よー通信vol.2
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よー通信vol.2

2014-02-22 09:28
    こんなニュースがあった。
    慶應大生が女性に「死ね」とLINEで書き、女性がビルから飛び降り自殺。そして死亡。
    http://keimusho.net/crime/2014/02/21/tokyo-53/

    私は実際にこのキャンパスではないが、慶應に通っている。その身として感じることは、「エリート」に対する考え方の違いである。
    私が思う「エリート」とは簡単に言うと以下のような意思を持つことである。
    今現在、社会の構成として、カネや地位を持っているモノが素晴らしいといったような道徳に欠けた考え方が蔓延していると感じる。私の学内の中で、女性が何もしていないのに関わらず、突然男性側から連絡が途絶え、数日後男性からの別れを告げられた事や、グループワーキングと呼ばれるプロジェクトを組む会議の後に、誰々がいる所為で進み具合が遅いと言ったような事を女性が言っていた事のような事実がある。あくまでではあるが、そういった人たちが就活にうまくいっているという例もある(本当に十把一絡げにしている訳ではないことを推しておく)。
    私が思う「エリート」とは上記のような状況を招かずして、事を成し遂げていくような人たちを指すのではないか。人の心の痛みに気づき、フォローや適切な判断を下せる人たちの事を指すのではないかと思うのである。
    ではそういった人になるのにはどうすればいいのか。人の話をたくさん聞き、そして苦しみや悲しみにも関心を持ち、自分であればどうするのかというように感情を移入させるような努力を各々がすることなのではないか。慶應は確かに学歴が凄いと言われる事もあるが、しかしながら世の中において上ばかりしか見ていない、そういった政策が実現可能なのであれば今頃もっと世の中良くなってるよねとかそういった声もあるのが現実である。実際にニコニコ生放送というTVの生中継のようなネットサイトで、生放送中にコメントが書き込めるサイトがあるのだが、そのようなコメントを目にしたことがある。
    もっともっと目線を変えるべきではないか。世の中を地球と捉え、視点を球体に配るように、ひとりひとりが努力していくべきではないか。それが真のグローバリズムではないのか。貧困問題、環境問題、経済や政治問題とかそういった事を解決するには、先ずはやはり個人個人の心情にも目を配っていくことが大切ではないのかと私は考える。それらのモチベーションはもちろん学内だけではない。今後の人間が生きるにあたって必要なスキルなのではないだろうか。
    確かに私達が出会う最初の社会、家族においていろいろなことがあるかもしれない。友人においてもいろいろなことがあるかもしれない。恋人や結婚相手ともあるかもしれない。しかしながら私達人間はそもそもな小さな微生物であり、宗教学的には神様が作られたのという解釈もある。だとするのであれば、大本を思考してみると誕生してから、まさにすぐにいがみ合うことは無かったはずである。生命は地球があるからこそであり、地球があるからこそ息をして生命が誕生するのである。端的に言うと、私達は皆地球を居所とする仲間なのであると私の考えは至った。このことを根本に置くと、どのような環境においても人間が人間らしく生活することが可能になるのではと希望を持ちたい。
    私は今後とも、地球とは、人とは、生きるとはについて様々な人との交流をしていきたいと思う。そして高慢かもしれないが、私は私の23年間の中で経験した五感を分かりやすく、少しでも話すことができればと、そのことによってモノゴトが明るい方向に向く、微々たる力になれればと思う。

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