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  • カッコいい大人とダサい大人の境目ってなんだろう。

    2023-06-04 18:51
    うちの奥さんが結構前に、「男の人ってダサいって言われるの、異常に嫌うよね」と言ってました。

    「ああ、たしかに」とかなり納得したのですが、「ダサい」という一言で直る悪癖や悪習慣ってありますから、我々男性にとってこのワードを言われることは、結構死活問題なんです。

    以前、このブロマガで登場した、信じられないぐらい女性にモテるY君ともよく話すんですよ。

    「ダサい先輩にだけはなったらあかんなあ」って。

    僕たちには、バンドをやってたときの後輩といまだにつながりがあって、たまに会うこともあるんですよ。

    そのとき、「あの人昔はカッコ良かったのに、今ダサいな」と言われるのだけは嫌だという意味での、「ダサい先輩にだけはなったらあかんなあ」なんですよね。

    なぜ僕たちがこのようなことを意識しているのかと言うと、後輩バンドマンがいるということは、先輩バンドマンもいるわけですよ。

    今でも若々しくカッコいい先輩は、「兄貴」と呼ばれたりして、リスペクトされてます。

    でもそうじゃない先輩は、変な気の使われ方をされてるんです。

    なぜそうされるかと言うと、はっきり言ってしまって心苦しいのですが、ダサい大人になってしまったから。

    今でも忘れられない先輩が1人いて、何十年ぶりかにY君と3人で会ったとき、悲しい気持ちを抱きながらゾッとするという矛盾した2つの感情を抱くという経験をしたことがあります。

    見て一瞬で分かる負のオーラ。

    会話は昔話と人の話ばかりで、バンドをやってたときで時間が止まってしまっている。

    いまだに継続されているという前提の権力と発言力。

    そして謎の上から目線で先輩気取り。

    人のお金で飲んでるくせに礼儀も配慮もない。

    しかも久しぶりに会うのに、会ったときすでに泥酔してるし。

    本人曰く、テンション上げていこうと思ったらしいのですが、飲みすぎてしまったようです。

    この先輩と一緒にいた時間は1時間半ぐらいだったと思うのですが、Y君と目配せして強制的にお開きしたことを覚えています。

    Y君が、「これ以上一緒にいたらあかんわ。俺、耐性ある方やけどあの負のオーラはあかん」と言ってたことを鮮明に覚えています。

    ちなみに、なぜ僕が悲しい気持ちを抱きながらゾッとしたのかと言うと、「将来こんな風になったらどうしよう」という恐怖です。

    久しぶりに誰かを反面教師にした出来事だったので、僕にとっては結構強烈な思い出なんですよね。

    もちろん、生きてたらいろんなことが起こるので、人生が下り坂になることはあります。

    なので、場合によっては落ちぶれてしまうことだってあるかもしれない。

    僕は、落ちぶれることが悪いと言いたいのではありません。

    「そこはカッコ良くいてくれよ。ダサい大人になってんじゃねえよ」ということなんです。

    “ダサい”という言葉を調べると、「恰好悪い」「野暮ったい」「垢抜けない」などといった意味を持つ俗語と出てきます。

    でも今回お話している“ダサい”は見た目の話ではなく、生き方や生き様の方です。

    生き方や生き様にも「カッコいい」「ダサい」はありますからね。

    平成の大ヒットドラマ、「池袋ウエストゲートパーク」で窪塚洋介さん扮するキングが、「悪いことすんなって言ってないの。ダサいことすんなって言ってんの」と言うシーンがありましたが、見た目じゃないダサさってこういうことだと思うんです。

    ・見てて引く
    ・一緒にいて恥ずかしいと思う
    ・同類にされたくないと思う
    ・「お前いくつだよ」と思って幼稚だと感じる
    ・やり方が汚い、もしくはセコい
    ・虚勢を張るのに必死に見える
    ・過去の威厳や年上であることをふりかざしてくる  etc…

    「ダサい大人」って口では言うけれど、言語化してみると小物感がすごいですね。

    カッコいい大人って、たとえ生活が困窮してしまうことがあったとしても、「あの人もうダメだね」とは言われないんですよ。

    「まああの人ならなんとかするっしょ」なんです。

    つまり、落ちぶれた状態を感じさせないんですよね。

    僕が好きなことわざの一つに「武士は食わねど高楊枝」があります。

    このことわざは、どんなに貧しくてひもじい状態のときでも、まるでお腹がいっぱいのように楊枝を高々とくわえて見せるという意味です。

    やせ我慢をすることに用いられることが多いことわざではありますが、「清貧で高潔であれ」という意味もあるので、僕は好きなんですよね。

    カッコいい大人とダサい大人の差って何なのかと言うと、自分の状態が悪くなったときに、生き方や生き様を崩してしまうことだと思うんですよ。

    自分の状態が悪くなるにつれ、しみったれた感が加速する男性っていますが、こういう人はどんどんダサくなっていきます。

    ちなみに“しみったれた感”とは何なのかと言うと、同情したり呆れたりするような情けない状態のことです。

    【しみったれた感がある言葉の例】
    「今月金ないから2,000円貸して?」
    「嫁も子どもも最近口聞いてくれへんわ」
    「離婚したいのにしてくれへんねん」
    「あいつらほんま、誰のおかげで生活できてると思ってんねん」
    「とりあえずキャバクラ(もしくは風俗)行こうや!お前持ちで!」

