ニコニコの変化についてのイメージ
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ニコニコの変化についてのイメージ

2013-03-07 08:08
  • 10
•はじめに

最近ブロマガで、何故ニコニコはつまらなくなったか、とか
ニコニコは変わったのか等いうのがよく目に付くようになった気がします。
で、その時言われるのが「人が増えたから」とか「プロっぽくなったから」とか
「お金のにおいがしてきたから」とか、「サービスが増えたから」とか
「単純に飽きたから」とまぁいろいろです。
これらを否定するつもりはないんですけど、今回は少し別の角度から
僕なりのニコニコの変化の要因をイメージしてみちゃいましょうと思い書いてみました。

まず自分が一番好きだったニコニコっていつかなと思うと
これはダントツで2009年なんです。まぁいわゆるエア本全盛期ですね。
音MAD全体とうしてもアングラ感といいますか、わけのわからない感じがするんだけど
素敵で他のテレビとかにはない魅力があって好きでした。
情けないことに、未だに僕がつくる動画はあの時代を完全に捨てれてません。
で、その後2010年以降エア本が衰退し、淫夢が興隆し、ニコニコは一般化していく••。
僕自身は淫夢はエア本ほどの魅力はないにしても好きだし、ニコニコが一般化しよーが
どうせ観ないので関係ない。音MAD数も増えていくし新しい表現もでてくるしで
ずっと同じ感じのニコニコであるはずなんですけど、なんか変わったような気がした。
なんとなくテレビとニコニコが同一的になったような気がした。

じゃあ2009年と2010年以降で別なとこで変わったことは?と思ったときに
ウォッチリストがある。ウォッチリストがでてきた当初って本当に便利になったと思って
普段は運営を攻撃しているエア本スレでも、それだけは「運営唯一の功績」のように
言われてたのをみたことがあります。

でもニコニコ変化の要因にウォッチリストが結構加担しているんじゃないかと思うんです。
これはニコニコを変えたというよりも、視聴者のdoを変えた。と思ってます。
以下図説を交え解説します。


•概要






これはウォッチリスト登場前のニコニコにある膨大な動画をどうやって見つけるかの
動作形態を図にしたものです。解りにくいところがあるのはご勘弁を。
図を解説すると、ニコニコの膨大な「動画」を視聴者が「検索」して「発掘」していて
その中で気に入ったものを自分だけで「保持している」図、と思ってください。
つまり、ウォッチリストが出て来るまでは検索以外でニコニコ動画の動画を見るには
せいぜいランキングにあがってきたものしかなかった。と思います。
これを指して「全員検索時代」とかっこつけて銘打ってみました。
その頃は他人同士の交わりがほとんどなく、いい動画を見つけるのはなかなか大変だった。
面白い動画があげられても見逃すなんてことはしょっちゅうあった。



ところが、ウォッチリスト登場以降





こうなった。
ウォッチリストによって見つけた動画を、他の誰かに簡単に「共有」できるようになった。
その流れはTwitterと連携機能が加わってさらに進行していった。
これを「全員共有時代」と呼んでみます。
この時代になることで他人と簡単にニコニコを通してのつながりが生まれたし、
皆が話題にする動画はまず見逃さなくなった。



これだけだったらあんまり悪くない、というかいいことだけなんですけど
実は動画を見つける基本形態がものすごい変化した。
その変化とは、「能動」か「受動」か ということです。

「全員検索時代」においては、前述した通り動画を観るにはまず検索。しかない。
すると、他人の動画を観るにおいても自分が「見つけた」という感覚が
ものすごく強くなっている。しかもマニアックでいい動画となれば、
長い時間「検索」をしなければならない。
言って見ればゲームでレアアイテムを手に入れるために長時間プレーするのと似ています。
そうしてレアアイテム、ここでは動画ですが を見つけると非常に達成感を感じる。
自分が見つけたという感覚だから動画も自然といとおしく感じると思います。

ところが「全員共有時代」においては、面白い動画が自動的にどんどん流れて来るので
検索の必要がどんどん薄くなる。
つまり、他人が見つけて来た動画を「与えられる」形になってくる。
しかもその与えられる情報量は絶えず増えていくので一瞬で動画を消化してしまう。
その中で行われるのが、サムネとかタイトルとかジャンルとかで観る動画を
「選ぶ」作業に入ってくる。言い換えればマイページから観る動画を
「削る」というような状態になる。

