8/22
閉じる
閉じる

新しい記事を投稿しました。シェアして読者に伝えましょう

×

8/22

2017-09-22 02:01

    さて、今日から今年の8月に出版されたばかりの植村玄輝・八重樫徹・吉川孝編著『ワードマップ現代現象学』を新たに読み始めた。「現代」現象学(contemporary Phenomenology)という題目の通り、古典的現象学(classical Phenomenology)すなわちフッサールやハイデガーの思想の解説よりも、現代哲学の中における現象学の位置付けに重きを置いたいわば次世代の現象学入門書である。著者たちは今後の日本におけるフッサール研究の中心を担っていくであろう(或いは既に担っている)若手(博士論文発表前後)のフッセリアンである。

    まず第1章「現代現象学とは何か」では、(現代)現象学の基本的特徴(方法論)及びその学問的意義が解説された。
    本章の結論を端的に述べれば、「現象学は「経験の探究を通じて」「世界」を理解し、それによって哲学の一般的問題に答えようとする、という基本的特徴を持ち、その学問的意義はまさにそれが経験に定位することによって、経験に必ずしも定位しない種類の科学や哲学に対して、一定の有益な視座をもたらす」というものである。

    「経験」や「世界」といった言葉がここでやや専門的な意味で用いられているということもあるので、上に述べた現象学の基本的特徴を言葉を補いつつ冗長に書き直してみると、次のようになる。
    現象学は一人称的観点から我々の経験を探究(記述・分析)することで、経験の在り方(敷いては経験する主体の在り方)および経験の相関者としての諸対象の(経験される限りにおいての)在り方を明らかにする。
    もっとも、ここに述べられた諸々の特徴は全て経験それ自体の持つ性質に由来しているので、上の内容は次のように一言で言い換えることもできる。
    現象学は経験を私たちの探究する。
    無論、これは「事象に立ち還れ(zu den Sachen selbst)」という古典的フレーズのパラフレーズでもある。

    以上、現象学の基本的特徴について改めて確認したが、本章の主題である「現代現象学」にとって重要なのは現象学の基本的特徴というよりも寧ろ現象学の学問的意義の側にある。経験を分析すること・現象学的態度でものを見ること・事象に立ち還ること、というのは哲学としての現象学にとってはあくまで手段であって目的ではない(cf. 同書30頁)。幾ら分析をしても、それが公共的な批判の場に置かれなくては、真正の意味での学問足り得ないのである(学問というのはその歴史的起源からして「検証」や「批判」といったものを要請するのであって、それらの存しないただのモノローグ的記述はそれが社会的な記述連関の中に組み込まれない限り未だ学問ではない)。従って、現代現象学は「経験の探究という方法に依拠しながら、哲学の問いに取り組み、哲学の議論に参加する(30頁)」。では具体的に(現代)現象学は哲学的な問い(に関する現在の議論)に対してどのような回答を与えるのか。以下の章で、それが明らかとされる。


    広告
    コメントを書く
    コメントをするには、
    ログインして下さい。