    しかもダサい大人って、人に寄生する気が満々なので、それがまた舐められる要因を作ってしまいます。

    カッコいい大人は人に寄生するのは恥だと思ってるので、醜態をさらしてまで施しを受けようとはしないんですね。

    自分がみじめになるだけなのを分かってるんですよね。

    僕は文章を書いたり動画で話したりするときに、自戒の意味を込めて伝えていることがよくあります。

    今回のブロマガも例に漏れずそうなのですが、書きながら、「ここ最近で一番自戒の意味を込めてるかもしれない」と思いました。

    つまり、それだけ「ダサい」と思われるのは嫌だということなんでしょう。

    そんなわけで、いくつになっても、カッコいいジジイで居てやると決意しました。
  • 生きてりゃ楽しいことはある。でもその希望すら失うこともある。

    2023-05-24 17:16
    京都に帰ってきてから3週間ぐらい経つのですが、こちらでの対面カウンセリングの実施記事をFBで公開したんですね。

    それを見た女友達の1人が、「今京都居るんやー!久しぶり!」と連絡をくれて、近況報告がてらメッセージのやり取りをしてたんですよ。

    彼女は僕が水商売をやってたときに知り合ったのですが、お客さんというより友達ポジションの子で、今はローカルの店舗でママをしているようです。

    この子はいろんなお店に顔が広かったので、僕がお店をやってたときに唯一仲が良かったホストクラブオーナーの男性が、現在の状況を知ってるか聞いてみたんですね。

    そしたら衝撃の答えが返ってきました。

    「あの人、1年ほど前に自殺してん」

    自殺するような人には見えなかったのに、いつも元気で冗談ばかり言ってたのに、あの人が自殺したのか。

    今年一驚いてしまって、スマホに向かって「マジかあぁ」と言ってしまいました、

    そういえば当時、彼は「眠剤がないと寝れへんねん」と言ってたことを思い出し、表の顔は明るく振る舞っているけど、裏ではいろんな悩みや葛藤を抱えていたんだろうなと思いました。

    彼とは店を閉めてから会ってないし、連絡も取ってなかったのですが、その理由の一つに会ったら嫌なことを思い出すからというのがあったんです。

    嫌なことと言うのは、僕にとって水商売で店をやっていたことは、楽しいことよりもつらいことの方が多く、とくに閉める1年前からは仕事での良い思い出がほぼないんですよ。

    でも彼はホストクラブを経営しているわけだから、会えば絶対に夜の世界の話になるだろうし、ほぼ確実に「うちの店で働かへんか?」と言われることが分かっていたので、店を閉めてからしばらくは会いたくなかったんですね。

    それから何年も経ち、もう水商売時代の人たちに会っても大丈夫だろうとなった頃には、僕はすでに東京に行くことが決まっていたので、ずっと疎遠だったんです。

    あまりにもベタすぎるのですが、僕も例に漏れず「亡くなることが分かっていれば…」となってしまい、過去に彼と仲良くしていた頃を振り返って思いを馳せていました。

    僕は今までどんなにつらいことがあっても、「死にたい」と思ったことは一度もないんです。

    それは、僕がそう思ってしまうぐらいの地獄までは経験していないことと、元々楽天的な性格なので、どん底状態のときでも「死ぬほどじゃないやろ」という思いがあったからだと思います。

    つまり、ただ環境と生まれつきの性質に恵まれていただけで、このどちらかが欠けていたら、僕にも死にたいと思うことがあったのかもしれないなと思いました。

    自殺した男性が、何が原因で自死を選んだのかは分かりません。

    「男は金と仕事のことで自殺し、女は男と恋愛のことで自殺する」なんて言いますが、詳細は分からないけど、死にたいぐらいつらいことが立て続いて、生きる意味を見いだせなくなってしまったのは間違いないんだろうと思います。

    よく、「死ぬ勇気があるんだったら生きる方がましでしょ」と言う人がいますが、自死を選ぶ人は生きていくことに疲れて希望を見いだせないから、勇気云々の話じゃないんですよね。

