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生きてりゃ楽しいことはある。でもその希望すら失うこともある。
京都に帰ってきてから3週間ぐらい経つのですが、こちらでの対面カウンセリングの実施記事をFBで公開したんですね。
それを見た女友達の1人が、「今京都居るんやー!久しぶり!」と連絡をくれて、近況報告がてらメッセージのやり取りをしてたんですよ。
彼女は僕が水商売をやってたときに知り合ったのですが、お客さんというより友達ポジションの子で、今はローカルの店舗でママをしているようです。
この子はいろんなお店に顔が広かったので、僕がお店をやってたときに唯一仲が良かったホストクラブオーナーの男性が、現在の状況を知ってるか聞いてみたんですね。
そしたら衝撃の答えが返ってきました。
「あの人、1年ほど前に自殺してん」
自殺するような人には見えなかったのに、いつも元気で冗談ばかり言ってたのに、あの人が自殺したのか。
今年一驚いてしまって、スマホに向かって「マジかあぁ」と言ってしまいました、
そういえば当時、彼は「眠剤がないと寝れへんねん」と言ってたことを思い出し、表の顔は明るく振る舞っているけど、裏ではいろんな悩みや葛藤を抱えていたんだろうなと思いました。
彼とは店を閉めてから会ってないし、連絡も取ってなかったのですが、その理由の一つに会ったら嫌なことを思い出すからというのがあったんです。
嫌なことと言うのは、僕にとって水商売で店をやっていたことは、楽しいことよりもつらいことの方が多く、とくに閉める1年前からは仕事での良い思い出がほぼないんですよ。
でも彼はホストクラブを経営しているわけだから、会えば絶対に夜の世界の話になるだろうし、ほぼ確実に「うちの店で働かへんか?」と言われることが分かっていたので、店を閉めてからしばらくは会いたくなかったんですね。
それから何年も経ち、もう水商売時代の人たちに会っても大丈夫だろうとなった頃には、僕はすでに東京に行くことが決まっていたので、ずっと疎遠だったんです。
あまりにもベタすぎるのですが、僕も例に漏れず「亡くなることが分かっていれば…」となってしまい、過去に彼と仲良くしていた頃を振り返って思いを馳せていました。
僕は今までどんなにつらいことがあっても、「死にたい」と思ったことは一度もないんです。
それは、僕がそう思ってしまうぐらいの地獄までは経験していないことと、元々楽天的な性格なので、どん底状態のときでも「死ぬほどじゃないやろ」という思いがあったからだと思います。
つまり、ただ環境と生まれつきの性質に恵まれていただけで、このどちらかが欠けていたら、僕にも死にたいと思うことがあったのかもしれないなと思いました。
自殺した男性が、何が原因で自死を選んだのかは分かりません。
「男は金と仕事のことで自殺し、女は男と恋愛のことで自殺する」なんて言いますが、詳細は分からないけど、死にたいぐらいつらいことが立て続いて、生きる意味を見いだせなくなってしまったのは間違いないんだろうと思います。
よく、「死ぬ勇気があるんだったら生きる方がましでしょ」と言う人がいますが、自死を選ぶ人は生きていくことに疲れて希望を見いだせないから、勇気云々の話じゃないんですよね。
苦しいし痛い思いをするのを分かって死を選ぶのだから、それ以前の話だということです。
なので、苦しまずに死ぬ方法を探している間は、まだ生きることに多少の執着があるのかもしれません。
「もう死にたい」と言ってる人はなかなか死なないけど、本当に死ぬ人って誰にも言わずにこの世から去るとよく言われています。
自殺しそうな人を止めるのには、生きていることを約束させるのが一番なんだとか。
たとえば、「3日後にまた会いに来るからね。絶対約束だよ」というように。
世の中には、「自殺する人の意味が分からない」という人が一定数存在していて、かつての僕もその中の1人でした。
でもそれは、生きることへの希望がある人の意見であって、「何も楽しいことがなく嫌なことしかない」という状況が立て続いたら逃げたくもなるし、逃げられなかったら死にたくなることもあるはずです。
なので、逃げられる状況って実は恵まれているし、それを選択できる自我があるという証拠でもあるんですよね。
勘違いを防ぐために補足させていただきますと、この場合の「逃げる」というのは、劣悪な環境から抜け出すためのルート変更のことであって、「逃げ癖」のことではありません。
どうやっても逃げられないという状態が続いたとき、人は学習性無力感(あがくことを諦める状態)に陥りますから、そのときに衝動性が加わると自殺を考えてしまうというわけです。
