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対峙
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対峙

2018-05-05 03:08
    北京から動かせる集団軍は2個ある。それを、東部戦区の南京市に、振り向けることにした。
    1個集団軍だけでも東部戦区より強力な兵力だ。そこに2個集団軍をぶつけ、はなから戦意を削ぐように持って行った。ここには上海という大都市もあるので、戦火は交えたくなかったのだ。圧倒的な戦力と空軍力で、降伏を求めていった。

     周首相は「急戦戦略」を採用した。戦力が圧倒的だったからだ。一方、習首席の戦略は、「持久消耗戦略」であったが、その結果、南京はあっさりと陥落した。

     南京が陥落すると、共産党は、南京で大虐殺があったと宣伝した。が、今回はさすがに信用されなかったようだ。東部戦区全体が無抵抗な地域となり、全面的に降伏を受け入れた。上海は、自由化のお祝いで、お祭り騒ぎになった。また、対峙していた台湾も友好を示してきた。

     いざとなれば、台湾は共同作戦も考えていいとのことだったが、周としても、望ましい反応だ。特に、台湾海軍が、南海艦隊の牽制をしてくれるとありがたい。日本だけに頼っては、何かと後が面倒だ。ここは、台湾にもそれ以外の他国にも、均等に力を借りておきたい場面だ。

     習首席は、重慶市民を人質に取った。市内の各所に部隊をちりばめ、攻撃すれば市民に被害が及ぶようにしたのだ。このため、周首相側も、攻勢を弱めなくてはならなくなった。この間隙をついて、習首席は、アメリカとの交渉に成功した。日本に出遅れた感じのアメリカが利権を確保するため、習首席の政府をはっきりと認めたのだ。

     香港のある南部戦区も、まだ、習首席側についている。このため、周首相は、まず、香港の攻略に踏切った。南京、上海、香港という旧日本帝国軍の足取りと同じコースをたどることになった。南部戦区は、海軍の拠点があり、陸戦だけでは修まらない感じだ。それで、香港を単独で切り取り、北部戦区に組み込むことにした。

     東部戦区に進駐していた、2個集団軍を南下させ、廈門市(アモイ市)から、そのまま香港に突っ込ませた。市内で戦闘を行わず、ぐるりと遠巻きにして、香港政庁に降伏を迫った。香港政庁は簡単に降伏した。市民の応援も多大に影響したのだ。ここで、進撃はやめ、広州市などは、手をそめなかった。この部隊は、第116機械化歩兵師団を、香港市内に入城させ、全部隊への補給は、香港市に依存した。市民はこの部隊を歓迎し、街は歓喜に沸いた。

     香港まで制圧したところで、日本と『中華連邦』との間で検討されていた「日本国債の売買契約」と「日本円本位制の通貨の発行」が本決まりした。中国は、急いで「新元紙幣」を用意し、その準備ができ次第、世界に向けて告知することになった。

     もし、この事が習首席に知られるとマネーをロンダリングされてしまう。また、世界で利権を取り合うことになっても良くない。従って、この事は秘密裏に進めなければならなかった。

     日本がアメリカを出し抜いてまで、この事業に取り掛かったのは「国債の出口戦略」になるからだ。それまで、日本ではリフレ派の学者が色々と試みたが、何一つ効果が現れなかった。

     当然だ、理屈が古く、現実に適合していなかった。唯一、この方法が一千兆円を超えた借金を一発で解決する画期的な方法だったのだ。そして、この事業の正否が「秘密裏に進める」事にかかっており、アメリカに対してさえも、秘密にして動くことになった。
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