自分を誇らないって?
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自分を誇らないって?

2013-08-09 01:25
    では、人の誇りはどこにあるのか。それは取り除かれました。どんな法則によってか。行いの法則によるのか。そうではない。信仰の法則によってです。

    ローマの信徒への手紙 / 3章 27節

    聖書の中で・・・ああ・・・なんだかすごいことが書いてある!
    と思うみ言葉の一つにあげた箇所があります。

    人の誇りは、信仰の法則によって取り除かれたという・・・・



    肉にある人、この地上で生きる人が・・・誇りをなくすことなんかできるのでしょうか?

    ここでいう誇りとは、自分を誇ると言う事だけではありません。
    自分が誇りとするもの全てをいっています。

    実績、お金、学歴、職、特技、趣味、人間関係、所属、性格・・・人の営みのすべてといってもよいでしょう。


    誇りをなくすことは、出来るのでしょうか?

    いいえ・・・それは出来ません。
    だからこそ・・・この手紙を書いたパウロは・・・行いの法則ではないと言っているのです。

    それは、信仰による法則だと。


    パウロは、直接、十字架と復活を見たわけではありません。
    ある時、イエス様の声を聞き・・・クリスチャンを迫害するものから、イエス・キリストだけを誇るものに回心された器です。


    ですので・・・まさにこの信仰の法則というのをものすごく伝えたかったんだと思います。

    そして・・・現代に歩むクリスチャンにこの信仰の法則は、ものすごく大事です。


    洗礼を受けて5年近くたちました。
    だんだんと・・・この自分の誇りが取り除かれています。

    わたしの力ではなく、ただ油注ぎによります。

    神様は、心を見られます。
    表面的な態度・・・それだけではありません。

    たとえ同じ様なことを行っていても・・・この信仰の法則によるのかよらないのか・・・
    ということを神様は、見られています。

    神様のみ心にかなうにどうすればいいのか?
    それは・・・ただひたすら油注ぎを求めること・・・この一言につきます。

    神様が、わたしを変えてくれますように。


    残るのは、信仰と希望と愛・・・もっともすぐれているのは愛です。
    イエス様、いつもありがとうございます。
    用いてください。。。

    最後までお読みくださりありがとうございます。

    ついには、わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです。
    エフェソの信徒への手紙 / 4章 13節
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