言うまでもありませんが、生きていくのって大変です。
楽しいことばかりじゃないし、ときにはつらいことも苦しいこともあります。
でも、できるだけ楽しい毎日を送ることに全振りしていれば、生きていく希望をなくすことはないんですよ。
そして、今からお話することが一番大切なので、どうか忘れないでください。
「何も楽しいことがない」となったとき、自分はヤバい状態にいるのだと自覚することを。
この状態に陥ったとき、昔の自分を思い出してください。
楽しく生き生きと過ごしていた頃の自分をまず思い出してみましょう。
次に、何が原因で何も楽しいと感じなくなっているのか、その理由を突き止めて、離れることができるなら離れることを目標にして動くことです。
その原因を作っているのは、職場かもしれないし、家族かもしれないし、恋人かもしれない。
離れる時期を逃してしまったばかりに、そこからどんどん病んでしまい、自殺を考えてしまうケースってものすごくよくあるんですよ。
なので、「最近何も楽しいことがないなあ」とぼんやり考えることが立て続いたら、今お話した内容を実践してみてください。
そのときやらないといけないことは、楽しいことを探すことではありません。
自分の活力や好奇心を奪っている対象から離れることなんです。
もちろん今お話している内容は、自分で自分の機嫌が取れない人が言う「何も楽しいことがない」ではないので、追い詰められすぎた人限定になります。
それから、自分がそのような状態になったときに抜け出すことも必要ですが、周りに「楽しいことがない」と言ってる人がいたら、気にかけてあげた方がいいかもしれません。
話し相手になるとか、それだけでも救われることってありますし、このブロマガを読んでいるあなた自身もそれは同じです。
自分の話ができるだけで気持ちが楽になることは沢山ありますし、前述したホストクラブのオーナーは、もしかすると誰にも相談できなかったんじゃないのかなと思っています。
「何も楽しいことがない」という状態になる前は、死ぬほどつらいという状態が訪れます。
このブロマガを読んでくださっているあなたが、そんな状態にならないことを切に願っておりますが、1人で抱え込みすぎてどうしてもつらいときは生放送中のコメントで吐き出してください。
そしてみんなで励まし合いましょう。
「もうちょっとだけ頑張ろう」「世の中捨てたもんじゃない」と少しでも思うことができれば、生きる希望は湧いてきます。
そして、楽しいことや楽しみにできることは沢山作っておきましょう。
楽しみがあれば人間は「死ねない」のです。
このブロマガを読んでくださっているあなたが幸せであることを、僕は心より願っております。 -
えげつなくモテる人たちの見てる景色と生きている世界線。
僕には、信じられないぐらい女性からモテる友人が2人います。
1人は、You Tubeやwithのコラムで時折登場するYくん。
彼とは同じバンドをやっていた仲で、今では世界を股にかける仕事をしており、常に忙しそうにしています。
Yくんは身長162cmで、ルックスはダイヤモンド・ユカイさんや、X JAPANのTOSHIさんに似ています。
好きな人は好きな顔だろうけど、どちらかと言うと万人受けはしない顔なのかもしれません。
でも彼は異常なぐらい女性からモテます。
自己肯定感の塊だし万能感と自信にあふれていて、しかも男気まであるから、オスとしての魅力を女性が感じ取るのだと思います。
Y君をチビだと思ったことはないし、むしろ雰囲気とオーラが彼のことを大きく見せているので、かなり特殊な存在です。
もう1人はJ。
LUNA SEAのベースの人じゃありません。
彼は違うバンドのギタリストだったのですが、現在は京都でギター講師をしています。
身長は180cm超えで、ルックスはK1の武蔵選手をシュッとさせた感じです。
誰もが羨むイケメンというわけではないけれど、Jは色気がヤバいんですよ。
フェロモンという言葉がこれほど似合う男もあまりいないと思います。
ただ目薬を薬局に買いに行っただけなのに、店員の女の子から連絡先を書いた紙を渡されたり、女性からアプローチされることがめちゃめちゃ多いんですよね。
自分で言うのもなんですが、僕は一般的にモテる部類に入っていると思います。
その自覚はあるし、実際にモテていたので、僕にとってはそれが普通のことでした。
しかし、この2人はレベルが違うんですよ。
どれぐらいレベルが違うかと言うと、仙水忍と覚醒したあとの幽助ぐらいの差があります。
仙水も十分強かったけど、雷電の力が入った幽助の前では成す術がありませんでしたからね。
