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テレビ東京で放送された
「昼めし旅~冬のごちそう探しSP」(1月14日放送)
ご覧になられましたか??
ロケでの写真をご紹介いたします♡
まずは、本州最西端の 「毘沙ノ鼻(びしゃのはな)」
私の先に見えるのは 「蓋井島(ふたおいじま)」
そのずっと先は 九州は 小倉です。
さあ、ここから旅が始まります!!
なんと、ヒッチハイクに成功して
毘沙ノ鼻から 吉母漁港へ。
冬の海は すごく冷えますねー
何軒か、 交渉するも 皆さんの返事は NO!
しかし、 ここなら もしかして・・・と ご紹介いただき、突入!!
「民宿 原田」さんへ。
ここでは 快く 受け入れて下さいました。
通りを歩いてる人は 殆どないのに、 中では 多くの年配の女性が
〝忘年会〟をやっていました。
ここで 働いている裏方さん達との まかない料理。
私も お台所で お手伝い! 温かいご飯、幸せです♡
新鮮なトコブシの煮付け、 タラコの煮付け、
特においしかったのが、 残っていた鯛を使い、
塩と醤油のみで 味付けした あら汁。
ご馳走さまでした!!
またまた、ヒッチハイクに成功して
次に訪れたのは、 みもすそ川公園!
(左) 関門橋と 壇ノ浦の合戦 源義経と 平知盛 有志の像。
(右) 関門海峡を眺めて 北九州の門司が見えます。
歴史の重みを感じる 〝長州大砲〟(八十斤加農砲)
文久3年(1863)5月から6月にかけて、長州藩は関門海峡を
通る外国船を 5回に渡って砲撃しました(攘夷戦)。
翌年8月、アメリカ・イギリス・フランス・オランダの四国連合艦隊
17隻が報復のため下関にやってきました。 海峡の最もせまい所に
築かれたこの壇之浦砲台は、前田砲台と共に重要な役割を
果たしましたが、連合艦隊に大敗し、すべての砲台が占領・破壊
されました。外国の進んだ軍備にめざめた長州藩は、開国・倒幕へと
転換し、明治維新を実現する原動力となりました。
長州藩の主力となった加農砲(カノン砲)は 青銅製の大砲で、球形の
弾丸を発射し、目標を打ち抜いて損害を与えるものでしたが、連合艦隊の
新しい大砲は距離・威力ともはるかにすぐれたものでした。
この大砲は、幕末に数多くの大砲を鋳造していた長州藩の安尾家に伝わる
20分の1の模型(下関市立長府博物館蔵)を参考に、原寸大に復元した
レプリカ(FRP製)です。砲身に刻まれた文字は、パリのアンヴァリッド
軍事博物館が所蔵している、これとほぼ同型の長州製青銅砲の砲身を
模刻しています。
下関市 監修/古川薫(直木賞作家) 長州砲の解説パネルより転載
そして、唐津市場へ また ヒッチハイクで(笑)
すでに 夕方になっていたので、 市場内は すべてクローズ。
ここで働いている方達が 帰り支度をしていました。
果たして 夜ご飯を見せてもらえるでしょうか・・・
唐戸市場の女将さん 柳川 ミヨ子さんに 助けられました♡
夜、ご自宅へ お伺いするとことに。
そして、 余った時間に訪れたのは 赤間神宮。
壇ノ浦の戦いで 安徳天皇の祖母である二位尼(平時子)が
安徳天皇を抱き 海に入水。
「今ぞ知る みもすそ川の 御ながれ 波に下にも 都ありとは」
二位尼が 入水する前に 安徳天皇に対して詠んだと言われる歌。
「海の底にも都はあります」という意味です。
ここには 亡くなった安徳天皇が 祀られています。
(左)人の怒り・苦悶の表情に似ている 〝平家かに〟
(右)かわいらしい 巫女さん達と♡
夜になり、 柳川さんのお家へ!!
すごく お洒落な家具、 素敵です♡
柳川さんが揃えて下さった 沢山のフグとの
戦い(笑)が始まりました
ワイワイ話しながら(笑) キッチンに立ち、お手伝い!
(左) テラスから眺めた関門海峡
(右)近くにある 遊園地 「はい!からっと横丁」
(左)トラフグのカルパッチョと カナトフグの唐揚げ
(右)最後に、 記念撮影!!
本当に ご馳走さまでした!!
皆さんの優しさに触れ、 まだまだ日本の人達は
情に厚く、素敵ですねー!!
旅は、まだ続きます。 次回は 長門市編です!
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では 皆さま 次号をお楽しみに。