はじめのころの行い
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はじめのころの行い

2014-03-06 17:37
    「わたしは、あなたの行いと労苦と忍耐を知っており、また、あなたが悪者どもに我慢できず、自ら使徒と称して実はそうでない者どもを調べ、彼らのうそを見抜いたことも知っている。

    あなたはよく忍耐して、わたしの名のために我慢し、疲れ果てることがなかった。

    しかし、あなたに言うべきことがある。あなたは初めのころの愛から離れてしまった。

    だから、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて初めのころの行いに立ち戻れ。もし悔い改めなければ、わたしはあなたのところへ行って、あなたの燭台をその場所から取りのけてしまおう。

    ヨハネの黙示録/ 02章 02節〜

    黙示録の冒頭には、アジアにある7つの教会へ宛てたメッセージがあります。
    時代区分として解釈をする読み方もあり、今はラオデキヤの教会の時代とも言われています。


    その中でだいぶ前にわたしがこの箇所を読んで・・・挙げられている7つの教会でどれが自分の事なのかなぁ?なんて思いに起こしていた事がありました。

    その時・・・エペソ(エフェソ)に宛てた所が、なにか自分に向けらていると思い・・・
    聖書の中にあるエペソ人の手紙を・・・読みました。

    すごく自分にあてはまる・・・そう感じたのを覚えています。


    ネットでメッセージを聞いていました。
    語られていることとは、直接違ったのですが・・・なぜか挙げた聖書箇所を自分は開き読んでいました。



    こういう事は、よくあります。
    油注ぎの中で・・・メッセンジャーが語っていることとは、違う事が語られていることは、本当に良くあります。

    人の教えに惑わされない様に・・・聖霊様が、今、僕に語ってくれるメッセージを感じ神様の深みに飛び込む事・・・この体験は本当に感謝です。


    はじめのころの行いに立ち戻れ。とこの聖句では言われています。


    わたしにとってはじめのころの行いとは・・・なんでしょうか?

    教会に行き始めたころの事でしょうか?

    そんな風に思いを巡らせていると・・・思い出しました。

    幼稚園の頃、イエス様の話しを聞いて喜び、密かに・・・イエス様を探し建物の中を散策したのを。


    ある事に気づきました。

    はじめの頃・・・に共通しているのは・・・純真だった・・・ということです。

    教会にいきはじめた時、幼稚園の時・・・ただひたすら神様に対して純真だったと・・・。

    いつのまにか混じりけのある信仰になっていると・・・そんな感じを覚えさせられました。
    まじりけのある信仰、教えは・・・すぐに膨らみます。
    純真さを超えて膨らんで行きます・・・・。


    人の営みは、いつしか毎日が同じ繰り返しです。
    信仰生活、ミニストリーもそんな風に思いがちです。


    クリスチャンは、新しく造られ、日々、新しく歩める者です。
    それは、なんといっても神様と出会った喜びと感動でしょう。


    地上で肉的な営み、肉的な感覚を余儀なくされます。
    教会生活、ミニストリーにいたっても・・・いつの間にかなれてきてしまい・・・新鮮さを肉にたよります。


    聖書の語ることは、肉に従う歩みではなく、霊に従う歩みです。
    キリストの愛を受け愛し愛されて歩む・・・毎日が、愛で覆われた世界です。


    世界情勢は、毎日、おどろくほど変化しているでしょう。
    日々のニュースでも・・・なんだかびっくりする様な事件が、日本でも頻繁に起こり始めています。

    神様が、導かれている歴史は、ダイナミックです。
    信じられないほどに・・・。

    その時代と時を見張り・・・キリストの訪れを愛を行い待つことが出来るように。

    聖霊様との深い交わりを保ち、油を携えてイエス様を待っていられるように。

    イエス様、いつもありがとうございます。

    アーメン。。


    耳ある者は、“霊”が諸教会に告げることを聞くがよい。勝利を得る者には、神の楽園にある命の木の実を食べさせよう。」』

    ヨハネの黙示録/ 02章 07節




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