話を戻しますと、僕は今母親の看病というか付き添いのために京都に帰っているのですが、先週Jの家に遊びにいったんですよ。
焼酎2本と缶ビール6本とおつまみを持って。
そして彼の家でだべりながら昔話をしたり、今現在の話をしたりしていたのですが、Jと話してたら、見てる世界線が違うんですよ。
前提が、「どうせなんとかなる」なんですよね。
どういうことかと言うと、たとえば付き合ってる彼女と別れることになっても、どうせまた新しい人が現れる。
裸一貫でどこかの土地でやり直すことになっても、どうせ死なないしなんとかなる。
たとえ無一文になってもどうせ生きていける、こんな感じなんです。
Y君もJも自己肯定感と万能感の塊なので、信じられないぐらいモテるという特性以外にも、「俺なら大丈夫」という前提があるんですよね。
そういえばY君と一緒にバンドやってたとき、どんな難しい問題にぶつかっても「いけるやろ。なんとかなるわ」といつも即答される上に、実際になんとかなってきました。
そんなY君は、バンコクを拠点に仕事をしているのですが、数年前に大きな水害があったんですよ。
彼はバンコクに工場を持っているのですが、その水害で大半の機材が壊れてしまい、大損害を被ったそうです。
しかもそのとき運悪く、工場を任せていたトップ数名が他社に引き抜かれるという事態に。
それを笑いながら「だから今結構ヤバいねんw」と彼は話していたのですが、その直後に「まあ俺がいる限り潰れることは絶対ないけどな」と言ってたので、マジでコイツすげえなと心の中で語彙力を失うぐらい感心してました。
基本的に自己肯定感が低い人って、前提が「どうせ私(俺)なんて」なので、やる前から失敗をイメージしてしまってるんですね。
でも、Y君やJのように「俺なら大丈夫」という前提があると、成功のイメージが強烈にあるんですよ。
もちろん、百発百中で毎回成功するわけじゃないからたまには失敗するんだけど、それは彼らの中では「たまたまそうなった」なんですよね。
でも、俺なら大丈夫と思っているので、上手くいかなかったことが悔しいから、失敗から学習して次の成功につなげるという感じです。
僕も大概自己肯定感は高い方だと思っているけど、さすがにこの2人には負けます。
それに、この2人のようにはなれないのは分かっているし、僕の生きてる世界線は違うので、嫉妬も起こらないし、羨ましさもとくに感じないです。
ちなみに彼らの名誉のために言っておくと、Y君もJも、人の気持ちが分かるいいヤツです。
以前、「高すぎる自己肯定感はポジティブモンスターを生む」という記事を書きましたが、彼ら2人は例外なんですよね。
じゃないと僕も友達付き合いできません。
今回のブロマガで何が言いたいかと言うと、「結局なんとかなるという精神は大切」だということ。
もちろん、根拠ある自信と実績あっての精神にはなりますが、これら2つがあれば「なんとかなるっしょ!」という勢いと心持ちを持つことは大切です。
「じゃあ、悲観的でマイナス思考な人はダメなの?」と思った方がいらっしゃるかもしれませんが、それが悪いわけではありません。
つい考えすぎてしまうという性質の人がいますし、ときに人間にはうだうだ考える時間も必要だったりするので、最終的には「なんとかなる」という開き直りに持っていければいいと思っています。
僕の2人の男友達のように絶大な自己信頼を持つことは難しくても、「結局なんとかなる」という潔さを持つことはできるので、人生をできる限り楽しんでいきましょう。 -
生きてる世界線が違いすぎると、その相手と一緒にいることはできないんだよ論。
「明日、私は誰かのカノジョ」のシーズン2が始まりました。
本ドラマは、レンタル彼女で働く女子大生を中心としたオムニバス形式の作品なんですが、主人公の雪は親から虐待を受けて育ったんですね。
シーズン1でその描写は一瞬しか出てきませんでしたが、控えめに言ってもろくでもないクズ親でした。
そんな雪にガチ恋する壮太という男性がいるのですが、彼は彼女に真剣な思いを告白するんですよ。
でも壮太は雪と違って一般的な家庭で生まれ、親からの愛情を受けて育っています。
彼は気持ちの強さがあればなんでも乗り越えられると信じているのですが、それはあくまでも壮太視点でのお話。
雪からすると、生きてきた世界線が違いすぎて、私のことを受け止められるはずがないと思ってるんですね。
実際、壮太の熱い気持ちに対して、彼女がイライラしているように見える描写がいくつかありました。
水商売をやっていたとき、沢山のキャバ嬢や風俗嬢のお客さんを接客してきましたが、その中にはかなり複雑な家庭で育った子も珍しくありませんでした。