この「与えられて」きた動画を「選ぶ」作業。何かに似ているきがします。
それが



テレビなんです。
テレビを適当につけっぱなして、適当に観て、適当に面白そうな番組を選ぶ。
これにすごく似ている。興味ない動画とかジャンルとかが平気で目に入ってくるのも似てる。
すると次第に動画が「見せられている物」「作られた物」に見えてくる。
だからいままで動画が自分たちと同じ目線だった気がするのに、何処か自分たちが下になって
いくような気がして寂しくなる。という現象が起きているのでは?と思います。


ちょっというと動画をみるほうだけでなく作るほうにも影響を及ぼしているかのように
思います。
「全員検索時代」においては、自分の好きな動画を共有する手段はなかった。
その中で共有しようとしたらコメント以外では、好きな動画を素材にして
動画をつくり「発表する」という手段をとるしかない。
だからがんばって動画をつくろうとしたのではないか、とも思うのです。
なんにせよ「全員共有時代」はニコニコの価値を変えたと思います。


•さいごに

ウォッチリストやTwitterだけがこのような変化を与えたとは思いません。
しかし、「能動的」に動画を観る形態から「受動的」に動画を観る形態になったことの
一因にはなっていると僕個人は思います。
それを他の方があまりおっしゃっていないように感じたので
ある程度まとめて書いて皆様に提案してみた、という感じです。
もちろん今後「共有」の時代は加速するでしょうし、
どちらも最初は喜んで招き入れた技術であるのですから、
そのことを忘れて「全員検索時代」に戻ろう!等と言うことは
江戸時代はよかった!江戸時代の暮らしに戻ろう!というのと同じだと思います。
ただ個人的にいえばテレビと違う魅力をもったニコニコの目指すところが
テレビだとしたら少し悲しいなぁとは思いますが。





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×
面白いですねぇ、特に最後は納得です。

テレビと違うからこそニコニコなんだと思いますよ。

最近のネット全体にいえるかもしれませんが、生活に根付いてきた分、それ以前からネットに親しんでいた人は温度差を感じるでしょうね。

進化していくのはいいことですが、私みたいに、自分が最初に親しんだものを何時までも忘れられない人間も結構多いと思います。
81ヶ月前
×
ウオッチリストがなかった時代にニコニコの視聴者がみんな自分で動画を探していた、というのは暴論だと思う。その時代はその時代で2ちゃんねるとかブログなど、ニコニコ外部のコミュニティーでシェアが行われていたと思う。
81ヶ月前
×
ニコレポもなくて、音MADタグも整備されてなかったとき「もっと評価されるべき -歌ってみた -踊ってみた -VOCALOID -実況プレイ動画」とかで探してたのが懐かしい。
81ヶ月前
×
作り手からすると、お気に入りユーザー(ウォッチリスと)の多い有名作者なんかにマイリスしてもらうと一気に再生数やマイリスト数が増えたりして、拡散の様子がニコレポで確認できるのも楽しい。
動画の発掘に関しては、動画紹介生放送や世界の新着動画といった、受動と能動の中間的な方法もありますかね。リクエスト生放送で偶然いい動画見つけたり(これは誰かと共有、あるいは誰かに教えてもらってる状態?)。
それと作り手側が行う「祭り」という文化も、自発的に検索しない視聴者にとっては動画を探しやすくなる要因の一つかもしれません。
81ヶ月前
×
こういうの考えるのおもしろいですね。

昔の人たちもみんな能動的じゃなく、
「エア本」や「中曽根OFF」はみんな知ってる。とか
前提知識が共有されてたので、
今と同じく能動的な人と受動的な人混在してたんじゃないかなーと思ったり。

ウオッチリストが既にあった時に登録した人、
古参じゃない新規の人でもみんな最初は楽しんでたんじゃないかなー。

たいくつを楽しさ埋めるエンタメの代表niconicoだったけど、
エンタメは自分が予想できない未知の物を見た時に楽しいと感じると言われますが
でも、niconicoにも慣れ親しんだ今は
もうこういうの見た、このパターン知ってる、ってのが多い気がする。
ニコニコが変わったと言うか、ユーザーが変わったのかなーと感想を持ちました。
81ヶ月前
×
おらは最近までずーーーっとランキング見てて全然検索使ってなかった。
ランキングとランクインしてるタグをクリックすれば事足りてたから。

