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ボーカロイド・ボイスロイドと呼ばれる、バイオロイドが世に生み出され、紆余曲折あって人として扱われるようになって幾星霜。
とある秋の日、一人のボーカロイド兼ボイスロイドの少女は、ある男に雇われた。
彼女は知らなかった。男の余命が一年しかないことを。男は言わなかった。己が来年の秋に死ぬことを。
これは、終わった後のお話。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
結月ゆかりは立っていた。目の前にあるのは、一年だけ過ごした男の墓。
生きてる間は、マスターと呼ばなかった男の墓。
ねえ、マスター と、彼女は墓に語りかけるように、口を開いた。
どうして、何も話してくれなかったのですか と、今は亡き男に問うように言葉を続けた。
問いかけても、無駄だというのは、彼女にもわかっていた。相手は、墓の下だ。答えが返ってくるはずがない。
それでも、彼女は問いかけずにはいられなかった。
* * *
彼女の、生前の男に対する印象は、最悪であった。
金に任せて、「結月 ゆかり」の中でも、ベテランといえる彼女を雇った上、家を訪れた彼女に対する第一声が「今まで歌ってきた歌を歌え、それ以外君に求めるものはない」であった。
見た目が仮面を被った不審人物だったのもあって、彼女が、思わず顔を引きつらせたのも、無理はないだろう。一年間、ずっとそんな調子だったのである。
自分は部屋に篭り、そのドアの向こう側で、彼女に今まで歌ってきた歌を歌わせるだけ。全く歌わなければ「何故、歌わない」と咎めるが、一日に一つでも歌えば、何をしようと何もいうことがない。日に一度も言葉どころか顔も合わせないことも多かった。
そんな雇い主を好意的に解釈しろというのが、酷であろう。だから、彼女は、生前の男をマスターと呼ぶことは、終ぞなかった。
契約期間が終わる一週間前のこと。彼女は男に、一つの歌を渡された。
君との契約が切れる日。これを歌ってくれ そう男はいった。当時の彼女は、珍しいと思いながらも了承した。
印象は最悪ではあるが、賃金も割り増しで払われ、行動も制限しない。好きにはなれないが、雇い主としては当たりなのだろうと、彼女はそう思うようになっていた。特に断る理由はなかったのである。
彼女が了承したのを聞いた男は、一週間後に来てくれ。それまでは来てくれるな。用意がある といった。不思議に思いながらも、彼女は再び了承した。
そして、一週間後。男の家のリビングにて、正装した男に彼女はその歌を歌った。
一曲だけのコンサート。伴奏もなにもない、彼女の声だけが響く数分間。
彼女は不思議だった。顔もわからない変な雇い主に歌ってくれと頼まれた歌が、なぜこれほどまでに身になじむのか。なぜ、これほどまでに、感情が歌に入り込むのか。
そして彼女は歌い終わった。拍手をした男は、彼女の去り際に、捨ててもかまわないが、貰ってくれと 一つの袋を渡した。続けてその歌は、君にやる と。最後の最後まで仮面は外さなかった。
変な雇い主だったなと、彼女は袋を貰って帰った。
その翌日、彼女は袋を開けた。中に入っていたのは、満月に稲と、特徴的なウサギの意匠のアクセサリーと歌の題名が入っていた。
彼女はそれを見た瞬間。男が誰だったのかを悟った。そして、急いで男の家へ行った。
家はもぬけの殻だった。近所の人に、彼女は男が死んだということを聞かされた。
十数年前。彼女が「結月 ゆかり」であることに悩んでいた秋の頃。たまたま会話し、彼女に「愁」の字をおくったのが男であった。秋に心と書いて、愁となる。憂い、悩むことを知っている君は、それを名乗ってはどうだろうか と。
それ以来、彼女は「愁」の結月ゆかりとして、生きてきた。君が有名になったら、アクセサリーでも贈ろうではないか。月と稲と兎の意匠のアクセサリーを という、男との何気ない約束を心の支えとして。
* * *
ねえ、マスター
私は、ベテランになりましたよ 歌も上手に歌えるようになりましたよ
どうして、あなたは何も言わずにいってしまったのですか
話したいこともたくさんあった あなただと知っていたら歌ってあげたい歌もたくさんあった
なのに、どうして名乗りもせずにいってしまったのですか
私は、マスターの名前も知らないのに
私のための歌とアクセサリーを遺して、どうしていってしまったのですか
ねえ、マスター
私は、あなたのことが、知りたかった もっと語り合いたかった
マスターにあったおかげで、今の私がいるんです
マスターが何を思ってたか知らないですけれども
名乗ってほしかった 私にマスターと呼ばせてほしかった
マスター マイマスター あなたは何を思って、逝ったのですか
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
墓は何も語らない。目から涙を流しながら墓に語りかけていた少女は、涙をぬぐって墓所を去った。
彼女は、これからもボーカロイドとして、ボイスロイドとして、生きていくだろう