親のことが大嫌いな子、いまだに親に支配されている子、親のことは嫌いじゃないがあまり関わりたくないと思ってる子など、その背景を聞いていると「母親は自分の子どもは可愛いと思うもの」と言ってる大人の発言が、いかに当てにならないかがよく分かります。
彼女たちは、自分に対してガチ恋しているお客さんの話もよくしていたのですが、ほぼ全員「見ててイライラする」と言ってました。
なぜなら、お客さんである男性が好きなのは、あくまでもお店で出会った「○○ちゃん」であって、「実際の私」をまるで見てないからなんです。
厳密には、見ようとしているけど、生きてきた世界線が違いすぎて想像ができないんですよね。
つまり、子どもに対して酷いことを平気でする親がいることを知らないし、見てないから分からないんです。
僕には人に安心感を与えるという強みがあるのですが、この能力は端的に言うと「この人なら大丈夫だろう」「この人がいたらなんとかなる」と思わせる力なんです。
「今まで彼氏や男の人にすっぴんを見せたことがない」と言ってた女の子たちが、僕の前ではあっさりすっぴんになったり、「こんなに自分のこと見せたの初めて」といろんな女性に言われたりすることが多かったのですが、当時は意味が分からなかったんですよ。
それをうちの奥さんが、「あなたはそこにいるだけで大丈夫と思わせる力があるから、謎の安心感がある」と教えてくれて、「ああこれは強みなのか」と思って長年の謎が解けました。
これは「藤本すごいっしょ?」という話をしているのではなく、そんな強みを持っているものだから、水商売をやってたときもお客さんたちが「他の人には話さないこと」をいろいろ話してくるんですよ。
その中で、「そんなにこの子と仲良くないねんけどなあ。なんで俺に言うてくるんやろ?」と思うような女の子もいたのですが、彼女たちに共通しているのは、「言ったら引かれる内容だから他の人にはあんまり言ってない」ということ。
要するに、彼女たちにガチ恋している男性は、彼女たちの過去に何があったのか全く知らない状態で、好き好き言ってるというわけです。
すると、「私のこと何も知らないくせに何言っちゃってんの?」という気持ちが芽生えてしまい、イライラしてしまうのは当然なんです。
彼女たちの中には、ガチ恋してるお客さんが「いい人すぎてつらい」という子も何人かいて、何がそんなにつらいのかと聞くとこういうことでした。
「そんな善人を騙してるみたいな罪悪感」と「一緒にいたらまぶしすぎてみじめになる」という2つの感情のせめぎ合いがあるから、つらくなってしまうんですね。
同じではないけれど僕にも似た経験があるので、彼女たちの話を聞くたびに「なんか分かるわ」と思ってました。
育ってきた環境が違うって、「生きてきた世界線が違う」ということなんですよ。
この世界線って、養育環境だけに該当するものではありません。
たとえば、DV男。
一般的には「女性に暴力を振るうような男はやめとけ」ということをよく言われていますが、もっと深く掘り下げるとこういうことなんです。
「女性に暴力を振るうような世界線で生きてきた男なんてやめとけ」ということです。
「女性に手をあげるなんて最低だ」とほとんどの男性が知ってるわけじゃないですか。
それなのに、何をどう生きてきたら女性に暴力を振るえるようになるのか?
つまり、彼らは「女性に暴力を振るってもいい世界線」で生きてきたんですよね。
しかもその世界線は、DVをしてもいい価値観を植え付けた人間も必ずセットでいます。
誰かのことを本気で好きになると、気持ちの強さだけでなんでも出来そうな気がするし、乗り越えれそうな気がします。
しかし、それはこちら側の話であって、好きになった相手の生きてきた世界線が違いすぎると、熱い気持ちを出せば出すほど「やめてくれ」という状態になってしまうんですよ。
相手の世界線を知らないまま気持ちをぶつけると、何も悪いことしてないのに嫌われるという事態が起こることがあります。
そして、それまで好きだと思っていた相手の知らなかった世界線の話を聞いたら、急に冷めることだってあるんですよね。
なので、相手の生きてきた世界線をちゃんと聞いた上で、それがどういう世界だったのかしっかりと理解できているのか?
その世界線を共有するとはどういうことなのか?
さらに、その世界線で何が起こっていたのかを聞いても気持ちが揺るがないのか?
このようなことを考えないといけないんですよね。
人を好きになるって素晴らしいことだけど、気持ちの強さだけで乗り切ろうとすると、ときに相手に対し失礼になるというお話でした。
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