    苦しいし痛い思いをするのを分かって死を選ぶのだから、それ以前の話だということです。

    なので、苦しまずに死ぬ方法を探している間は、まだ生きることに多少の執着があるのかもしれません。

    「もう死にたい」と言ってる人はなかなか死なないけど、本当に死ぬ人って誰にも言わずにこの世から去るとよく言われています。

    自殺しそうな人を止めるのには、生きていることを約束させるのが一番なんだとか。

    たとえば、「3日後にまた会いに来るからね。絶対約束だよ」というように。

    世の中には、「自殺する人の意味が分からない」という人が一定数存在していて、かつての僕もその中の1人でした。

    でもそれは、生きることへの希望がある人の意見であって、「何も楽しいことがなく嫌なことしかない」という状況が立て続いたら逃げたくもなるし、逃げられなかったら死にたくなることもあるはずです。

    なので、逃げられる状況って実は恵まれているし、それを選択できる自我があるという証拠でもあるんですよね。

    勘違いを防ぐために補足させていただきますと、この場合の「逃げる」というのは、劣悪な環境から抜け出すためのルート変更のことであって、「逃げ癖」のことではありません。

    どうやっても逃げられないという状態が続いたとき、人は学習性無力感(あがくことを諦める状態)に陥りますから、そのときに衝動性が加わると自殺を考えてしまうというわけです。

    言うまでもありませんが、生きていくのって大変です。

    楽しいことばかりじゃないし、ときにはつらいことも苦しいこともあります。

    でも、できるだけ楽しい毎日を送ることに全振りしていれば、生きていく希望をなくすことはないんですよ。

    そして、今からお話することが一番大切なので、どうか忘れないでください。

    「何も楽しいことがない」となったとき、自分はヤバい状態にいるのだと自覚することを。

    この状態に陥ったとき、昔の自分を思い出してください。

    楽しく生き生きと過ごしていた頃の自分をまず思い出してみましょう。

    次に、何が原因で何も楽しいと感じなくなっているのか、その理由を突き止めて、離れることができるなら離れることを目標にして動くことです。

    その原因を作っているのは、職場かもしれないし、家族かもしれないし、恋人かもしれない。

    離れる時期を逃してしまったばかりに、そこからどんどん病んでしまい、自殺を考えてしまうケースってものすごくよくあるんですよ。

    なので、「最近何も楽しいことがないなあ」とぼんやり考えることが立て続いたら、今お話した内容を実践してみてください。

    そのときやらないといけないことは、楽しいことを探すことではありません。

    自分の活力や好奇心を奪っている対象から離れることなんです。

    もちろん今お話している内容は、自分で自分の機嫌が取れない人が言う「何も楽しいことがない」ではないので、追い詰められすぎた人限定になります。

    それから、自分がそのような状態になったときに抜け出すことも必要ですが、周りに「楽しいことがない」と言ってる人がいたら、気にかけてあげた方がいいかもしれません。

    話し相手になるとか、それだけでも救われることってありますし、このブロマガを読んでいるあなた自身もそれは同じです。

    自分の話ができるだけで気持ちが楽になることは沢山ありますし、前述したホストクラブのオーナーは、もしかすると誰にも相談できなかったんじゃないのかなと思っています。

    「何も楽しいことがない」という状態になる前は、死ぬほどつらいという状態が訪れます。

    このブロマガを読んでくださっているあなたが、そんな状態にならないことを切に願っておりますが、1人で抱え込みすぎてどうしてもつらいときは生放送中のコメントで吐き出してください。

