体罰があったほうが良いのでは? 素直な体罰肯定論
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体罰があったほうが良いのでは? 素直な体罰肯定論

2019-02-10 16:38
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少し前だが町田総合高等学校の教師による暴行・炎上事件が話題となった。
教師が男子生徒を殴り、引き倒す映像がネットで拡散され非難が集中。
TVのコメンテーターや識者などは一斉にこの教師を非難。
「ヒドイ」「最低だ」「教師の資格無し」などなど。

だが程なくして、この映像の音声部分に注目が集まる。殴られた生徒側もつよい語気で教師を挑発しているのが判ると一部からは「生徒も悪い」「生徒も悪いが暴力は良くない」
などなど。私は、考えて思った。

私は現状として「体罰は必要なんじゃないか?」

その理由の一つは、私自身が教師の体罰で救われた経験があるからである。

中学の頃「イジメ」といっては大げさだがクラスの特定グループからよく
からかわれる事があった。

歩いていていきなり後ろから叩かれたり、席の後ろから小突かれたり、
体育シューズを窓から投げ捨てられたりと嫌な目に合う事が時々あった。
毎日ではないがこうした事が、週に一度あったりするのが嫌だった。

ある日、廊下を歩いてるとそのグループのB君がいきなり蹴ってきた。
痛みを感じるような蹴りではなく当たる程度だが靴裏のホコリが黒い学生服の跡になるのでそっちのほうが嫌だった。

伸びてきた足先を手で払いのけると B君は体制を崩し廊下に尻をついた「痛ってぇ~!!」
ワザとらしく大声をあげる。B君は立ち上がると今度は強めに腹を蹴ってきた。
 少し痛いだけだったが、足で制服の合わせ引っ掛けたのか、制服のボタンが
とれてしまった。それを見たB君は「あーあ、お前が悪いんだからな」
そう言うと立ち去っていった。

この出来事を境にB君らのグループはさらにこうしたイタズラをエスカレート
させていった。イキナリ机を倒したり、椅子を隠すなど毎日のようにこうした
イタズラをするようになっていた。

 自分としてはウンザリである、授業中も定規を投げてきたりするなど勉強もあまり集中
できなくなっていった。勉強も手につかない、一日中小突かれ続ける、
いったいなんのために学校に来てるのだろう?と疑問にさえ感じてくる。


そんなある日、休み時間にB君がいきなり私を羽交い絞めにしてきた。
私りふりほどこうと体を捻った時、肘が廊下側の窓ガラスに当たり割ってしまった。

クラス内が一瞬ザワつき、次に(なんにしてんだ?)という呆れたような雰囲気になった。
その後、生活指導の先生が来てB君と私は軽く注意をうけた。

B君は「おまえのせいで怒られた」と頭を叩いてきた叩いてきた。
 私も「自分のせいだろう」と言ったがそんなにしつこくは言わなかった。 
こんな事があと1年以上も続くと思うとゲンナリしてくる、そんな風に思った。

それから2・3日後、生活指導の先生から再び呼び出された。なぜ窓ガラスが割れたのかを
改めて詳しく説明するように、という事だった。

B君は「お前のせいでまた叱られる」と文句を言ってたが自業自得だとおもった。
大体このあいだ注意されたし今回は状況の話をするだけだろう。
もしかしたらガラス弁償代をはらわなければならないかもと思った。
ノックをし授業準備室に入ると指導の先生が腕を組み立って待っていた、
 教師の雰囲気がいつもより暗い気がした。抑えた声で教師が言う。
 「ん?どういう風にして廊下側の窓ガラスが割れたんだ」

私が当時の状況を教師に説明する「教室で突然羽交い絞めしてきて・・それで・・」
私が説明が終る前に突然教師が「お前がやったんか!!」
そう言うと教師はいきなりB君のむなぐらを掴み平手で殴った。
(ヒィ!!)心の中で悲鳴をあがる私。次は自分がやられるのかと思ったら
「事情はわかったからお前は帰っていいぞ」と言われる、私は逃げるように部屋を出る。
ドアを閉める瞬間B君を見ると目に涙を溜めながら教師に謝っていた。

その後に他の人から聞いた話では、窓ガラスが割れたすぐあと生活指導の教師らが
B君やグループらの素行についていろいろ生徒から聞き取りをしてたらしい。
それであのような指導になったようだった。

