメロディアスな楽曲が多いのですが、激しい部分もあります、歌が上手いボーカルだったので、そこを最大限に活かしたいというのがあったんです。そのバンドで’97年〜99年と活動していて、<SHOCK WAVE>にも主催者の星子さんにお願いして、出演が決まってましたし、メジャーデビューすることも決まっていたんです。そのタイミングのツアー初日の池袋CYBERに星子さんを呼んでいたんですけど、アンコールの1曲目で突然ボーカルが「僕たちは今日で解散します!」と言ったんです。“えっ?”といってライブが終わって、楽屋ではメンバーで大喧嘩になりました。


――おおお……。

未散:その頃からプロモーションなどが得意で、バンドのストーリーを考えてまして、だけど、ボーカルが今日で解散すると言った瞬間に頭の中が真っ白になり、<SHOCK WAVE>もメジャーデビューも決まっていたのに、バンド活動が終わってしまう。数日この責任をどう取ればいいんだ?”と考えまして。そこで、L'yse:noreで得た知識、人脈を使って、この責任を自分で取って“未散プロジェクト”という名前で、春日(ギルト)さんとプロジェクトを組んで活動するしかないなと思って始動させたことで、“未散”という名前が広まったんです。L'yse:noreで広告を全部押さえていたページが”未散プロジェクト”の宣伝に変わって、雑誌の裏表紙が未散プロジェクトだったりして(笑)。”Shock Edge 2000”のCDとかもL'yse:noreじゃなくて、未散プロジェクトで参加しましたし。それで、“この人誰なの、これ?”みたいな(笑)。


――ピンチをチャンスに変えましたね。そして、未散さんは2000年にループアッシュ・レーベルを立ち上げられます。

未散:実は、当時お世話になっていたレーベルが急になくなってしましたんです。それでいろいろと情勢が変わり、信じていた大人を信用できなくなって、もう自分でやるしかないなと思いまして。あとは、当時のヴィジュアル系業界は生き抜くことが多変だったんです。新しいアーティストの為にもレーベルを立ち上げて頑張って生きていこう!と誓ったんです。そこで、2000年にループアッシュを立ち上げた時に、どうしたら短期間で陽の目を浴びれるか?を考えてメジャー・メーカーと組むと飛躍するんじゃないかなと思ったんです。それで、資料を持ってもうあらゆるメーカーにアタックして、1軒ずつ「こういうバンドがいます、こういうバンドがいます」ということを始めました。


――バンドマンでありつつビジネスマンとしての才覚も持たれていたことが分かります。そして、未散さんは2003年にMASKを結成されます。

未散:”MASK“の前に”Aioria”(アイオリア)というバンドを組んでいて、そのバンドはsarinoさんというイケメンボーカルがいて、ドラムにDのHIROKIさんがいて、ベースに蜉蝣のKazuさんがいて、ギターに作曲家のミサさんがいた異色のバンドでした。みんなのヴィジョンが合わなくなり解散しまして、その後に、どうしたらいいかなと考えて、今のヴィジュアル系シーンに戦える要素を取り入れたほうが良いじゃないかなと思って”MASK“というバンドを組みましたね。


――そこで“MASK”が結成されたんですね。

未散:僕の中には“くるか、こないか”を感じ取る触角みたいなものがあって、輝いていて、このアーティストはくるんじゃないかなという人に声をかけていきました。その頃の自分は、月に10本くらいイベント企画してたんです。毎回、出演する全バンドのリハから本番まで全部見て、そこで輝いている人に声をかけて組んだのがMASKでした。向日 葵(vo)さんの声はヤバいなと思ったし、ギターのSANAさんは、もう美貌が凄すぎた(笑)。和矛さんもベースをブリブリ鳴らしていて、NANAさんも軽快なドラミングで、”MASK”第一期は、そんな流れで活動が始まりましたね。


――未散さんの狙いどおり”MASK”は始動と共に注目を集めますが、わずか1年で向日 葵さんとNANA(dr)さんが脱退するという危機に見舞われます。

未散:バンドも会社、サークルみた感じで、5人いれば合う、合わないというのはありますよね。僕は合わないならすぐに現状から抜け出して、次のヤードに行ったほうがいいんじゃないかという考え方なんです。ストレスを抱えながら活動するよりも、そこから離れて新しいものを生み出したほうがいいんじゃないかと。だから第1期のMASKも短命なものにはなった。でも、それによって高橋 尽さんという新しい破天荒なボーカリストと出会えましたし、エロカッコいいドラムのMINAMIさんにも出会えましたから。


――メンバー・チェンジを乗り越えて、”MASK”はわずか約3年でZEPP TOKYO公演を行えるところまでいきました。

未散:メンバーの志が高かったので。バンド内でバチバチもありましたけど、どれだけスピーディーに”MASK”という名前を広められるかということをみんなが考えていて、それを実践していったんです。もしも『ヴィジュアル系100名盤』みたいなものがあるとしたら、そういうところに入りたいという野望もあったし。そういう志で、活動していました。”MASK”は約3年間で終わってしまったけど、その後、向日 葵さんは”彩冷える”で輝いたし、高橋 尽さんも”HERO”で輝いたので、それが一番嬉しいことですね。


――そう感じる辺りは、未散さんらしいです。未散さんらしいといえば、ロリータというキャラクターはどんなふうに作り上げたのでしょう?