    そしてみんなで励まし合いましょう。

    「もうちょっとだけ頑張ろう」「世の中捨てたもんじゃない」と少しでも思うことができれば、生きる希望は湧いてきます。

    そして、楽しいことや楽しみにできることは沢山作っておきましょう。

    楽しみがあれば人間は「死ねない」のです。

    このブロマガを読んでくださっているあなたが幸せであることを、僕は心より願っております。
  • えげつなくモテる人たちの見てる景色と生きている世界線。

    2023-05-22 10:382
    僕には、信じられないぐらい女性からモテる友人が2人います。

    1人は、You Tubeやwithのコラムで時折登場するYくん。

    彼とは同じバンドをやっていた仲で、今では世界を股にかける仕事をしており、常に忙しそうにしています。

    Yくんは身長162cmで、ルックスはダイヤモンド・ユカイさんや、X JAPANのTOSHIさんに似ています。

    好きな人は好きな顔だろうけど、どちらかと言うと万人受けはしない顔なのかもしれません。

    でも彼は異常なぐらい女性からモテます。

    自己肯定感の塊だし万能感と自信にあふれていて、しかも男気まであるから、オスとしての魅力を女性が感じ取るのだと思います。

    Y君をチビだと思ったことはないし、むしろ雰囲気とオーラが彼のことを大きく見せているので、かなり特殊な存在です。

    もう1人はJ。

    LUNA SEAのベースの人じゃありません。

    彼は違うバンドのギタリストだったのですが、現在は京都でギター講師をしています。

    身長は180cm超えで、ルックスはK1の武蔵選手をシュッとさせた感じです。

    誰もが羨むイケメンというわけではないけれど、Jは色気がヤバいんですよ。

    フェロモンという言葉がこれほど似合う男もあまりいないと思います。

    ただ目薬を薬局に買いに行っただけなのに、店員の女の子から連絡先を書いた紙を渡されたり、女性からアプローチされることがめちゃめちゃ多いんですよね。

    自分で言うのもなんですが、僕は一般的にモテる部類に入っていると思います。

    その自覚はあるし、実際にモテていたので、僕にとってはそれが普通のことでした。

    しかし、この2人はレベルが違うんですよ。

    どれぐらいレベルが違うかと言うと、仙水忍と覚醒したあとの幽助ぐらいの差があります。

    仙水も十分強かったけど、雷電の力が入った幽助の前では成す術がありませんでしたからね。

    話を戻しますと、僕は今母親の看病というか付き添いのために京都に帰っているのですが、先週Jの家に遊びにいったんですよ。

    焼酎2本と缶ビール6本とおつまみを持って。

    そして彼の家でだべりながら昔話をしたり、今現在の話をしたりしていたのですが、Jと話してたら、見てる世界線が違うんですよ。

    前提が、「どうせなんとかなる」なんですよね。

    どういうことかと言うと、たとえば付き合ってる彼女と別れることになっても、どうせまた新しい人が現れる。

    裸一貫でどこかの土地でやり直すことになっても、どうせ死なないしなんとかなる。

    たとえ無一文になってもどうせ生きていける、こんな感じなんです。

    Y君もJも自己肯定感と万能感の塊なので、信じられないぐらいモテるという特性以外にも、「俺なら大丈夫」という前提があるんですよね。

    そういえばY君と一緒にバンドやってたとき、どんな難しい問題にぶつかっても「いけるやろ。なんとかなるわ」といつも即答される上に、実際になんとかなってきました。

    そんなY君は、バンコクを拠点に仕事をしているのですが、数年前に大きな水害があったんですよ。

    彼はバンコクに工場を持っているのですが、その水害で大半の機材が壊れてしまい、大損害を被ったそうです。

    しかもそのとき運悪く、工場を任せていたトップ数名が他社に引き抜かれるという事態に。

    それを笑いながら「だから今結構ヤバいねんw」と彼は話していたのですが、その直後に「まあ俺がいる限り潰れることは絶対ないけどな」と言ってたので、マジでコイツすげえなと心の中で語彙力を失うぐらい感心してました。

    基本的に自己肯定感が低い人って、前提が「どうせ私(俺)なんて」なので、やる前から失敗をイメージしてしまってるんですね。

    でも、Y君やJのように「俺なら大丈夫」という前提があると、成功のイメージが強烈にあるんですよ。

    もちろん、百発百中で毎回成功するわけじゃないからたまには失敗するんだけど、それは彼らの中では「たまたまそうなった」なんですよね。

    でも、俺なら大丈夫と思っているので、上手くいかなかったことが悔しいから、失敗から学習して次の成功につなげるという感じです。

    僕も大概自己肯定感は高い方だと思っているけど、さすがにこの2人には負けます。

    それに、この2人のようにはなれないのは分かっているし、僕の生きてる世界線は違うので、嫉妬も起こらないし、羨ましさもとくに感じないです。

    ちなみに彼らの名誉のために言っておくと、Y君もJも、人の気持ちが分かるいいヤツです。

    以前、「高すぎる自己肯定感はポジティブモンスターを生む」という記事を書きましたが、彼ら2人は例外なんですよね。

    じゃないと僕も友達付き合いできません。

    今回のブロマガで何が言いたいかと言うと、「結局なんとかなるという精神は大切」だということ。

    もちろん、根拠ある自信と実績あっての精神にはなりますが、これら2つがあれば「なんとかなるっしょ!」という勢いと心持ちを持つことは大切です。

    「じゃあ、悲観的でマイナス思考な人はダメなの?」と思った方がいらっしゃるかもしれませんが、それが悪いわけではありません。

    つい考えすぎてしまうという性質の人がいますし、ときに人間にはうだうだ考える時間も必要だったりするので、最終的には「なんとかなる」という開き直りに持っていければいいと思っています。

    僕の2人の男友達のように絶大な自己信頼を持つことは難しくても、「結局なんとかなる」という潔さを持つことはできるので、人生をできる限り楽しんでいきましょう。