その後、B君やグループからイタズラされる事は全く無くなり、
お互い干渉しないように気をつかい、そのまま卒業した。結果的にはであるが
私は教師の体罰に救われたのだと思う。

私が体罰で救われた経験は以上である。

もしあの時教師が、注意しなかったり軽い口頭での注意だけだったら、その後もイタズラは
続いてただろうし、最悪さらにエスカレートしてたかもしれない。

だからといって体罰が「良い」という事にはならない。
ただ体罰に悪い面があると同時に「良い面」もあったはずである、だからこそ
体罰があったのだ。

逆に体罰を無くす事により得られた「良い面」もあるはずだ。
この二つをくらべ、俯瞰し考える。
体罰がタブー化した今の学校は昔より良くなったのだろうか?










増え続ける不登校。


増え続けるイジメ(認知件数)


(1990年校門圧死事件 この事件を契機に体罰の議論が本格化した)

もちろん体罰による不幸な事故などは抑えられてると思う。だが体罰がある事により
救われていた私のような「人間」も多かったのではないかと思うのだ。

 「学級崩壊」という言葉が言われはじめ、地元の中学も苦慮しているような話を聞く。
私がいた時代でも授業中にずっと騒ぎ続ける生徒がいるため、授業が進まないので
廊下にでも出しておこうと教師言ってたら「彼にも授業を受ける権利があるから」
と言うのだ。「だが彼らが騒ぐ事で普通生徒が勉強を受ける機会を失ってる」
と教師に言ったら目を逸らしなにも言わなかった。教師にそれを判断する裁量は
無いのだと、その時感じた。

 一方の生徒だけから見た、無責任な綺麗事だと思った。

90年代以降になると、黙認していた生徒への体罰を厳しく禁止するようになる。
だがこの時に「体罰」の代わりとなる代替制度を作るべきだったのではないか?

だが政治家や官僚は理想主義を現場に押し付けるだけだった。
「慎重に対応する」「生徒と同じ目線で」「やさしく見守る」などなど、だが結果は

 生徒のイジメや非行を教師が知りながら黙認したり、無視したり、無かったとはずと
言い張る現状の形成へとなったのではないだろうか?

 実際に体罰の代替策をはどういったモノがあるだろうか?よくある「アメリカでは」
を参考にすると「社会奉仕」「休日登校」「管理体罰」などだ。
意外だがアメリカの一部では体罰が法的に認められてる州は少なくない。


      
 (体罰が認められている地域)         (パドルを使った体罰、運用法は厳格にきめられてる) 
だがその運用は厳しく、罰をうける体勢や箇所も決められ、親の同意確認がなければいけないようだ。

こうした対策がとられるまでは「現場レベルの体罰による指導を一部再活用をすべきである」。というのが私の持論だ。

 だが今更こうした体罰肯定論なんてハッキリ言って無理であるし愚かしささえ感じる。
だがあの教師の行いだけをみて「教師失格」などと言い切れてしまう単純さこそ
さらに愚かしくおもう。体罰だから、法律にそう書いてるから「悪い」
と言ってるだけにしか聞こえない。

大半のコメンテーター評論家は小奇麗な正論で自分を着飾る事にしか頭にないように
見えるのだ。生徒・教師の幸せを考えるべきではないだろうか。


 最近の世の中を見てると他人に綺麗事を背負わせて、より人を不幸にしている気がする。






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あぶね。
>対策がとられるまでは「現場レベルの体罰による指導を一部再活用をすべきである」
を見落として体罰容認論かと思ってすげえ長文投げるところだった。
対策が取られるまでは、ね。

実際体罰が幅を利かすのは環境が整ってないからだよな。
他人の教育の妨げになる上言うこと聞かないやつは排除となるべきで
そこに綺麗事は要らんわな。
カウンセリングなどの支援はあったほうがいいんだろうが
基本的には停学退学でいいしいじめなんかしてる奴はそもそも刑事罰を受けるべきだ。
暴力が一般的でなくなりゃ自然と暴力も減るしな。
殴られて育つやつは他人を殴るのに自分への呵責がなくなるから
いじめ体罰を問わず殴られる環境なんてないに越したことない。
9ヶ月前
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