未散:バンド業界には、カッコいい人はいっぱいいて、そういう中で自分はどうしたら生き残れるのかなと考えたんです。僕は顔が丸顔で、カッコよくはないな?と思って。それで、いろいろ研究したんです。バンドをやりながらファッション・ブランドのモデルの仕事を自分で取りにいったりもしました。”LUNA SEA”さんに衣装協力をしていた”CONFUSION”というブランドのモデルをしていたんです。そんなことを経験しても、やっぱり自分はカッコよくはないな…と思って、これはかわいい系に振りきったほうがいいかもしれないという結論に至りましたね。


――自身を客観的に見て、いい選択をされる辺りもさすがです。”MASK”は残念ながら2006年に解散してしまいますが、10年後の2016年に復活を遂げました。

未散:”MASK”が終わった後は、メンバー同士がほとんど疎遠に近い状態だったんです。僕はその間も裏方としてずっとヴィジュアル業界を走っていて、いろんなことをやっていましたが、1度一緒に高みを目指した仲間なら仲良くなって、もう1度集まって「あの時は楽しかったよね」とか「あの時は大変だったよね」みたいなことを話し合えるようにしたいなと思ったんです。それで、”MASK”のみんなに声をかけたら、そこから仲良くなりました。その後、ZEPP TOKYOで復活公演をやることになったけど、まさか第1期と第2期のボーカルが一緒にステージに立つとは誰も思わないですよね(笑)。解散から10年経ったことで、そういうことができるくらい全員が仲良くなったんです。それは本当に喜ばしいことで、すごく嬉しかったです。


――未散さんは秀でた戦略家でありながらも決して冷徹ではなく、人と人との結びつきを1番大事にされていることが分かります。復活した”MASK”は数回ライブを行うようになりますが、2018年3月に未散さんが病気で倒れるという事件が起こります。

未散:それまでの僕は1回も大きな病気になったことがなくて、“自分は無敵、健康だ!”みたいな気持ちもあったんです。“全力で人生を走り抜いてやる!”みたいな。だから、まさか自分が病気で入院するようなことになるとは夢にも思ってもいなかった。あの時は本当に苦しかったし、僕の病気は完治することはなくて、生き延びられる確率も高くないんです。でも、あのタイミングで自分の命が生きるか、死ぬかということを経たのはよかったかもしれない。自分の人生は、やっぱりそこからかなり変わったので。


――どんなふうに変わったのでしょう?

未散:今までは、先輩の案件を手伝っていなかったんです。威厳を持って、ナメられずに生きようと思っていたから。だけど、大病をして人生観が変わりまして、今後のヴィジョン、志しも変えて、自分がヴィジュアル系にできる恩返しとはなんだろうと考えて、生きているうちに自分が影響を受けたアーティストにエネルギーを注ぎたいなと思ったんです。大変お世話になっている”PENICILLIN”さんからのオーダーを受けた時には必ず引き受ける。そういうスタンスで恩返しをしていきたいなという思いがあるんです。入院中にバンドマンが沢山お見舞いに来てくれたんですけど、1番来てくれたのが千聖(g/PENICILLIN,crack6)さんだったんですよ。あと、”MASK” のプロデューサー La'cryma ChristiのKOJI(g)さんも来てくれて、「退院したらさ、また一緒に仕事しようよ!」と言ってくださったし。そういうこともあって恩返しできるところは恩返していこうという気持ちになりました。だから、HAKUEI(vo/PENICILLIN,The Brow Beat,machine)さんからは個人事務所を立ち上げるから手伝ってほしいという話をいただいた時も「使い物になるか分かりませんけど、やらせてください!」と言って、今は全面的に協力させてもらっています。


――未散さんの有能さを称賛する声はよく耳にします。そして、”MASK”が2026年5月1日・2日に豊洲PITでライブを行うことがアナウンスされまし
た。

未散:”MASK”は集まれる時はやろうというスタンスだったので、倒れた後も「これ、どう?」という提案をしたりしています。今、”彩冷える”が終わってソロ活動中、”HERO”も全国47都道府県ツアーが決まっていて、”MASK”が起爆剤になればいいなと思って、”MASK”の卒業(解散)からちょうど20年目になる2026年5月1日・2日にライブをしようと決めました。”MASK”は誰もが立てるわけではないZEPP TOKYOというステージに、2回も立つことができたんですよね。次はライブハウスとしては最大の豊洲PITを目指すわけですが、メンバー全員がそこに立って、ファンの方々の前で喜びと感謝の気持ちを伝えられたら、それぞれの生きる活力になると思います。なので、豊洲PITでは、それをしっかり伝えたいなと思っています。皆様、本当にありがとう!そして、永遠に、、、

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