最近ランキングに見たいものがなくなってきたのでようやくキーボードつかって検索しはじめた。
エア本大好きなのにやってること逆ですねぇ。
81ヶ月前
×
初めまして、内容が気になったので覗かせてもらいました。
現代のニコニコのテレビ化が進んでいる、テレビに通じる部分ができてしまったのではないか。
それによって発掘して見つけることの能動性が失われ、これがニコニコの影を落とす一因になっているのではないか。
私はコラージュさんの記事を読んで、そう解釈しました。
その上でコメントを残させていただくと確かに、そういうものの見方もできると思います。
81ヶ月前
×
今回この記事に対してたくさんのコメントを書いてくださりありがとうございます。
底辺の音MAD作者の戯言なので、ちょっと反響があればうれしい程度だったのですが、
ここまでの多くの反響があるとは思わず、驚きと感謝の気持ちでいっぱいでございますます。
自分のつくる動画でこのような反響を中々得れないというのが情けないんですけど・・・。
ただ、これはやはり皆さんがニコニコの変化についてもう一度問い直したい・問い直す必要のある
時期になっていることの表れなのかもしれませんね。

皆様のコメント等の反響をみるといろいろ意見があって参考になります。
特に「全員検索時代」と銘打った時期でも、皆が皆検索していたわけではない、
外部で様々なところでシェアされていた。というのはこれはもうおっしゃるとおりだと思います。
ただ、自分としては自分の伝えたかったことを端的にいうためにあえてその点にはふれずに
ニコニコ動画内での行動様式の変化について主に書かさせていただきました。
また、悪魔でこれは自分の行動様式を基に書いているだけにすぎないので、皆が皆がそうとは限らないだろ!
というご指摘もそれはもちろんごもっともだと思います。

どちらかというと自分の中でウォッチリスト以降見方が変わったような気がするな、ということの原因を
僕なりに考えた結果「能動的」に動画を探す形態から「受動的」に動画を選ぶようになったからじゃないかな
となんとなく思ったのをニコニコの全体の変化にもふれて書かさせていただいたという感じですね。
ですのでこの考えが断固正しいというつもりは毛頭ないです。
別なところに原因が起因しているということは大いにあると思います。本当は受動になっていないかもしれません。
ただ文章というのは自由な解釈ができるのが素晴らしいと僕個人は思うので、勝手気侭に解釈を書かせていただきました。
そして他の方の様々な解釈も同様に、非常に参考になっております。本当に有り難うございました。
81ヶ月前
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09年ごろはランキングなんか見てなかったな
最近はランキングばかり見るようになってしまっている
81ヶ月前
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私は「全員検索時代」というものは無かったと思います。
ニコニコをニコニコたらしめているのは、文脈の共有ではないでしょうか。
みんながみんな同じ物を見ていて、ユーザ同士に仲間意識が芽生えているのが、ニコニコの特徴だと思います。
「ニコ厨」という言葉があっても、「ようつべ厨」という言葉はありませんよね。

この「みんなが同じ物を見ている」状態はどうやって生まれるのかというと、ランキングによる作用が大きいと思います。
「全員検索」は各々が好きなものを見るので、文脈の共有は生まれにくいはずです。
私は、昔のニコニコ動画は「全員共有時代」だったと思います。

ニコニコの変化とは一体何なのか。
それは、「全員共有時代」を生んでいたランキングによる作用を、ウォッチリスト等の各ユーザにカスタマイズされた情報やユーザーの増加が弱めてしまったことによる、「ニコ厨」の一体感の減少ではないでしょうか。
つまり、「ニコ厨」の価値感が多様化してしまい、「ニコ厨」という括りが弱くなってしまったのだと思います。
実際に今、音MADを見ている人と、歌ってみた動画を見ている人では、大分隔たりがありそうで、「ニコ厨」という言葉で一纏めにするのは無理がありそうです。

これが私なりの答えです。乱文失礼しました。
81ヶ月前
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