確率論というものを考える。
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確率論というものを考える。

2013-03-07 22:06
    最近、気がかりなものがあるので。ちょっとここで書いてきたいと思います。

    遊びでポーカーをやってみたんですが、特殊な条件のものでして、その条件とは
    ハンデとして、特定の条件を満たすとお前は7枚のカードを持っていいから、5枚のカードを選んで勝負すればいい、交換はお互い1回ずつだ。
    というものです。

    特定の条件とは
    3枚配られた時点でスートの赤黒を判定し、片方の色の合計が3枚になるまでカードを引ける、というもの。
    確定次第、その上に2枚を追加して5~7枚を構成する。

    それぞれの枚数になる確立は
    ・5枚 25%
    ・6枚 50%
    ・7枚 25%

    相手の持ち札は常に5枚の為、つまり「4回に3回は有利なゲーム運び」ができるようになっているということです。

    しかし、24回分のデータを取った結果に呆れを通り越して怒りを覚えました。

    24戦の戦績
    5勝3引き分け 16敗 連帯率0.333(キッカーは見ない)
    ※キッカー:同じ役の場合、別のカードの数字の高低で勝敗を見る行為

    んな・・・あほな。
    いくら偏りがあるとはいえ、これは極端なんてレベルじゃないだろ・・・って憤りを感じましたね。
    乱数とかクソやって昔からいろんな事で思っていましたが(PSUで99%サイコウォンドの合成をへし折った経験あり)、改めて理不尽なものを思い知りました。


    麻雀も同じことが話せますが、ここまで極端に偏る事例は「MJのツモ順」位しか見たことがありません。

    なんなのでしょうかね?
    運という次元では語れない何かのものが絶対あると、考えが収まらない日々です。
    麻雀より完全運ゲーでここまで影響力を与える意味を理解した日には、何か悟るものがあるのかもしれません。

    それまで「確立」というものを私は常に疑い続ける生活を送るのでしょう。


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