首から、月と稲と兎の意匠のネックレスを大事そうにかけながら。
哀愁の秋。終わりの後に 終幕
とある秋の日、一人のボーカロイド兼ボイスロイドの少女は、ある男に雇われた。
彼女は知らなかった。男の余命が一年しかないことを。男は言わなかった。己が来年の秋に死ぬことを。
これは、終わった後のお話。
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結月ゆかりは立っていた。目の前にあるのは、一年だけ過ごした男の墓。
生きてる間は、マスターと呼ばなかった男の墓。
ねえ、マスター と、彼女は墓に語りかけるように、口を開いた。
どうして、何も話してくれなかったのですか と、今は亡き男に問うように言葉を続けた。
問いかけても、無駄だというのは、彼女にもわかっていた。相手は、墓の下だ。答えが返ってくるはずがない。
それでも、彼女は問いかけずにはいられなかった。
* * *
彼女の、生前の男に対する印象は、最悪であった。
金に任せて、「結月 ゆかり」の中でも、ベテランといえる彼女を雇った上、家を訪れた彼女に対する第一声が「今まで歌ってきた歌を歌え、それ以外君に求めるものはない」であった。
見た目が仮面を被った不審人物だったのもあって、彼女が、思わず顔を引きつらせたのも、無理はないだろう。一年間、ずっとそんな調子だったのである。
自分は部屋に篭り、そのドアの向こう側で、彼女に今まで歌ってきた歌を歌わせるだけ。全く歌わなければ「何故、歌わない」と咎めるが、一日に一つでも歌えば、何をしようと何もいうことがない。日に一度も言葉どころか顔も合わせないことも多かった。
そんな雇い主を好意的に解釈しろというのが、酷であろう。だから、彼女は、生前の男をマスターと呼ぶことは、終ぞなかった。
契約期間が終わる一週間前のこと。彼女は男に、一つの歌を渡された。
君との契約が切れる日。これを歌ってくれ そう男はいった。当時の彼女は、珍しいと思いながらも了承した。
印象は最悪ではあるが、賃金も割り増しで払われ、行動も制限しない。好きにはなれないが、雇い主としては当たりなのだろうと、彼女はそう思うようになっていた。特に断る理由はなかったのである。
彼女が了承したのを聞いた男は、一週間後に来てくれ。それまでは来てくれるな。用意がある といった。不思議に思いながらも、彼女は再び了承した。
そして、一週間後。男の家のリビングにて、正装した男に彼女はその歌を歌った。
一曲だけのコンサート。伴奏もなにもない、彼女の声だけが響く数分間。
彼女は不思議だった。顔もわからない変な雇い主に歌ってくれと頼まれた歌が、なぜこれほどまでに身になじむのか。なぜ、これほどまでに、感情が歌に入り込むのか。
そして彼女は歌い終わった。拍手をした男は、彼女の去り際に、捨ててもかまわないが、貰ってくれと 一つの袋を渡した。続けてその歌は、君にやる と。最後の最後まで仮面は外さなかった。
変な雇い主だったなと、彼女は袋を貰って帰った。
その翌日、彼女は袋を開けた。中に入っていたのは、満月に稲と、特徴的なウサギの意匠のアクセサリーと歌の題名が入っていた。
彼女はそれを見た瞬間。男が誰だったのかを悟った。そして、急いで男の家へ行った。
家はもぬけの殻だった。近所の人に、彼女は男が死んだということを聞かされた。
十数年前。彼女が「結月 ゆかり」であることに悩んでいた秋の頃。たまたま会話し、彼女に「愁」の字をおくったのが男であった。秋に心と書いて、愁となる。憂い、悩むことを知っている君は、それを名乗ってはどうだろうか と。
それ以来、彼女は「愁」の結月ゆかりとして、生きてきた。君が有名になったら、アクセサリーでも贈ろうではないか。月と稲と兎の意匠のアクセサリーを という、男との何気ない約束を心の支えとして。
* * *
ねえ、マスター
私は、ベテランになりましたよ 歌も上手に歌えるようになりましたよ
どうして、あなたは何も言わずにいってしまったのですか
話したいこともたくさんあった あなただと知っていたら歌ってあげたい歌もたくさんあった
なのに、どうして名乗りもせずにいってしまったのですか
私は、マスターの名前も知らないのに
私のための歌とアクセサリーを遺して、どうしていってしまったのですか
ねえ、マスター
私は、あなたのことが、知りたかった もっと語り合いたかった
マスターにあったおかげで、今の私がいるんです
マスターが何を思ってたか知らないですけれども
名乗ってほしかった 私にマスターと呼ばせてほしかった
マスター マイマスター あなたは何を思って、逝ったのですか
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墓は何も語らない。目から涙を流しながら墓に語りかけていた少女は、涙をぬぐって墓所を去った。
彼女は、これからもボーカロイドとして、ボイスロイドとして、生きていくだろう
首から、月と稲と兎の意匠のネックレスを大事そうにかけながら。
哀愁の秋。終わりの後に 終幕
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