• 主の見守りを祈りながら

    2014-04-20 21:141
    諸々の事情からプレミアム会員を退会しますのでブロマガ配信出来なくなります。

    ご愛読ありがとうございました。

    今日の日付で退会手続き致しますので、電子書籍はいつまでダウンロード出来るか分かりません。

    いつもお祈りと励ましを感謝致します♪

    みなさまの上に主イエスの恵みと平安が豊にありますように。



    主がすべての災いを遠ざけて

    あなたを見守り

    あなたの魂を見守ってくださるように。

    あなたの出で立つのも帰るのも主が見守ってくださるように。

    今も、そしてとこしえに。

    詩編/ 121編 007-8節



  • 広告
  • キリストの祈り

    2014-04-19 23:221
    こう言われた。
    「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御に適うことが行われますように。」

    マルコによる福音書/ 14章 36節

    わたしが、自分自身を計る時の一つの規準が、このイエス様のお祈りです。

    わたしが願うことではなく、み心に適うことが行われます様に。

    この一節を自分に適用して、わたしの信仰的な度合いを計ります。

    そして神様が、今、わたしの心をどうされているのか、ということも思います。

    頑にされているのか、従順にされているのか・・・また・・神様と親しい交わりにあるのか・・・などなど・・・霊的な感覚を体験しまた計ります。


    そうこうしている中で・・・わたし個人に向けた神様の計画、み心と・・・はじめから終わりまでという・・・すべての人が影響を受ける神の計画、み心・・・

    大小、ある事を感じる事が出来ます。

    わたし一人の中でしたら不信仰を覚え、祈れなくなる時、、、もう・・・神様やめて!と思う時・・・色々あります。

    しかし・・・群れに対して思う時は、躓きのある兄弟姉妹を励まし、祈りに覚え、愛し合うという訓練の場とも言えます。


    またそうした事、一人の交わり、二人、三人の交わり、群れの交わり、世界中のクリスチャンからの交わり・・・

    そうした神様との交わりが・・・地上で日々おこされているんです。


    キリストが、この祈りをゲッセマネで捧げた時・・・・

    そこには、どういった父なる神との交わりがあったのか・・・

    知る由もありません・・・・


    いつでもわたしの願いではなく・・・神のみ心を・・・とそういう心を与えられます様に。

    祈りながら。

    感謝です。。
    アーメン。。

    誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。は燃えても、肉体は弱い。」
    マルコによる福音書/ 14章 38節

  • 信仰による体験

    2014-04-18 02:023
    その夜、わたしはエジプトの国を巡り、人であれ、家畜であれ、エジプトの国のすべての初子を撃つ。

    また、エジプトのすべての神々に裁きを行う。

    わたしは主である。


    あなたたちのいる家に塗った血は、あなたたちのしるしとなる。血を見たならば、わたしはあなたたちを過ぎ越す。

    わたしがエジプトの国を撃つとき、滅ぼす者の災いはあなたたちに及ばない。


    この日は、あなたたちにとって記念すべき日となる。あなたたちは、この日を主の祭りとして祝い、代々にわたって守るべき不変の定めとして祝わねばならない。
    出エジプト記/ 12章 12節〜


    最期の晩餐という絵画を見た事がありますか?

    キリストが、十字架につく前、弟子達とした食事の事です。

    その食事は、聖書に書かれている過ぎこしの祭りの食事でした。

    食事の際、イエス様は、新しい契約をしめされ、今日でも教会で行われている聖餐式がその契約にあたります。


    教会が用いてる暦では、ちょうど、今日あたりが、十字架の前、過ぎこしの食事になります。

    わたしは、さきほど、ヨハネによる福音書の映画、後半部分を少し見ていました。

    キリストが、捕まり、十字架にかかり死ぬ辺りを見ました。


    キリストと共に歩んだ弟子達、また同じ時代にいきた人たち・・・。

    それらの人たちは、十字架を体験したはずです。

    十字架までを実際に見聞きしました。


    油注がれた者(救い主)ユダヤの王となる方が・・・ローマの手に渡され・・・
    十字架にかけられ・・・殺される。

    一体、この出来事は何なんでしょう!?


    わたしは、体験的に感じることを今日、導かれました。

    キリストの逮捕、そして十字架・・・

    この事に対して、弟子達は神学的な話し合いなどしたのでしょうか。

    ただ十字架を体験させられた・・・そういう弟子達がいただけではないのか・・・
    キリストと共に歩み、神の子羊として屠られるキリストを体験する。

    一体、何がどうなってるんだ?

    油注がれた者だと思い弟子達はついていきました。

    しかし・・・神の本当の目的、罪の赦し、悔い改め、聖霊の約束は・・・十字架なしではありえなかったのです。


    過ぎこしは、エジプトで奴隷になっていたイスラエルが、神に求めて神様が、お答えになり・・・モーセが遣わされました。

    が、エジプトの王であるパロの心は、堅くなにされて・・・なかなかイスラエルを行かせません。

    パロがイスラエルを行かせたのは、この過ぎこしとして祝われている、最期の災いを通ってからです。

    イスラエルの民は、羊の血を塗る事により災いを過ぎこします。
    エジプトの家は、初子が死ぬという災いを受けます。


    救われる方も裁かれる方も・・どちらも血を体験します。

    初子の死、また救いの羊の血・・・。


    いま、わたしたちは、キリストの血による契約を体験する事が出来ます。
    信仰によって・・・。


    その体験をするならば、神は共におられてキリストの血が塗られた人として・・・
    神様は、災いから護って下さいます。

    そして天のみ国へと入れてくれる。


    十字架は、世の罪を取り除く血です。。


    その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。

    「見よ、世の罪を取り除く神の小だ。
    ヨハネによる福音書/ 01章 29節〜